北橋健治
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日本の政治家 北橋健治 きたはし けんじ |
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生年月日 | 1953年3月19日(55歳) |
出生地 | 兵庫県西宮市 |
没年月日 | |
死没地 | |
出身校 | 東京大学法学部 卒業 |
前職 | 政党職員 |
現職 | |
所属政党 | 無所属 |
称号・勲章 | 法学士 |
世襲の有無 | 無 |
親族(政治家) | |
配偶者 | |
サイン | |
公式サイト | 北橋健治 |
第12代北九州市長 | |
内閣 | |
選挙区 | |
当選回数 | |
就任日 | 2007年2月20日 |
退任日 | |
退任理由 | |
所属委員会 | |
議員会館 | |
元首 | |
衆議院議員 | |
内閣 | |
選挙区 | 福岡県第9区 |
当選回数 | 6回 |
就任日 | 1986年 |
退任日 | 2006年12月 |
退任理由 | 北九州市長選挙出馬のため |
元首 | |
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選挙区 | {{{選挙区3}}} |
当選回数 | {{{当選回数3}}} |
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その他の職歴 | |
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北橋 健治(きたはし けんじ、1953年3月19日 - )は、日本の政治家。北九州市長(1期、第12代)。民社協会専務理事。
衆議院議員(6期)を務めた。
目次 |
[編集] 概要
東京大学在学中に、欧州の社会民主主義を研究するため、鈴木則之(現:国際自由労働連合組合アジア太平洋組織書記長)と社会思想研究会を設立。
民社党職員から1986年に衆議院議員に転身したが、これ以降現在まで北九州市(八幡東区)を本拠としている。
集団的自衛権の行使に消極的で、社会保障の充実にも熱心である。尊敬する人物の一人としてブラント(元ドイツ社会民主党党首、西ドイツ首相)を挙げ、公式サイトで自身の思想を社会民主主義とするなど、タカ派色の強い議員も内在する民社党系議員の中では左派に属する。岡田克也の側近だった。
2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]。
2007年2月の北九州市長選挙に出馬を表明し、12月に民主党を離党し、衆議院議員を辞職。これに伴い、楠田大蔵が繰上当選。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 1977年
- 民社党本部勤務。
[編集] 政歴
- 1986年
- 第38回衆議院議員総選挙(旧福岡2区・民社党公認)当選。
- 1990年
- 第39回衆議院議員総選挙(旧福岡2区・民社党公認)落選。
- 1993年
- 第40回衆議院議員総選挙(旧福岡2区・民社党公認)2期目当選。97,123票。
- 1994年
- 1996年
- 10月20日 - 第41回衆議院議員総選挙(福岡9区・新進党公認)3期目当選。91,757票。
- 1997年
- 1998年
- 2000年
- 6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙(福岡9区・民主党公認)4期目当選。102,016票。
- 2003年
- 11月9日 - 第43回衆議院議員総選挙(福岡9区・民主党公認)5期目当選。102,581票。
- 2005年
- 9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙(福岡9区・民主党公認)6期目当選(比例代表九州ブロックでの復活。選挙区を制したのは三原朝彦(自民党))。106,738票。
- 2007年
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
北九州市長 | ||
7 - 11代 末吉興一 |
12代 2007 ‐ 現在 |
13代 - |