永野茂門
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永野茂門 | |
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1922年6月28日 | |
生誕地 | 大分県 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 陸上自衛隊 |
軍歴 | 1941~1945(日本陸軍) 1951~1980(陸自) |
最終階級 | 陸軍大尉(日本陸軍) 陸上幕僚長たる陸将(陸自) |
指揮 | 東部方面隊総監 第11師団長(陸自) |
賞罰 | 勲二等旭日重光章 |
永野 茂門(ながの しげと、1922年(大正11年)6月28日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。元陸上自衛官。大分県出身。勲二等旭日重光章。
[編集] 人物
大分中学校(現・大分上野丘高等学校)、広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、昭和16年(1941年)7月に陸軍士官学校を卒業(第55期)し陸軍将校となる。終戦時は陸軍大尉。
戦後、陸上自衛隊に入隊し通信科出身ながら陸上幕僚長となる。昭和55年退官(陸将)。昭和61年(1986年)、第14回参議院議員通常選挙に自由民主党から出馬、当選する。第2次海部内閣で科学技術政務次官。
平成5年(1993年)、小沢一郎、羽田孜らと共に自民党を離党し新生党結成に参加。1994年4月に発足した羽田内閣で法務大臣を務めるが、陸上幕僚長を務めた職業自衛官出身の大臣の誕生に文民統制から問題があるのではないかと指摘する声があがった。毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言し、わずか11日間で更迭される(これは2007年に遠藤武彦農水相が8日間の在任記録が出るまで、戦後大臣通算在任最短記録1位であった)
平成10年(1998年)、政界引退。現在、日本戦略研究フォーラム(JFSS)相談役。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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法務大臣(中央省庁再編前) |
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