大阪府立高津高等学校
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過去の名称 | 大阪府立第十一中学校 大阪府立高津中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
学区 | 第3学区(旧第5学区) |
設立年月日 | 1918年4月 |
創立記念日 | 4月25日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒543-0016 |
大阪市天王寺区餌差町10番47号 北緯34度40分10秒東経135度31分29秒 |
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電話番号 | 06-6761-0336 |
FAX番号 | 06-6761-8153 |
外部リンク | 公式サイト |
大阪府立高津高等学校(おおさかふりつこうづこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Kozu High School)は、大阪府大阪市天王寺区餌差町にある公立高等学校。
目次 |
[編集] 概要
明治時代のナンバー中学校は十中で終り、大正デモクラシーの中、新しい第十一中学校として1918年4月に発足した。校内にある「高津宮址碑」は、大阪市市歌の冒頭にある「高津の宮」の起源と伝えられ、旧制府立高津中学校の校名もこれに由来する。
校章は、旧制中学の北野、天王寺、生野などと同じく「中」をかたちどった六稜のなかに、山桜があしらわれている。現校舎の正面に付いている校章は「中」の中縁取りを埋めていない旧制高津中学時代のデザインである。校是の「自由と創造」「日新日進」は、建学時代に校長(初代、二代)の唱えたものが受け継がれ、明治時代に創立された旧制中学の多くが質実剛健、文武両道などをモットーとしているのに対照的である。
校歌は、当時生徒だった赤井文夫(29期)が作詞、同じく当時の生徒で現ジャズピアニストの大塚善章(29期)が作曲したものである。一番に上町台地の校舎から眺める「山(生駒山)」、二番に校是のキーワード「自由」が愛と平和の間に、そして三番に校章の「星(六稜)・桜」がそれぞれ歌い込まれている。高津高校応援歌は、OBの高津ときを(10期)が作詞、横森良造が作曲した。東京高津同窓の歌はOBの高津ときを(10期)が作詞、同 鈴木弘道(15期)が作曲した。 旧高津中学校歌は、高木及言が作詞、永井巴が作曲した。冒頭に「高津宮跡」があるが校名は歌われていない。
校則は存在しない。生徒の人格と個性が尊重され、服装も自由で制服などは特に定められていない。
生徒会は「自治会」と称し、役員は年2回の選挙で選出する。
[編集] 歴史
- 1918年4月 旧制中学校ナンバースクールの府立第十一中学校として創立。
- 1919年3月 府立高津中学校に改称。
- 1919年4月 大阪市東区高津北の町(現在地・当時の住所表示)に移転。
- 1948年4月 学制改革により、府立高津高等学校となる。男女共学制実施にあたり、清水谷高校(旧制清水谷高等女学校)と生徒・教員を半分ずつ交換。
- 1949年8月 第31回全国高等学校野球選手権大会に大阪府代表として出場。
- 1963年 創立45周年記念で校内に「記念館」(同窓会館)を設立。
- 1992年 新校舎完成。
- 1998年 創立80周年記念式典を挙行。
- 1999年 創立80周年記念事業で「記念館」を改修、トレーニングルーム・セミナールームを設置。
- 2002年 府立高校初の民間人校長が就任。大阪府教育委員会からエルハイスクールの指定を受ける。
- 2008年 スーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。
[編集] 教育方針
教育目標として、強靭な知性、みずみずしい感性、品格ある人間性、を掲げる。進路指導に力を入れ、生徒に対する進路指導プログラムとして「進路週間」「進路講演会」のほか、進学のための「早朝講習」「夏季・冬季集中講習」などを実施している。7月の「進路週間」では有名な大学・企業の説明会があり、生徒の進路を選択する指針にする。11月の「進路講演会」では社会で活躍する著名なOB・OGが卒業後の将来について夢を語る。「土曜自習室」ではOB・OGの個別指導が受けられる。また通常授業のほかに自由参加の、ゼロ時限と呼ばれる「早朝講習」や「夏季・冬季集中講座」などが実施され、受験勉強が強化される。
[編集] 学校行事
「記念祭」と称して、初日に体育祭、2・3日目に文化祭を実施し、最後にフォークダンスとファイヤーフォークでしめくくる。記念祭の実施は、秋(9月下旬)であるが、5月に生徒実行委員会が発足し、クラブ・クラス毎に準備活動を始める。記念祭のほかに、年に2回、やはり生徒自治会が中心となって実施するクラス対抗の校内大会があり、主に球技を行っている。各クラスにおける討論の結果を反映させ「自治会」が種目の決定する。当日の運営も「自治会」の手で行う。
修学旅行(2年生.以前は研修旅行という名称だった)はいくつかのコースかの中から、各生徒が行きたいところを選択する。全員が同じ場所へ行くとは限らない。希望者数が最低催行人員を下回ったコースを撰んだ者のみ再選択となる。
[編集] 出身著名人
[編集] 学者
- 森三樹三郎(6期・1928年卒)大阪大学・名誉教授(中国思想史)
- 野田又夫(6期・1928年卒)京都大学・名誉教授(西洋近代哲学)・勲二等瑞宝章
- 西嶋庄次郎(8期・1930年卒)大阪大学・名誉教授(口腔解剖学)・勲三等旭日中綬章
- 鞠谷宏士(17期・1939年卒)元東京商船大学(現東京海洋大学)・学長
- 西口直治郎(26期・1949年卒)大阪市立大学・名誉教授
- 石井威望(27期・1950年卒)東京大学・名誉教授、元国土交通省国土審議会会長
- 上田篤(27期・1950年卒)京都精華大学・名誉教授、建築家
- 肥田晧三(27期・1950年卒)元関西大学・教授
- 三浦精(27期・1950年卒)京都大学・名誉教授
- 早川徹(30期・1953年卒)元大阪大学医学部付属病院・院長
- 井上宏(31期・1954年卒)関西大学・名誉教授、日本笑い学会会長
- 高村直助(32期・1955年卒)東京大学・名誉教授(日本近代経済史・産業史)
- 応地利明(33期・1956年卒)京都大学・名誉教授(アジア・アフリカ地域研究)
- 石黒武彦(34期・1957年卒)同志社大学大学院総合政策科学・教授
- 鳥居宏次(34期・1957年卒)奈良先端科学技術大学院大学・第3代学長(ソフトウェア工学)
- 池野忠央(35期・1958年卒)大阪芸術大学・教授
- 植村榮 (36期・1959年卒)京都大学大学院工学研究科・名誉教授(有機化学・合成化学)
- 西田吾郎(39期・1962年卒)元京都大学・副学長、京大囲碁部顧問
- 二瓶文博(39期・1962年卒)大阪大学・常勤監事
- 宮原秀夫(40期・1963年卒)大阪大学・第15代総長(情報ネットワーク)
- 小川裕充(44期・1967年卒)東京大学・教授 ・東洋学研究情報センター長(中国絵画史)
- 野田和正(44期・1967年卒)神奈川県立がんセンター呼吸器科・部長
- 審良静男(48期・1971年卒)大阪大学医学部・教授(免疫学)
- 池尾和人(48期・1971年卒)慶應義塾大学経済学部・教授(金融論)
- 石蔵文信(51期・1974年卒)大阪大学大学院医学研究科・准教授
- 古郷幹彦(51期・1974年卒)大阪大学・歯学部付属病院副病院長・教授
- 影山龍一郎(52期・1975年)京都大学ウイルス研究所・教授
- 高口洋人(66期・1989年卒)建築家、早稲田大学創造理工学部・准教授
[編集] 経済・財界
- 武田長兵衛(1期・1923年卒)元武田薬品工業・会長
- 坂本勇(7期・1929年卒)元住友電気工業・代表取締役社長
- 田中太郎(29期・1952年卒)元近鉄百貨店・取締役社長
- 前田肇 (31期・1954年卒)関西電力・特別顧問
- 正田文男(31期・1954年卒)元ニッセイ基礎研究所(日本生命保険の関連企業)・代表取締役社長
- 出馬迪男(33期・1956年卒)元関西テレビ放送・会長
- 熊本昌弘(37期・1960年卒)神戸製鋼・第16代取締役社長
- 森田隆和(41期・1964年卒)参天製薬・代表取締役会長兼CEO
- 増田清(42期・1965年卒)元オムロンIT研究所・所長
- 早田平(42期・1965年卒)元清水建設設計本部長・東京建築検査機構・取締役
- 中川潤子(51期・1974年卒)シャープ通信融合端末事業部・副事業部長
[編集] 文化・芸能
- 織田作之助(9期・1931年卒)小説家
- 高川格(11期・1933年卒)囲碁棋士
- 飯干晃一(20期・1942年卒)作家
- 山本勝一(21期・1943年卒)観世流能楽師
- 村岡三郎(25期・1947年卒)彫刻家
- 黒田清(27期・1949年卒)ジャーナリスト、日本ノンフィクション賞、菊池寛賞
- 柴田侑宏(28期・1950年卒)宝塚歌劇団・脚本演出家・理事
- 大塚善章(29期・1952年卒)ジャズピアニスト・関西JAZZ協会会長
- マルセ太郎(金原正周)(30期・1953年卒)演芸家・ボードビリアン
- 藤原伊織(43期・1966年卒) 小説家、江戸川乱歩賞・直木賞
- 森村泰昌(47期・1970年卒)現代芸術家
- 二宮由紀子(51期・1974年卒)童話作家
- 花柳旭夓(きょくそう)(52期・1975年卒)舞踏家
- 北林佐和子(56期・1979年卒)脚本・演出家
- 波岡一喜(74期・1997年卒) 俳優
- 牧美也子 漫画家
- 寺平博次 DJ
- 梁石日(ヤン・ソギル)(定時制課程卒)小説家
[編集] 政治・その他
- 中尾正平(3期・1925年卒)元大阪市教育長
- 安井郁(3期・1925年卒)原水爆禁止日本協議会・初代理事長、元法政大学・教授
- 鵜川益男(7期・1929年卒)元農林省営林局長、弁護士
- 前田武志(33期・1956年卒)民主党・参議院議員
- 森本清一(35期・1958年卒)弁護士、藍綬褒章授章
- 梶本徳彦(38期・1961年卒)元大阪府副知事
- 平井正夫(43期.1966年卒)独立行政法人・郵便貯金・簡易生命保険管理機構初代理事長
- 北島孝久(52期・1975年卒)元検察庁特捜検事
- 青山吉伸(55期・1978年卒)元オウム真理教所属の弁護士
- 大江兵馬( 期・ 年卒)元東京地検特捜部長
- 堀新助( 期・ 年卒)元駐イタリア大使、元パシフィック・リーグ会長
- 稲葉良幸( 期・ 年卒)弁理士
[編集] 教職員
[編集] 話題
- 創立年(1918年)が同じ東京の小石川高校(旧制府立五中)はこの高津高校と校風がよく似ているといわれる。1955年9月24日毎日新聞(大阪版)「高校風土記」にて、旧制中学・新教育のモデル校として東に東京五中あり西に高津中学あり、と紹介された。
- 「高津エンヤラヤ節 斉唱!」と歌い始める、歴代の生徒が教師に対する親近感から創作し伝承される歌がある。伝統的に記念祭のファイアーストームやサークルのコンパなどで大合唱されたが、最近は歌われる機会も少ない。
- 1987年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「はっさい先生」の舞台である上本町中学のモデル校になり、当時は高津高校でロケも行われた。
- 2005年9月の第25回全国高等学校クイズ選手権(日本テレビ系)では、大阪府代表として男子バレーボール部3年生の3人が出場し、全国3位となった。