中原街道
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中原街道(なかはらかいどう)は、中世以前から続く古道で、江戸時代には江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)から平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)をつなぐ街道。江戸から平塚の中原御殿を結ぶ街道であったため、中原街道と呼ばれるようになった。相州街道、お酢街道、江戸間道、小杉道、こやし街道という別名があった。
中原口交差点以南の現在の中原街道の区間は現在の 東京都道・神奈川県道2号線および神奈川県道45号線に相当する。ただし現在は、中世の街道とは異なり、東京側の端は虎ノ門から品川区の中原口交差点までは国道1号(桜田通り)となっている。神奈川の端も神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線は西端が茅ヶ崎駅前となっているが、本来の中原街道は高座郡寒川町一之宮から田村の渡しもしくは四之宮の渡しで相模川を渡り、平塚市御殿へ達していた。
なお、中原街道の中継地に小杉御殿(武蔵小杉に作られた御殿)があったことから、川崎市の行政区である中原区の区名の由来ともなっている。
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[編集] 歴史
中原街道は、武蔵国・相模国を結ぶ街道としてかなり古くからある道で、日蓮が利用するなど、少なくとも中世には使用されていたらしいが、その成り立ちはよくわかっていない。一部は延喜式によって定められた東海道(江戸時代のものとはルートが異なる)に含まれていたらしいが、それ以前からあった道ではないか、とも言われる。また、一部は鎌倉街道の下の道でもあった。なお、「中原街道」と呼ばれるようになったのは、江戸時代に入って徳川幕府が行った1604年の整備以降である。
小田原北条氏の時代に本格的に整備をし、工事の際狼煙をあげ、それを目印に道を切り開いたため、比較的直線区間が多い。狼煙を挙げた場所で今も記録に残っているのは、「横浜市旭区の今宿南町、清来寺の裏山」「上川井の大貫谷」「三ツ境駅裏側」などがある。
1590年に徳川家康が江戸入りした際もこの街道を利用したと言われ、その後東海道が整備されるまでは江戸に向かう主要な街道であった。家康の死後、遺骨が久能山東照宮から日光東照宮に分骨されるときにも利用されたという。
小杉(現在の神奈川県川崎市中原区小杉御殿町)と平塚中原に御殿が作られると、将軍の駿府との往復の際や鷹狩の際などにも利用された。
東海道が整備されると幹線道としての役割は東海道に譲るが、江戸 - 平塚間をほぼ直線につなぐ道路であり、脇往還として沿道の農産物等の運搬や旅人の最速ルートとして利用された。東海道は大名行列に使われるため、その煩わしさを嫌う庶民や商人が利用した。赤穂浪士も東海道を避け、中原街道で江戸入りしたと伝えられている。
現在は江戸時代とルートが多少異なるが、なお主要地方道として利用されている。
[編集] 正式名称
- 東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線のすべての区間(神奈川県内の区間)
[編集] 通過自治体
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線
- 東京都道2号東京丸子横浜線
[編集] 交差する主な道や鉄道など(現在)
中原口交差点 - 国道1号(第二京浜、桜田通り)
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荏原出入口 - 首都高速道路2号目黒線
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(立会川)
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(東急大井町線)
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南千束交差点 - 環七通り(東京都道318号環状七号線)
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(呑川)
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田園調布警察前交差点 - 環八通り(東京都道311号環状八号線)
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丸子橋交差点(東京都側) - 多摩堤通り(東京都道11号大田調布線)
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丸子橋(多摩川)
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(多摩沿線道路(川崎市主要地方道幸多摩線))
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丸子橋交差点(神奈川県側) - 綱島街道(東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線)
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(東急東横線)
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小杉十字路交差点 - 国道409号(府中街道)
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上小田中交差点 - 南武沿線道路、JR南武線
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下新城交差点 - 宮内新横浜線
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千年交差点 - 市民プラザ通り(神奈川県道14号鶴見溝ノ口線)
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野川交差点 - 尻手黒川道路
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(矢上川)
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(第三京浜道路)
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勝田橋交差点 - 神奈川県道13号横浜生田線(新羽新道、勝田橋上は重複区間)、(早渕川)
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(横浜市営地下鉄)
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佐江戸交差点 - 横浜上麻生道路(神奈川県道12号横浜上麻生線)
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落合橋(鶴見川)
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中山橋(JR横浜線)
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都岡町交差点 - 国道16号
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下川井インター - 保土ヶ谷バイパス(国道16号バイパス)
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(相模鉄道)
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南台交差点 - 厚木街道(神奈川県道40号横浜厚木線)
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下瀬谷2丁目交差点 - 横浜市主要地方道18号環状4号線
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(境川)
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桜ヶ丘交差点 - 国道467号
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(小田急電鉄江ノ島線)
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綾瀬市深谷交差点 - 神奈川県道42号藤沢座間厚木線
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(東海道新幹線)
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用田交差点 - 神奈川県道22号横浜伊勢原線
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岡田交差点~景観寺前交差点神奈川県道47号藤沢平塚線
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(JR相模線)
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(小出川)
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交差点 - 神奈川県道44号伊勢原藤沢線
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(新湘南バイパス(国道1号バイパス))
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(千ノ川)
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茅ヶ崎駅前交差点 - 国道1号
[編集] 宿場
中原街道は脇街道であったため、東海道のような宿駅は設けられず、荷物等の受け渡しを行う継立場が下記の通り設けられた(なおこの継立場を中原街道の宿場とする見解もある)。
- 小杉(神奈川県川崎市中原区)
- 佐江戸(神奈川県横浜市都筑区)
- 瀬谷(神奈川県横浜市瀬谷区)
- 用田(神奈川県藤沢市)
[編集] その他
福山雅治の曲「桜坂」の舞台として有名になった桜坂は、旧中原街道の一部である。