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柏原純一 - Wikipedia

柏原純一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柏原 純一
基本情報
国籍 日本
出身地 熊本県八代市
生年月日 1952年6月15日(56歳)
身長
体重
179cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 内野手
プロ入り 1970年 ドラフト8位
初出場 1971年
最終出場 1988年9月10日巨人戦(甲子園)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

柏原 純一かしわばら じゅんいち1952年6月15日 - )は、元プロ野球選手。現役時代は南海ホークス日本ハムファイターズ阪神タイガースで活躍した。熊本県八代市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

1971年、八代東高校よりドラフト8位で南海入団。高校までは投手であったが、外野手として入団。3年目の1973年に一軍に上がり、内野手に転向し二塁手となるが、当時のドン・ブレイザーヘッドコーチに失格の烙印を押され、1976年からは一塁手に転向、背番号も9になる。1976年~1977年に連続して2ケタ本塁打をマークし一塁のレギュラーを獲得。南海のホープとして期待される。

しかし、1977年シーズン途中での野村克也監督の公私混同等を巡る解任で球団に反旗をひるがえし、野村と同じロッテへの移籍を直訴するも認められず、1978年小田義人杉田久雄との1対2の交換トレードで日本ハムへ移籍。日本ハムでは移籍1年目から4番を任され、終ってみれば全試合出場し24本塁打、84打点(ともにリーグ5位)と自身最高の成績を記録、球団の11年ぶりのAクラス入りに貢献した。選手会長を務めた1981年には.310、16本塁打、81打点の成績をあげてチームのパ・リーグ優勝に貢献。1980年~1984年に5年連続全試合出場を果たした。

その後低迷し、1986年阪神に金銭トレードで移籍。阪神では掛布雅之の故障・不振に伴ない一塁の他、三塁・外野もこなした。1988年限りで現役引退。

引退後、1989年~1995年阪神打撃コーチ。1996年~1997年中日ドラゴンズ打撃コーチ、1999年~2001年はかつての恩師である野村監督に請われ、再び阪神打撃コーチを務めた。2002年~2003年、朝日放送サンテレビジョンTigers-aiサンケイスポーツ(大阪)で解説を務め、2004年古巣北海道日本ハムファイターズチーム強化部プロスカウトに就任し、2006年よりアマ担当「西日本統括スカウト」に就任した。阪神コーチ時代に新庄剛志の指導を担当し一人前に育て上げた。

[編集] 年度別成績

年度 球団 背番号



































1971-1972 南海 53 -
1973 25 65 7 18 3 1 1 26 6 2 0 0 0 5 8 1 .277 5
1974 82 188 24 45 10 1 6 75 21 7 2 0 1 21 31 2 .239 15
1975 9 70 186 20 41 3 1 6 64 29 6 6 0 3 22 14 6 .220 3
1976 124 435 48 113 18 4 16 187 55 26 7 4 2 46 59 9 .260(22) 3
1977 129 462 65 118 19 3 18 197 54 12 4 2 2 41 58 12 .255(22) 14
1978 日本ハム 6 130 500 72 147 18 4 24 245 84 15 10 0 4 51 64 12 .294(13) 9
1979 123 487 77 139 18 3 22 229 90 18 2 0 3 55 47 10 .285(22) 5
1980 130 503 82 133 17 3 34 258 96 8 3 0 4 71 61 10 .264(30) 9
1981 130 468 92 145 22 3 16 221 81 15 3 1 6 88 39 11 .310(8) 7
1982 130 470 71 134 22 1 22 224 75 3 4 0 5 53 41 16 .285(10) 8
1983 130 490 68 138 21 0 26 237 89 6 4 2 7 58 39 21 .282(20) 3
1984 130 454 67 103 15 1 18 174 68 13 4 0 3 68 57 16 .227(33) 4
1985 94 185 26 40 5 0 5 60 18 3 0 3 1 34 19 5 .216 4
1986 阪神 2 107 310 49 97 20 1 17 170 46 3 2 0 2 33 49 11 .313 4
1987 57 91 4 16 3 0 1 22 5 1 0 0 0 9 23 3 .176 0
1988 51 59 3 10 5 0 0 15 1 2 0 1 1 7 9 1 .169 2
通算 1642 5353 775 1437 219 26 232 2404 818 140 51 13 44 660 618 146 .268 95
  • 表中の太字はリーグ最高

[編集] タイトル・表彰

[編集] 背番号

  • 53(1971年~1974年)
  • 9(1975年~1977年)
  • 6(1978年~1985年)
  • 2(1986年~1988年)
  • 85(1989年~1995年)
  • 75(1996年~1997年)
  • 77(1999年~2001年)

[編集] エピソード

  • 南海時代、後にチームメイトとなる江夏豊と共に野村と同じマンションに住むほど典型的な野村派で、打撃コーチの高畠康真と三人で野村一派と呼ばれ、柏原はその旗頭であった。
  • 1977年の日本ハム小田義人内野手、杉田久雄投手との1対2のトレードは、当初、野村と同じロッテ移籍を主張したため、徹底抗戦すると、南海、日本ハムの両球団がプロ野球史上2例目となる対象選手の統一契約書のみの交換でトレードの成立、つまり本人の合意を取り付けないままの書類上による強制トレードによって移籍した。一時は任意引退をも覚悟したが、野村夫妻に説得されるなどして承諾した。
  • 入団した年の秋季キャンプで、袴のようなダブダブのジャージ姿をみて、当時評論家として視察に来ていた青田昇が「あれは本当に野球選手か。早く地元に帰したらどうか」と酷評された。しかし2年後一軍のレギュラーとなり、大洋の監督に就任した青田の前に野村監督が柏原を連れて行った。
  • 「プロに2軍があるとは知らなかった」というほど、何も知らずに大阪へ来たという。
  • 豪放磊落に見える一方で、裏方さんの待遇や同僚選手のことも心配する、とても細やかな気遣いができる選手だったことは、あまり知られていない。
  • 南海時代、ボサボサ頭で、合宿所の畳部屋に一升瓶とともに寝転がっていた姿を見た漫画家・水島新司が、その風貌を「あぶさん」のモデルの一人にしたのは有名。
  • 1981年7月19日西武ライオンズ永射保投手から敬遠球を大根斬りしホームランを放つ。
  • 家族は妻と娘三人がいたが、妻は美人の評判高い女性であった。日本ハム時代にはブラザーの電子レンジのCMに夫婦で出演したことがあり、阪神のコーチ時代には、柏原の妻を大野久がナンパしようとして声をかけていたところ、たまたま通りがかった柏原に見つかり柏原が大野を一喝したという出来事もあった。また、掛布雅之も著書の中で、「安芸キャンプの宿舎のロビーにいた美人を選手がナンパしようとしたところ、「いつもお世話になっています。柏原の妻です」と挨拶され、慌てて逃げた。」というエピソードを紹介している。
  • 1980年7月の後楽園球場の対近鉄戦の試合前に日本ハム恒例のアトラクションで当時デビュー間もない柏原よしえがデビュー曲「NO.1」を歌った後で花束贈呈の儀式があったが、普通なら柏原よしえが球場へ招待されたのだから、そちらから花束贈呈をし「今日の試合頑張って下さい」という言葉を添えるものと思われたが、柏原純一側から贈呈があったのは意外、というか柏原純一の人の良さ(仮に元々そうなっていたにせよ)を垣間見る一瞬があった。
  • この年の別の日には、首都高速道路で自前のバットを用いて人命救助を行い表彰されている。
  • 阪神に移籍した1986年に、大阪球場で古巣・南海とのオープン戦が開催された。南海・阪神両チームの新人・移籍選手が紹介された際、両チームの他の選手が内野席のみに頭を下げたのに対し、最年長の柏原はただ一人、外野席にも頭を下げ、両軍のファンから大きな歓声を浴びていた。
  • ずんぐりとした体型に似合わず意外にも盗塁が多く、阪神での現役最後の試合においても1塁に出塁すると、相手投手のスキを突いてすかさず2塁へ盗塁を敢行。結果、見事に2塁を落としいれ、実質引退試合となったこの試合でバット以上に自らの足をアピールする形となった。

[編集] 関連項目

南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)
1970年ドラフト指名選手
1位:島本講平 / 2位:矢部徳美 / 3位:門田純良 / 4位:池内豊 / 5位:阪田隆 / 6位:黒田正宏
7位:古川治夫 / 8位:柏原純一 / 9位:青木倫一 / 10位:瀬戸内忠重


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