革命的労働者協会(解放派)
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革命的労働者協会(解放派)(かくめいてきろうどうしゃきょうかい かいほうは)は、日本の社青同系新左翼党派。通称赤砦社派・木元派・山茂派。1999年、革労協が現代社派と赤砦社派に分裂して結成された。革労協現代社派との内ゲバや飛翔弾(ひしょうだん)発射事件で知られ、警察は極左暴力集団と呼称している。最近は組織の維持拡大のため大衆活動にも力を入れている。
- 指導者:山田茂樹
- 機関紙誌:『解放』
- 公然拠点:赤砦社(東京都台東区下谷)
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 結成の経緯
1999年5月、革労協の拠点であった明治大学で反共主義・ファンダメンタリズムなどを掲げる「明大ゴスペル愛好会」(ゴスペル研究会、ヨハン早稲田キリスト教会系列)との対立が激化した。明大ゴスペル愛好会への対応をめぐり、闘争をやめて事態の鎮静化を図ろうとする穏健派の山田茂樹ら反主流派(後に赤砦社派)と、徹底抗戦を主張する強硬派の狭間、千木良ら主流派(後に現代社派)が対立した。山田茂樹は個人の判断で勝手にゴスペル代表者と手打ちをしてしまい、「現代社」での反主流派への査問が始まった。そこで山田ら反主流派は現代社の占拠とクーデターを画策するものの失敗。結局、反主流派が革労協から分裂し現在の台東区下谷の賃貸マンションに新拠点の「赤砦社」を置き、山田茂樹をリーダーとした。主流派は現代社派・狭間派、反主流派は赤砦社派・山茂派・木元派などとも呼ばれている。
[編集] 現代社派との内ゲバ
1999年6月4日、現代社派が山田茂樹を襲撃し、後遺症を残すほどの重傷を負わせた。その後さらに現代社派は私服襲撃部隊を赤砦社派の拠点のひとつであった明治大学駿河台キャンパスに送り、学生活動家を襲撃しようとした(未遂)。一連の現代社派の襲撃に対して6月13日、赤砦社派は『6・13軍声明』を発表し現代社派との「全面戦争」を宣言。以後、両者は活動家の襲撃を繰り返し、14件の内ゲバが発生、04年の停戦までに双方合わせて10人(両党派各5人)が死亡することになる(下表参照)。この内ゲバの結果、現代社派は三里塚以外での重要拠点を赤砦社派に奪われ、赤砦社派は学内での内ゲバを口実に明治大学当局によって完全に排除されてしまった。また、両派ともに相手の絶滅を主張し、小型の出刃包丁やハンマーなどを使用した襲撃を続けたため逮捕者や離脱者が多数出て、組織の維持すら危うくなった。そのため2004年6月2日、現代社派による東京三ノ輪の赤砦社派アジト襲撃(赤砦社派2名死亡。通称6・2三ノ輪事件)を受けても赤砦社派は報復をせず、機関紙上で「今度(襲撃に)来たら死人の山となる」と発表するにとどまった。これは報復を自分の側からはしないとの宣言にも受け取れるため、事実上の停戦が成立したと言われている。さらに2006年初の機関紙上で赤砦社派は「党内闘争は最終結着した」と発表した。6・2三ノ輪事件から現在まで両派間に内ゲバは起きていないものの、公安警察は再燃を警戒している。
現代社派・赤砦社派間の内ゲバ死者数(●は現代社派、○は赤砦社派を表す)
- 99年|●●○
- 00年|●●○○
- 01年|●
- 02年|
- 03年|
- 04年|○○
なお、内ゲバの停戦工作は最後の襲撃となった6・2三ノ輪事件の前々から行なわれていたといわれている。2006年3月28日、手打ち担当者だったとされる赤砦社派の岸本修氏が死亡した。同派は心臓麻痺と発表したものの、手打ち工作で現代社派にだまされ6・2三ノ輪事件につながったことを理由とした粛清によるものと一部から指摘されている。現に警察も全身に皮下出血があったとして赤砦社を翌日に29日に家宅捜索している。しかしこれといった証拠は見つからず現在も真相は分かっていない。
[編集] 飛翔弾事件
赤砦社派は飛翔弾(=迫撃弾)発射を中心としたゲリラ事件を頻繁に引き起こしている。特に2002年から現代社派との内ゲバが小康状態に入ったため、今度は「対権力」へのゲリラ事件を頻発させるようになった。00年7月に引き起こした米軍横田基地への飛翔弾発射事件を皮切に、07年現在まで計9件のゲリラ事件を引き起こしている。9件中、8件は米軍基地、防衛庁、自衛隊などを狙った飛翔弾発射事件である。今のところ人的被害はゼロで、標的に着弾すらしないこともあるが公安は強く警戒している。
赤砦社派のゲリラ事件(07年現在迄。■は飛翔弾事件、□は時限発火装置事件を表す。)
- 00年|■
- 01年|
- 02年|□■
- 03年|■■■
- 04年|■■
- 05年|
- 06年|
- 07年|■
[編集] 年表
- 5月 革労協反主流派によるクーデターが失敗。革労協が現代社派(主流派)と赤砦社派(反主流派)に分裂する。
- 6月4日 山田茂樹が現代社派に襲撃される。
- 6月12日 明治大学駿河台キャンパスに赤砦社派学生活動家を狙って現代社派の私服襲撃部隊が潜入するも未遂に終わる。
- 6月13日 赤砦社派が『6・13軍声明』で現代社派との「全面戦争」を宣言。
- 7月2日 赤砦社派が出勤途中の現代社派明大生協理事をハンマーで撲殺。
- 7月21日 現代社派が赤砦派明大生協職員を殺害。
- 7月22日 現代社派の襲撃部隊が明治大学生田キャンパスの赤砦社派を狙ってキャンパスに侵入するも、赤砦社派はいち早く大学から退去。現代社派襲撃部隊37名全員が凶器準備集合罪と建造物侵入で逮捕される。
- 9月 赤砦社派が機関紙『解放』の発行を開始。
- 2月8日 現代社派襲撃部隊が福岡市内の駐車場において、現地に派遣されていた福井大学生の活動家を殺害。翌日に神奈川県真鶴駅で赤砦社派の襲撃部隊がその現代社派襲撃部隊のキャップを殺害、女性サブに重傷を負わせる。
- 7月3日 赤砦社派が米軍横田基地に向けて飛翔弾を発射。
- 8月30日 現代社派部隊が鶯谷駅東口で朝の通勤ラッシュ時に赤砦社派明大生協従業員組合書記長を刺殺。
- 12月10日 赤砦社派部隊が東京都清瀬市の路上で現代社派の革労協総務委員であるタクシー運転手を殺害。
- 2月17日 赤砦社派が防衛庁に向けて飛翔弾を発射。
- 6月2日 東京三ノ輪の赤砦社派アジト前で赤砦社派活動家3名が現代社派襲撃部隊の襲撃に遭い逃げ遅れた2名が殺害される。赤砦社派は機関紙上で「今度(襲撃に)来たら死人の山となる」と発表したが、今のところ報復行動は行っていない。
- 11月7日 赤砦社派が陸上自衛隊朝霞駐屯地に向けて飛翔弾を発射。
- 3月28日 赤砦社内で非公然活動家の大物であった岸本修氏が死亡。赤砦社派は死因を心臓麻痺としたが、警察は傷害致死の容疑で翌日社内を家宅捜査した。
- 2月12日 赤砦社派がキャンプ座間に向けて飛翔弾を発射。
[編集] 関連組織・団体
- 赤砦社
- 革命軍
- 全日本学生自治会総連合
- 革労協現代社派