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中原区(なかはらく)は、川崎市を構成する7区のうちのひとつである。サッカーJリーグの川崎フロンターレの本拠地である等々力陸上競技場や川崎市市民ミュージアムなどのある等々力緑地が区内にある。また、県内有数のパンジーの生産でも知られている。
[編集] 地理
川崎市のほぼ中部に位置する。区の東北は多摩川で東京都と境を接し、西南は横浜市港北区との境に矢上川が流れる。
[編集] 沿革
[編集] 近世以前
- 多摩川の流域平野には古い時期から居住が見られ、現在までに上丸子古墳などが発掘されている。
- 奈良時代に常楽寺が創建される。
- 平安時代初期に日枝神社が創建される。
- 12世紀後半に春日神社が創建され、この地域の荘園を支配する。
- 1604年、江戸と相模国中原(現在の平塚市中原)を結ぶ中原街道が定められ、丸子の渡しなどが整備される。
- 1608年、中原街道に小杉御殿が建造される。以後、多摩川による江戸防衛や将軍の鷹場の拠点として利用される。
- 1611年、二ヶ領用水が完成し、農業生産力が向上する。
- 1655年、東海道の重要性増加に伴い、小杉御殿が取り壊される。
- 1673年、中原街道の宿場として小杉宿が整備され、府中街道との交点になる小杉十字路を中心に繁栄する。
[編集] 近代
- 1889年(明治22年)、市制町村制の施行に伴い、橘樹郡の小杉村、上丸子村、宮内村、上小田中村、下小田中村、新城村の6か村が合併し、橘樹郡中原村に。
- また、同時に橘樹郡の木月村、苅宿村、今井村、市ノ坪村、井田村、北加瀬村の6か村が合併し、橘樹郡住吉村に。
- 1912年(明治45年) 東京府(現東京都)との境界が整理され、多摩川以南の地域(荏原郡玉川村大字等々力の内)が編入される一方、以北の地域(大字小杉の内)が離脱して荏原郡調布村に編入される。
- 1925年(大正14年)、中原村と住吉村が合併し、橘樹郡中原町に。(ただし、住吉村の大字北加瀬は日吉村に編入される。)
- 1926年(大正15年)、東京横浜電鉄(現在の東急)丸子多摩川(現在の多摩川)-神奈川(現在の横浜駅付近)間が開業し、町内を初めて鉄道が走る。
- 1927年(昭和2年)、南武鉄道(現在のJR南武線)川崎-登戸間が開業する。
- 1928年(昭和3年)、ガス橋が完成する。
- 1933年(昭和8年)、8月1日、中原町が川崎市と合併する。
- 1936年(昭和11年)、中丸子に日本電気玉川事業所が建設される。
- 1938年(昭和13年)、武蔵中原駅前に富士通信機(現在の富士通)が川崎工場を建設する。この時期に電気・機械の各工場が進出する。
- 1945年(昭和20年)、小杉、丸子、武蔵中原駅前付近が米軍の空襲を受ける。
- 1945年(昭和20年)、東横線に武蔵小杉駅が設置され、後に区内交通の拠点となる。
[編集] 現代
[編集] 経済
[編集] 商店街
[編集] 産業
事業所数・従業員数は、ともに川崎市内では川崎区についで多い。従業者数では、サービス業(48.9%)、卸売・小売・飲食店(22.5%)、製造業(17.0%)の順となる(平成13年度、川崎市)。大規模な事業所としては、富士通本店・川崎工場、NEC玉川事業場、三菱ふそうトラック・バス川崎製作所などがある。そのため、これらの企業の関連会社が数多くある。また、キヤノン、サントリー、ケーヒンなどの事業所もある。
[編集] 教育
[編集] 大学・短期大学
[編集] 高校
[編集] 中学
- 川崎市立平間中学校
- 川崎市立玉川中学校
- 川崎市立中原中学校
- 川崎市立西中原中学校
- 川崎市立住吉中学校
- 川崎市立今井中学校
- 川崎市立井田中学校
- 川崎市立宮内中学校
- 大西学園中学校
- 法政大学第二中学校
[編集] 小学校
- 川崎市立下河原小学校
- 川崎市立玉川小学校
- 川崎市立苅宿小学校
- 川崎市立西丸子小学校
- 川崎市立木月小学校
- 川崎市立東住吉小学校
- 川崎市立井田小学校
- 川崎市立大戸小学校
- 川崎市立大谷戸小学校
- 大西学園小学校
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- 川崎市立平間小学校
- 川崎市立下沼部小学校
- 川崎市立上丸子小学校
- 川崎市立中原小学校
- 川崎市立宮内小学校
- 川崎市立今井小学校
- 川崎市立下小田中小学校
- 川崎市立新城小学校
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[編集] 特別支援学校
[編集] 隣接している自治体
- 川崎市幸区、高津区、横浜市港北区、東京都大田区、世田谷区
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 観光
[編集] レジャー
[編集] 祭り
[編集] 中原区出身の有名人
[編集] 外部リンク