大阪府立大手前高等学校
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過去の名称 | 大阪府女學校 大阪府立高等女學校 市立大阪高等女學校 市立大阪第一高等女學校 大阪府中之島高等女學校 大阪府立堂島高等女學校 大阪府立梅田高等女學校 大阪府立大手前高等女學校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
設立年月日 | 1886年 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程・定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制(全日制) 単位制(定時制) |
設置学科 | 全日制:普通科・理数科 定時制:普通科 |
学科内専門コース | 定時制:生涯学習コース(4年制) 定時制:定通併修コース(3年制) |
所在地 | 〒540-0008 |
大阪市中央区大手前2-1-11 | |
電話番号 | 06-6941-0051 |
FAX番号 | 06-6941-0051 |
外部リンク | 公式サイト |
大阪府立大手前高等学校(おおさかふりつおおてまえこうとうがっこう)は、大阪府大阪市中央区大手前にある公立高等学校。
目次 |
[編集] 概要
1886年(明治19年)に大阪府女学校として創立した。その名残のため、現在でも出席番号は女子から始まる。かつては北野高校、天王寺高校と合わせて「(大阪府立)御三家」と称され、現在でも進学実績は大阪府下有数である[1]。普通科は旧3学区に属していたが、2007年の学区統合により新2学区(旧3、4学区)に属することになった。理数科は大阪府全域から入学できる。校舎は本館・理科棟・別館・金蘭会館などに分かれている。本館は7階建てで、公立高校としては数少ないエレベーターを2機設置している。
前・後期制を採用しているため、秋期休業日(秋休み)が数日間ある。普通科の文系理系分けが2年前期終了時点となるため、1年、2年前期、2年後期・3年という変則的な期間でクラス替えが行われる(つまり2年後期からは1年半の間同じクラスとなる)。授業は65分×5コマで、コマ数の都合により2週間サイクルの時間割を組んでいる。二週間の授業数の合計を2で割って、「ユニット」という単位を算出し、留年等を決定している(前期にはその年度中に追認試験があるが、後期の追認試験は次年度であり、三年次には後期の追認試験はない。また、年度末に、6教科12ユニットを超えて単位保留になった場合、留年となる)。2007年からは、年間15回土曜日の午前中の部活を原則禁止にして、希望者補講などの学習活動日にあてている。
また、行事がある日や終業式などの日でも可能な限り授業を行っている。定時制があるため全日制の生徒は17時50分完全下校となっており、部活動が行える時間が限られている。制服の着用が義務付けられているが、遠足および修学旅行には私服での参加となる。
自転車通学は、交通機関の利便性に富んでいる、自転車置き場を作るスペースがないという理由で禁止されている。不定期で自転車指導があり、本校教員が学校周辺を巡回し、校則違反した生徒に厳重注意を促している。
1956年(昭和31年)の映画『ゴジラの逆襲』に登場し、ゴジラ対アンギラスの戦いで校舎の一部が破損したエピソードを持つ。
金蘭会という同窓会を持ち、金蘭会中学校・高等学校・千里金蘭大学を設立した学校法人金蘭会学園の母体となっている。なお、金蘭会本部は同高校内にあり、パソコンルーム及び全校生徒が利用できるトレーニングルームは、全て卒業生の寄附金により創設されたものである。また、1986年には開校100周年を記念し大阪府立国際児童文学館と共同で児童文学に関する優れた研究を表彰する国際グリム賞を創設した[2]。
[編集] 沿革
- 1886年(明治19年) - 大阪府師範学校女学科より独立し、北区中之島に「大阪府女学校」として創立
- 1887年(明治20年) - 「府立高等女学校」と改称
- 1889年(明治22年) - 「市立大阪高等女学校」と改称
- 1900年(明治33年) - 「市立大阪第一高等女学校」と改称
- 1901年(明治34年) - 「大阪府中之島高等女学校」と改称
- 1902年(明治35年) - 「府立堂島高等女学校」と改称
- 1910年(明治43年) - 北区梅田に新築移転し、「府立梅田高等女学校」と改称
- 1923年(大正12年) - 「府立大手前高等女学校」と改称し、東区大手前之町(現在地:当時の住所表示)に新築移転
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により、旧制北野中学と教職員、生徒を半分ずつ交換して「府立大手前高等学校」となる
- 1948年(昭和23年) - 通信教育部(1962年通信制課程に改称)を設置(現在の大阪府立桃谷高等学校の前身)
- 1950年(昭和25年) - 「高等学校定時制課程」を設置
- 1966年(昭和41年) - 通信制課程を大阪府立桃谷高等学校として分離独立
- 1993年(平成05年) - 「理数科」を設置
- 2002年(平成14年) - エルハイスクール校に指定
- 2003年(平成15年) - 英国派遣事業開始
- 2006年(平成18年) - 創立120周年記念式典挙行
- 2007年(平成19年) - 卒業式のなかった昭和20年卒業生の「62年目の卒業式」挙行
- 2008年(平成20年) - スーパーサイエンスハイスクール校に指定
[編集] 設置課程
- 全日制
- 理数科(定員80人/1学年)
- 普通科(定員240人/1学年)
- 定時制
- 普通科
[編集] 交通
[編集] 行事
- 入学式(4月1日)(休日の場合は翌週の月曜日)
- 新入生オリエンテーション(4月・入学式の翌日から3日間)
- 文化系クラブ発表会(4月)
- 体力テスト(4月)
- 校外教授(遠足)(4月)
- 一年数学プレ中間(5月)
- コーラス大会(5月)
- 体育大会(5月)
- バレーボール大会(6月)
- 水泳訓練(1年生)(7月)
- 理数科サマースクール(2年生)(7月)
- 大阪大学見学会(1年理数科のみ)(8月)
- 文化祭(9月)
- 修学旅行(2年生)(10月)
- 校外教授(遠足)(1,3年生)(10月)
- 文化行事(10月)
- 集中セミナー(12月)
- 理数科集中セミナー(12月)
- 球技大会(12月)
- マラソン大会(2月)
- 卒業式(2月)
以前は、基本的に行事の後に定期テストがあった。また、行事は2日続けて行われることがあり、忙しすぎるなどと問題視する動きがあったため、自治会の努力により2005年に文化祭と体育大会が3日間、間をおいて実施された。
また、5月にコーラス大会や6月にバレーボール大会があるが、定時制課程があり校内に残れないため、大阪城公園の並木に放課後集まり、コーラスやバレーボールの練習をはじめる。
コーラス大会は以前まで体育館で行われたが、保護者の観客数が多く立ち見状態になるため、2006年から創立120周年を記念し東大阪市民会館で行われている。
[編集] 出身者
- 学者
- 山本義隆(元東大全共闘の議長、駿台予備学校講師、物理学者)60卒
- 河田惠昭(京都大学 防災研究所所長)64卒
- 吉岡一男(京大法学部長03-)64卒
- 加護野忠男(経営学者、神戸大学大学院経営学研究科教授)66卒
- 平田竹男(早稲田大学教授、元通産官僚)
- 中村一基(武庫川女子大学薬学部准教授)
- 万木孝雄(東京大学大学院農学生命科学研究科准教授)
- 文化人
- 湯川スミ(故湯川秀樹未亡人、世界連邦世界協会名誉会長)
- 仲田好江(画家、一水会)
- 桂信子(俳人、現代俳句協会顧問)
- 俵萌子(評論家)48卒
- 桂歌之助 (2代目)(落語家)65卒
- 中村孝義(音楽家)66.67卒
- 佐々木幹郎(詩人)67卒
- 岡龍二(リゾームLee。 2000年よりインドに定住。独自のサブボディ舞踏メソッドを創始し、国際舞踏練習場と野外劇場の建設を進める)67卒
- 三田誠広(作家、芥川賞受賞)68卒(一留)
- 経済
- 田部井昌子(関塾会長)49年(16歳で中退)
- 福井俊彦(第29代日本銀行総裁)54卒
- 小田切康幸(住友大阪セメント社長)55卒
- 森詳介(関西電力社長)58卒
- 大坪清(レンゴー社長)57.58卒
- 横田捷宏(中小企業金融公庫副総裁、元通産省官房審議官、日銀政策委員)60卒
- 石田忠良(松村組社長)62卒
- 十市勉(財・日本エネルギー経済研究所)64卒
- 赤井憲彦(東洋建設社長)
- 田代英壽(市進社長)
- 政治
- 中島章夫(元衆議院議員・日本新党)54卒
- 池田幹幸(よしたか)(元衆議院議員・共産党)58卒
- 肥田美代子(民主党)60卒
- 松原脩雄(しゅうお)(元衆議院議員・社会党、東大全共闘・安田講堂被告)64卒
- 山崎博昭(十・八羽田闘争で死亡)67卒
- 辻恵(前衆議院議員・民主党、東大全共闘)67卒
- 山田茂樹(革労協木元派の指導者)68卒
- 中田厚仁(国際連合選挙監視ボランティア、カンボジアにて活動中に襲撃を受け死去/阪大法学部卒)
- 西脇邦雄(大阪府議会議員)
- 浅田均(大阪府議会議員)
- 行政
- 法曹
- その他