塩野七生
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塩野 七生(しおの ななみ、1937年7月7日 - )は、東京都出身の作家、小説家。女性。「七生」の名は、7月7日の「生まれ」であることに由来する。
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[編集] プロフィール
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。1963年からイタリアへ遊学し、1968年に帰国すると執筆を開始。雑誌『中央公論』掲載の『ルネサンスの女たち』で作家デビューを果す。
1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。又同年から再びイタリアへ移り住み、その後イタリア人医師と結婚(後に離婚した)。イタリア永住権を得ており、現在もイタリアの首都・ローマに在住。舞台をイタリア中心に限定し、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆し続ける。ユリウス・カエサルの熱烈な崇拝者で政治家としての理想像はカエサルであると公言している。そのため執筆活動はイタリアで行っている。また、現在の政治家として英国のトニー・ブレア前首相を高く評価しており、その理由として「誠心誠意、言葉を尽くし訴える姿勢」を挙げている。ブレアは後年、イラク戦争参戦で激しい攻撃を受けるが、一方で反対勢力に対し最も言葉を尽くしてその大義を説いていたのもブレアである。
1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年第15巻『ローマ世界の終焉』にて完結した。現在も『文藝春秋』でエッセイを担当しており、歯に衣着せぬ論評が好評を博している。
[編集] 代表作
[編集] 小説
- 「ローマ人の物語」(1992年から2006年 新潮社)
- 『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 上・下』 (1980年 中央公論社)
- ヴェネツィア共和国の興隆記
- 『コンスタンティノープルの陥落』 (1983年 新潮社)/ 〔英訳〕 The Fall Of Constantinople (2005/07) ISBN 1932234179
- 15世紀後半、キリスト教世界とメフメト2世率いるオスマン帝国による、コンスタンティノープルをめぐる争いを描く。(コンスタンティノープルの陥落を参照)
- 『ロードス島攻防記』(1985年 新潮社)/ 〔英訳〕 The Siege of Rhodes (2006/11) ISBN 1932234322
- 『レパントの海戦』(1987年 新潮社)/ 〔英訳〕 The Battle of Lepanto (2007/1) ISBN 1932234330
- 『ルネサンスの女たち』(1973年 中公文庫)イザベラ・デステ、ルクレツィア・ボルジア、カテリーナ・スフォルツァ、カテリーナ・コルネールの4人の女性の生涯を描いた連作。
- 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』 (1970年 新潮社)
- 『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡』 (1987年 中央公論社)ルネサンス期のイタリアを生きた現実主義者マキャベリの生き様とその生きた時代を描く。
- 『神の代理人』(1972年 中央公論社)ルネサンス期に活躍したローマ法王5人を描く。
- 『緋色のヴェネツィア 聖マルコ殺人事件』 (1993年 朝日文庫)
- 『銀色のフィレンツェ メディチ家殺人事件』 (1993年 朝日文庫)
- 『黄金のローマ 法王庁殺人事件』 (1995年 朝日文庫)
[編集] エッセイ
- 『イタリア遺聞』
- 『サイレント・マイノリティ』
- 『イタリアからの手紙』
- 『おとな二人の午後』
- 『ローマから日本が見える』(2005年、集英社インターナショナル)
- 『男たちへ』
[編集] その他
- 『マキアヴェッリ語録』(1992年 新潮文庫)
[編集] 受賞
- 1970年 毎日出版文化賞
- 1982年 サントリー学芸賞『海の都の物語』
- 1983年 菊池寛賞
- 1993年 新潮学芸賞『ローマ人の物語Ⅰローマは一日にしてならず』
- 1999年 司馬遼太郎賞
- 2000年 イタリア共和国功労勲章(グランデ・ウッフィチャーレ章)
- 2005年 紫綬褒章
- 2007年 文化功労者
[編集] 舞台化
『緋色のヴェネツィア 聖マルコ殺人事件』と『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』 が宝塚歌劇団によって舞台化された。別項参照。