大分スポーツ公園総合競技場
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大分スポーツ公園総合競技場 "九州石油ドーム (略称:九石ドーム)" |
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施設データ | |
所在地 | 大分県大分市 |
位置 | 北緯33度12分1.07秒 東経131度39分26.25秒 |
起工 | 1998年 |
開場 | 2001年 |
所有者 | 大分県 |
運用者 | 大宣 |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 長さ m × 幅 m |
照明 | 1,500ルクス |
大型映像装置 | 1基 |
建設費 | 250億円 |
設計者 | 黒川紀章建築都市設計事務所、竹中工務店、他2社JV |
建設者 | 竹中工務店、他2社JV |
旧称 | |
大分スポーツ公園総合競技場 ビッグアイ | |
使用チーム・開催試合 | |
大分トリニータ(Jリーグ)(2001-現在) 2002 FIFAワールドカップ |
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収容能力 | |
40,000人 | |
アクセス | |
大分バス・「九石ドーム東」バス停 |
大分スポーツ公園総合競技場(おおいたスポーツこうえん・そうごうきょうぎじょう 英称:Oita Stadium)は、大分県大分市の大分スポーツ公園内にある陸上競技場。球技場としても使用される。Jリーグ・大分トリニータがホームスタジアムとして使用している。施設は大分県が所有し、大宣が指定管理者として運営管理を行っている。
2007年の東京都知事選に立候補した建築家黒川紀章が建築を手がけている。
施設の命名権(ネーミングライツ)売却により、2006年3月1日から通称を九州石油ドーム(きゅうしゅうせきゆドーム)としているが、九石ドームという略称も使用される。
また近くには、キーテナントにジャスコが入ったショッピングセンターの「パークプレイス大分」がある。
目次 |
[編集] 歴史
2001年開場。翌2002年開催の2002 FIFAワールドカップ、2008年開催の国民体育大会(チャレンジ!おおいた国体)と全国障害者スポーツ大会(チャレンジ!おおいた大会)に備えて建設された。また同年から、大分トリニータのホームスタジアムとなった。開場当初は通称を大分スタジアムとし、一般公募によって決まった愛称ビッグアイも付与された。上空から見たスタジアムが目のように見えるのが由来である。また施設管理は、開業当初は県の外郭団体であった「大分スポパーク21」が、その後大分県の機構改革により、同法人と同じく外郭団体だった大分県文化振興財団(オアシスひろば21の運営法人)が統合された「大分県文化スポーツ振興財団」が行っていた。
しかしFIFAワールドカップ以後は維持費の確保などが問題となったことから、施設の活用策の一環として命名権を売却することとなり、大分市に製油所を保有する九州石油(本社:東京都)が年間7000万円で3年間契約した。2006年3月1日から呼称を「九州石油ドーム」とし、公園内にあるその他の施設にも同社のブランド名である「ストーク」を冠した名称が付与された。但し、国際大会など大会・興行のスポンサー以外の企業名称が使用できない場合は、正式名称である「大分スポーツ公園総合競技場」を使用する。また、施設の呼称が変更になった現在でも、地元の住民やサッカーファンからは旧来の愛称である「ビッグアイ」と呼ばれることも多い。
2006年4月1日より、広告代理店の株式会社大宣(ADKパートナー)が指定管理者となり、大分県文化スポーツ振興財団から業務を引き継いだ。
2007年には、Jリーグの広報ポスターに写真が用いられている(リーグのロゴマークやスローガン『Will Be』などが書かれてある背景にピッチの全体が掲載されている[1])。
九州石油との契約は2009年3月までであるが、2008年10月に九州石油が新日本石油(J1FC東京のユニフォーム(胸)スポンサーでもある)に吸収合併されること方針となったため、この契約の更新についても協議が行なわれていたが、国体開催終了までは名称を継続することになった。
[編集] 施設概要
[編集] 座席とグラウンド
- 収容人員40,000人(固定席は約34,000人、最前列にあたる可動式座席に約6,000人)。
- ※オープン当初は収容人員43,000人であった(2002 FIFAワールドカップ後、可動席の前半分のブロックを廃止)。
- ※可動席は、サッカー日本代表の国際試合、あるいはJリーグ・トリニータ主催試合でも観客動員が特に見込める試合等で使われる。
- 2001年5月の第1次オープン時は、球技専用の形で陸上トラック部分には人工芝を取り付けていた。
- 2003年3月に陸上競技用トラック9レーン(ブルートラック 日本陸連第1種公認)を開設してグランドオープン(開設当初はサブ競技場未完成の為2種公認だった)。
- 天然芝グラウンド(各種球技に対応)。
[編集] 機能と装備
- 可動式の屋根を持ち、競技場部分が天候やイベントに応じて自由に開閉可能。
- 電光掲示板、大型映像装置あり。
- 付属施設 サブ競技場(ストークグラウンド・日本陸連三種公認)、投てき練習場(ストークフィールド)、屋内練習場(バックスタンド内)。
- オープン当初は屋根の梁を利用したスカイカメラが設置されていたが、2003年に廃止された。
- メインスタンド側ホワイエには、2002 FIFAワールドカップの資料等を納めた展示室『メモリアル・アイ』がある。
[編集] 交通
- JR大分駅から大分バスの路線バスD46、D47、D51、E30、E31系統で「九石ドーム東」バス停下車。
- 大分自動車道の大分米良インターチェンジが近いが、渋滞時は東九州自動車道の大分宮河内インターチェンジを利用した方が早いことがある。
- ※J1公式戦等の大規模イベント時には大分バス本社前3番乗り場から直行の臨時バスが運行される。
- ※サッカー日本代表の試合開催時には福岡市の西鉄天神バスセンターなどから直行の臨時バスが運行されることがある。
[編集] 開催された主なイベント・大会
- 2001年7月4日 - キリンカップサッカー2001 日本代表 対 ユーゴスラビア(当時)代表
- 2002年6月10日 - 2002 FIFAワールドカップ 予選H組 チュニジア代表 対 ベルギー代表
- 2002年6月13日 - 2002 FIFAワールドカップ 予選G組 メキシコ代表 対 イタリア代表
- 2002年6月16日 - 2002 FIFAワールドカップ ラウンド16 スウェーデン代表 対 セネガル代表
- 2002年8月10日 - B'z LIVE GYM 2002 "GREEN" -GO★FIGHT★WIN-
- 2003年4月28日 = 6月28日 - 第20回全国都市緑化おおいたフェア(おおいた緑・香り・夢フェスタ'03)
- 2003年11月19日 - キリンチャレンジカップ2003 日本代表 対 カメルーン代表
- 2005年7月30日 - a-nation'05
- 2005年10月9日 - 2005 JOMOオールスターサッカー J-WEST 対 J-EAST
- 2006年3月30日 - キリンチャレンジカップ2006 日本代表 対 エクアドル代表
- 2006年9月30日 = 10月1日 - 第54回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会
- 2007年8月4日 - Mr.Children HOME TOUR 2007 - in the field -
- 2007年8月22日 - キリンチャレンジカップ2007 ALL FOR 2010! 日本代表 対 カメルーン代表
- 2007年10月19日 = 10月21日 - JOCジュニアオリンピックカップ 日本ジュニア・ユース陸上選手権大会
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- (第23回日本ジュニア陸上競技選手権大会・第1回日本ユース陸上競技選手権大会)
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[編集] 今後開催が予定されている主なイベント・大会
- 2008年9月26日 - 10月7日 第63回国民体育大会(チャレンジ!おおいた国体)開・閉会式、陸上競技、サッカー決勝戦
- 2008年10月11日 - 10月13日 第8回全国障害者スポーツ大会(チャレンジ!おおいた大会)開・閉会式、陸上競技
[編集] 屋根の開閉による問題点
- 2003年までは状況に応じて屋根を開閉していたが、それが災いし芝生の成長を妨げる結果となった。特に2001年の開場後すぐ行われたこけら落としのJ2リーグ大分トリニータ対京都パープルサンガ戦では、試合中に剥れた芝生がはねてしまい、芝生の管理が問題視された。この為9~10月に当地で開催予定だったトリニータ主催試合の一部が大分市営陸上競技場に振り替えられたほどである。
- 芝生保護の観点から、2004年以降は屋根を閉める必要があるイベント(コンサートなど)以外、原則として屋根を開けた状態にしてあるという。Jリーグでも、雨天時以外は同様である。
- 季節により、屋根を閉じた状態であるとスタジアム内が蒸し暑く感じるという意見がある。送風機能は一部の場所に限定されているという。
[編集] 外部リンク
2002 FIFAワールドカップスタジアム
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