レッセフェール
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レッセフェール(仏:laissez-faire、自由放任主義(じゆうほうにんしゅぎ)と一般には訳される。)とは、フランス語で「なすに任せよ」の意。経済学で頻繁に用いられておりその場合は特に、政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せることを指す。無干渉主義とも呼ばれる。
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[編集] 歴史と概要
レッセフェール(自由放任主義)の語を最初に用いたのは、フランスの重農主義者[1]である。この用語は、重商主義に反対する立場からの「スローガン」(標語)として用いられた。これを、古典派経済学(古典学派)の祖であるイギリス(スコットランド)のアダム・スミスが、主著『国富論』(『諸国民の富』、1776年刊)で体系化した。アダム・スミスが、その著書において「自由競争によって「見えざる手」が働き、最大の繁栄がもたらされる」と主張したのは有名である。もっとも、アダム・スミスは、『国富論』の中で、「自由放任主義」という言葉には直接言及してはいない。その後、1870年代にマーシャルによって体系化された新古典派経済学(いわゆる新古典学派、厳密には「ケンブリッジ学派」という)にも、自由放任主義の考え方は引き継がれた。自由放任主義は、ケインズの1926年の著作『自由放任の終焉』によって、初めて否定されたといわれることもあるが[2]、これには強い異論もある[3]。
[編集] 自由放任主義の復活
[編集] 脚注
- ^ フランスの経済学者・財政家のグールネー(ヴァンサン・ド・グールネー 、Vincent de Gournay、1712年〜1759年)など。
- ^ ケインズの弟子、ジョーン・ロビンソンは、著書『経済学の考え方』(1962年)の中で、自由放任主義はケインズが初めて否定したとする。
- ^ #参考文献の根井雅弘の著作では、マーシャルも自由放任を否定していたとする。もっとも、これらの主張は、根井雅弘が、1976年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者フリードマン(1912年〜2006年)を痛烈に批判した上で、経済学者ガルブレイス(1908年〜2006年)のような「バランスの感覚」が必要であることを指摘する文脈の中で行われている。
[編集] 参考文献
- 根井雅弘、『経済学のたそがれ』、講談社、1996年、第9章「自由放任主義の復活」(139p.〜)、ISBN 4-06-208378-7