上道村
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上道村(あがりみちむら)はかつて鳥取県に存在した村。現在の鳥取県境港市上道町。
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目次 |
[編集] 年表
- 1889年 - 新しい上道村発足
- 1890年 - 上道尋常小学校開校
- 1894年 - カナダ移民団(団長足立儀代松)渡航
- 1906年 - 農業補習学校開校
- 1907年 - 納税成績優秀村として表彰される
- 1909年 - 上道尋常小学校に高等科設置
- 1910年 - 納税成績優秀村として表彰される
- 1911年 - 優良村として内務大臣から表彰
- 1925年 - 上道神社境内に選奨記念碑建立
- 1930年 - 皇の松後鳥羽院駐輩記念碑建立
- 1949年 - 上道村体育協会発足
- 1951年 - 上道村体育協会、文部大臣表彰を受ける
- 1952年 - 上道駅設置
- 1954年 - 境港町発足により上道村廃村
[編集] 出来事
[編集] 優良村として全国表彰
- 1911年2月11日:全国約12000町村中の優良17町村の1村として内務大臣より表彰され金500円が授与された。この表彰を記念して1925年に上道神社境内に「選奨記念碑」(題字若槻礼次郎元首相)が建立された[1]。
[編集] 後鳥羽上皇記念碑
1930年8月、後鳥羽院駐輩記念碑が建立された。『旧上道村誌』によると、「隠岐島御選幸のとき、この浜べに御舟を寄せこの松の下で休まれ御晝食を摂られた松の下に一軒のカヤ葺の貧家があり、ここの老人がソバを献じた。松は樹齢千年を数える弓浜部第一の名木で、高さは18ヒロ、太さ5ヒロあったが明治30年(1897年)に枯れた。後の世の人はこの松を尊で“皇(おう)の松”と呼んだ。
[編集] 県表彰者
[編集] その他
[編集] 戸口の変遷(『鳥取県統計書』)
- 1902年:1725人(男:800、女:925) 311戸
- 1911年:1815人(男:824、女:991) 308戸
- 1916年:1791人(男:804、女:987) 339戸
- 1926年:1904人(男:851、女:1053) 405世帯
- 1935年:1998人(男:863、女:1135) 414世帯
- 1948年:2797人(男:1268、女:1592) 562世帯
[編集] 村吏員
- 村長
- 稲賀龍二 1890年3月-1914年2月
- 中嶋多蔵 1914年3月-1919年4月
- 松井惟一郎 1919年4月-1922年10月
- 稲賀龍二 1923年2月-1926年4月
- 増谷喬 1926年5月-1929年9月
- 村田梅太郎 1929年12月-1933年9月
- 堀田好太郎 1933年9月-1935年3月
- 松井惟一郎 1935年7月-1939年7月
- 足立正吉 1939年7月-1946年11月
- 松永誠一郎 1947年4月-1954年8月
- 藤本茂三郎 1889年11月-1890年3月
- 足立国五郎 1890年4月-1902年4月 [3]
- 中嶋多蔵 1902年4月-1914年3月
- 松井惟一郎 1914年4月-1919年4月
- 堀田隆三郎 1919年7月-1920年3月
- 松永誠一郎 1920年3月-1926年4月
- 松井惟一郎 1926年4月-1935年2月
- 足立正吉 1935年3月-1939年7月
- 生中誠三 1939年8月-1946年11月
- 藤本宰 1947年4月-1954年8月
- 足立国五郎 1889年12月-1890年3月
- 中嶋多蔵 1923年3月-1926年4月
- 角角次郎 1926年5月-1928年4月
- 足立正吉 1928年4月-1935年3月
- 藤本宰 1936年9月-1946年11月
- 遠藤元治 1947年4月-1954年8月
- 書記(就任期間不明)
中嶋多蔵、松井惟一郎、松永誠一郎、佐賀仲次郎、安達仁太郎、東明、藤本政、池淵松太郎、藤本宰、角弘、杉山房雄、遠藤巌、森川信雄、遠藤元治、堀田啓二、門岡喜久江、門永信、松下新治、橋本俊吉、東昌、遠藤謙二郎、里道勝己、門永礼子、片桐和子、里見倭文子、佐賀早苗[4]、[5]。
[編集] 村会議員
村会議員は次の通り(表中、補=補欠、死=在任中死去、辞=辞任のほか召集、取消、失格、隠居等を含む)
- 1889年:門松捨松(辞)、足立国五郎(辞)、堀田健三郎、堀田真吉郎、増谷喬、稲賀龍二、門永真九郎、藤本茂三郎
- 1892年:松下六太郎、松下傳三郎、増谷喬、堀田健三郎
- 1895年:堀田真吉郎、門永真九郎、門永尚一、足立毅一郎
- 1898年:増谷喬、松下六太郎、南菊太郎、浜田隆三郎
- 1901年:堀田真吉郎(辞)、門永真九郎(死)、里見栄次郎、足立毅一郎、門永栄太郎(補)、堀田六松(補)
- 1904年:南菊太郎、堀田隆三郎、松下傳三郎、松下六太郎、増谷喬、川尻吉郎平
- 1907年:門永栄太郎、池淵麗壽、堀田六松、足立毅一郎、里見栄次郎
- 1910年:川尻吉郎平、堀田隆三郎、南菊太郎、増谷喬、松下六太郎(死)
- 1913年:里見栄次郎(辞)、稲賀龍二、堀田隆三郎、増谷喬、門永栄太郎(辞)、川尻栄次郎、大森樽松、堀田六松、南菊太郎、足立令七
- 1917年:松下亮、里見正栄、安達英一郎、堀田隆三郎(辞)、増谷喬、足立令七、南菊太郎、生中熊治郎、川尻栄次郎、柏木直太郎
- 1921年:稲賀龍二、池淵達三、渋谷虎次郎、安達栄一郎(死)、堀田仲一、里見正栄、南菊太郎、松下亮、堀田源太、柏木直太郎
- 1925年:稲賀龍二、池淵達三、岩田幸一、堀田好太郎、柏木敬吉、村田梅太郎(辞)、打越亀太郎、増谷喬、松下喬、足立令七(辞)、里見正栄、渋谷虎次郎
- 1929年:生中誠三、堀田好太郎、堀田仲一(辞)、村上章、打越亀太郎、増谷喬、松永誠一郎、松下亮、足立陳、里見正栄、都田徳次郎、壽美幸一
- 1933年:清水純、増谷亨、足立陳、村上章、村田梅太郎、生中誠三、都田徳次郎、松永誠一郎(辞)、里見正栄、松下亮(辞)、柏木敬吉、壽美一三
- 1937年:生中誠三、坂本友二郎、里見正栄、村田恵一、大森友一、壽美一三、清水純、本池統一、都田徳次郎、足立陳、村上章、柏木敬吉
- 1942年:足立国雄、堀田実、佐賀省三、都田磯、村上公、里見正栄、増谷亨、永田正名、村田恵一、生中誠三、本池統一、清水純
[編集] 出身人物
- 足立正(教育者、郷土史家)
- 父は足立国五郎 養良高等小学校校長 第十二代境町町長 米子市立山陰歴史館初代館長 由木康は次男
- 足立荘(記者、実業家)
- 池淵家(医家)
- 稲賀龍二(政治家)
- 初代上道村長 第十一代境町長 西伯郡会議長 鳥取県会議長
- 鹿島平堂(教育者、俳人)
- 稲賀幸(医師)
- 佐賀省三(政治家、俳人)
- 藤本与喜(牧師、教育者)
- 藤本光清(体育家)
- ラジオ体操考案者の一人
- 由木康(牧師)
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 編集・発行 『境港市三十五周年史』 1991年