高辻正己
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高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 1997年5月20日)は、日本の官僚、裁判官で、竹下改造内閣の法務大臣。
[編集] 来歴・人物
静岡県沼津出身。東京府立四中、旧制三高を経て、東京帝国大学法学部卒業。内務省入省。戦後、地方自治庁部長などを経て、法制局次長時代に自衛隊を「必要最小限の戦力」と解釈する。1964年から1972年にかけて第1次佐藤内閣~第3次佐藤内閣まで内閣法制局長官を務め、沖縄返還の時は法律面から佐藤内閣を支えた。
1972年7月、佐藤首相の退陣とともに内閣法制局長官を辞任。1973年から1980年まで最高裁判所判事を務めた後、1988年12月、リクルートからの献金問題で長谷川峻法務大臣が辞任に追い込まれると、法律に詳しくリクルートとは無縁な点が評価され、後任の法務大臣に就任。リクルート事件の捜査終結を見届けると、1989年6月に竹下内閣総辞職とともに離任。1980年、勲一等旭日大綬章受章。
1997年5月20日、敗血症のため東京都港区の病院で死去。享年88(87歳没)。叙・従二位、賜・銀杯一組。
[編集] 関連項目
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