小さな政府
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小さな政府(ちいさなせいふ:limited government)とは、経済に占める政府の規模を可能な限り小さくしようとする思想または政策である。アダム・スミス以来の伝統的な自由主義に立しており、政府の市場への介入を最小限にし、個人の自己責任を重視する。それを徹底したものを夜警国家あるいは最小国家という。基本的に、より少ない歳出と低い課税を志向する。主に、保守派またはリバタリアンによって主張される。
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[編集] 概要
「小さな政府」には、歳出の抑制や低い税率はもちろん、国営企業の民営化、規制の撤廃、国有資産の売却なども含まれる。インフラや公共サービスなどの公共財も、なるべく市場により供給されるような施策をとる。
背景には、見えざる手により、市場がコストと価値に見合う最適な資源配分を達成するという期待があり、市場に任せることで効率の高い経済が実現されると考えられている。ただし、「結果の平等」は保障されにくくなり、格差の拡大がありうる。「小さな政府」では、そういった問題に対して、最低限の保障(セーフティ・ネット)を与えることで対応する。
[編集] 歴史
行政府の国家経済に対する姿勢についての議論は古くからあり、古代バビロニアでは国庫による隊商への貸付規定が定められた(ハンムラビ法典)のをはじめ、中国(前漢)では桑弘羊らの提案による平準・均輸策が論じられた(塩鉄論)。租税や通貨政策における権力の関与は古代世界に普遍的に見られる現象であり、国庫や租税政策を運用することで帝国・王国の国力を強化するという視点もまた普遍的なものであった。
市民社会における経済運営と国庫の問題はルネサンス期のイタリアに体系化されたものと見られ、都市の経済運営のため税を担保とした公債が発行された。この慣習が神聖ローマ帝国の諸領域国家に広まり、租税収入を担保に国王が有力商人に公債を発行する慣習がなりたちオランダでは市議会が皇帝の歳費を肩代わりする形で公債を引き受け課税権や徴税権を獲得してゆき、国富のうちで現実に近代的国民の全体的所有にはいる唯一の部分としての国債[1]が成立した。(⇒国庫)
市民社会を対象に、国家と経済のあり方が論じられたのは重商主義以降、クロムウエルの元での航海条例やルイ14世の元でのコルベール主義に関わる議論であり、啓蒙思想の諸学派は国家による経済介入は国の富をそこなうとする理論的な集約をみる(⇒レッセフェール)。一方フランス革命後とりわけナポレオンの総領政権の頃にはアダム・スミス以来の伝統的な自由放任主義(レッセフェール)を主張するセイはナポレオンの目にとまり戦争経済の構築のため保護政策と規制について書き直すように要求される。
アダム・スミスによれば政府による経済活動はすべて不生産的労働であり、政府が公衆から資金を借入れて消費することはその国の資本の破壊であり、さもなければ生産的労働の維持に向けられたであろう生産物を不生産的労働に向けるものである、とした。古典的な経済理論においては、行政府の支出はその源泉が租税であろうが国債によろうが民間の経済活動は圧迫(クラウド・アウト)されるとした。これに対する理論的な反論は19世紀前半におこった過少消費説(一般過剰供給論争)であり、所得の不平等や貯蓄過多(投資不足)による経済的不均衡が生産縮小のサイクルを産むと理論化された(⇒過少消費説)。
英国では均衡財政にもとづく経済運営のもと、救貧法などに見られる糊塗的・懲罰的な貧困対策は格差問題の解消になんら寄与せず、貧困と不平等を問題視する人々の中からラッダイトなどの社会運動、やがて社会主義の思想が生まれ欧州全体に拡散した。1880年代にビスマルクの「飴と鞭」政策により導入された公的福祉制度(社会保障制度)は各国に広まり、また1930年代の世界恐慌において、ケインズにより提唱された有効需要理論に基づいた数々の政策が実行に移され、政府の経済への関与と財政の占める規模は増大した。米国で失業保険や公的年金、生活保護などの社会保障が設けられたのはこの時期である。
1960年代には、財政政策と金融政策をミックスし完全雇用を志向する「大きな政府」が主流となるが、1970年代にスタグフレーションを招いたため、フリードマンら経済学のシカゴ学派による批判に基づいて、イギリスやアメリカで「小さな政府」への転向が始まった。肥大化した政府による資源配分の歪みや規制、財政政策依存による財政赤字拡大、クラウディングアウト効果による民間投資の過少化、政府支出へ依存した産業構造、それらの結果としての供給力不足がインフレーション体質の問題点であると考えられた。「小さな政府」は、新自由主義(ネオリベラリズム)あるいは新保守主義と親和性が高い。
[編集] 「小さな政府」論への批判
- 国内に失業者があり、資金余剰が多く低金利での資金調達が可能な場合、行政が公債を発行して事業を行うことで国富が拡大する可能性がある(ケインズ政策)。
- 一般に行政の管轄する人口規模や域内市場規模の多寡と政府の規模は逆相関(インフラ投資や行政実務の効率化の観点から小国や都市国家のほうが行政負荷が高い)ことが想定されるが、現実にはかならずしもそうではない。また政府支出の域内市場(GDP)に占める割合規模と域内の経済効率に明確な因果関係を見いだす研究は提出されていない。
- 国債の累積発行問題や行政部門での浪費問題、行政支出やプロジェクトの失敗問題を棚上げにして、義務的支出である教育・福祉・医療等関連予算を削減する名目として「小さな政府」を標榜するのは論点のすり替えであり、小さな政府を実現すれば財政上の諸問題が解決するかどうかは(論証的には)分からない。
[編集] 日本の場合
- 日本では財政再建の名の下、与党第一党の自由民主党が積極的に「小さな政府」を掲げている。金融市場においても、企業利益の増大をもたらす「小さな政府」を推す政権が好まれる傾向が強い。小泉内閣以降の自民党政権は、「『小さな政府』でなければ日本に未来は無い」として、歳出の抑制や規制緩和、法人税減税、郵政公社や特殊法人の民営化などを進めている。
- 欧米諸国と異なり、福祉の支出が公共投資よりも少ないことから、小さな政府が行き過ぎているのではないかという批判が、主に左派からなされている。これに対しては、日本の(高齢者)福祉の給付水準は先進国の中でも最高レベルであり、また、総支出でも、急激な少子高齢化に伴って、将来的には欧州並みの規模まで膨らまざるを得ないとする反論もある。
- 小さな政府の根幹である最低限度の安全保障の部局である防衛省・警察庁においてすら職員の不祥事や装備品の水増し調達などの背任行為、天下りなどの官民癒着を根絶できる見通しがない。解決すべきは、職員の不正や背任・天下りなど官民癒着の問題であって、本来無関係な「大きな政府」問題を持ち出すことがかえって混乱をもたらしている。
- 本来、「小さな政府」を推進する場合、セーフティー・ネットを張り巡らさなければ所得格差の急激な拡大などによって社会的な混乱を招く蓋然性がある。ところが、日本で議論されているのは生活保護の切り詰め・医療費の値上げなどの福祉の抑制や、ハローワーク事業の民営化論・年金保険料の段階的値上げなどの社会保障の抑制などが議論されており、セーフティーネットに含まれる公的業務の削減・廃止が他の公的業務より進められている。これらは「小さな政府」を推進している経済財政諮問会議などの多くの改革会議の顔ぶれが財界人や「御用学者」と見られる場合もある政府要人ときわめて近い学者などで占められていることから、いわゆる「政商」的な自分達の利益を優先させる為「小さな政府」論を提唱しているに過ぎないとする批判が後を絶たない。
- 日本は公的企業の割合や、人口に占める公務員比率がヨーロッパ諸国はもちろん、アメリカ合衆国やカナダと比べても低い(ただし、これには、源泉徴収制度により事業主に所得税・住民税の事務の一部を実質的に担わせていることや、民生委員など、非公務員が無給で実質的に公務を担っているケースも多いことから、必ずしも当を得ていないとの反論もある)が、日本と比較して「大きな政府」である欧州諸国の経済パフォーマンスが悪いとは必ずしもいえない。
[編集] 脚注
- ^ 酒井昌美「物象化生成過程的資本原蓄とアムステルダム」帝京経済学研究第35巻第 1号