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三笑亭芝楽 - Wikipedia

三笑亭芝楽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三笑亭 芝楽さんしょうてい しばらく)は、落語名跡。江戸と上方の二流あるが、現在は双方とも空き名跡となっている。

なお、江戸2代目の亭号は「翁家」?、4代目以降の亭号は「柳亭」であるが、代数は通しで勘定されているため、便宜上、この項に含める。


目次

[編集] 江戸各代

[編集] 初代

初代 三笑亭芝楽(? - 1847年9月4日)は、後の2代目三笑亭可楽。本名、享年とも未詳。


[編集] 2代目

2代目 翁家? 芝楽(? - 1829年?)は、後の初代入船万蔵。俗に「ゆや金」と言う。本名、享年とも未詳。


[編集] 3代目

3代目 三笑亭芝楽生没年不詳)は、後の5代目三笑亭可楽。本名: 平田芳五郎。享年未詳。


[編集] 4代目

4代目 柳亭芝楽(後に騎江亭芝楽1872年3月5日 - 1953年3月25日)は、後の5代目柳亭左楽。本名: 中山千太郎。享年82。


[編集] 5代目

5代目 柳亭芝楽1886年1月 - 1930年1月、2月頃)は、初め3代目春風亭柳枝門下で8代目にあたる春風亭傳枝を名乗る。1909年頃、3代目柳家小さん門下で初代にあたる柳家小團治となる。1911年10月、5代目柳亭左楽門下に移り、師匠の前名である5代目芝楽を襲名。

声色、手踊りなどで名を売ったが、噺家芝居に出た際の借金で東京にいられなくなり、北海道小樽幇間となる。以降の消息は不明。本名: 伊藤栄三郎。享年不詳。


[編集] 6代目

6代目 柳亭芝楽1884年11月5日 - 1959年6月23日)は、後の5代目三遊亭圓橘。本名: 豊永豊太郎。享年74。


[編集] 7代目

7代目 柳亭芝楽1903年9月 - 1941年1月14日)は、後の7代目春風亭柳枝。本名: 渡辺金太郎。享年49。


[編集] 8代目

8代目 柳亭芝楽1905年12月15日 - 1959年10月8日)は、後の8代目春風亭柳枝。本名: 島田勝巳。享年55。


[編集] 9代目

9代目 柳亭芝楽1892年7月18日 - 1962年11月20日)は、初め1910年頃に?2代目柳亭左龍門下で龍松。翌年?7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)門下で夢松から大正に入り橘松、1917年頃に桂馬を経て、1921年2月に圓雀で真打となる。1923年5月に5代目柳亭左楽門下に移り、魚楽を経て、1933年10月に9代目朝寝坊むらくを襲名、1940年6月に9代目芝楽となる。

戦後は落語芸術協会に加入。1962年肝臓病になり入院。1963年11月4日退院するも、帰宅の途中に国鉄王子駅ホームから線路に下り、桜木町南浦和行きの京浜東北線に轢かれ死去。本名: 伊藤豊。享年70。


[編集] 10代目

10代目 柳亭芝楽1933年5月10日 - 1995年1月17日)は、本名: 茨木勢三。出囃子『海上はるかに』。享年62。

小樽出身で浦和育ち、1946年10月に5代目春風亭柳好門下で好燕。1951年10月、二つ目で小柳。1956年、柳好死去に伴い6代目春風亭柳橋門下へ。1967年4月、真打となり10代目芝楽を襲名。

野ざらし」「がまの油」を得意とした。操り人形の珍芸も得意とした。西川可女蔵の名で日本舞踊の師範の名取でもあり、弟子も多くいた。

[編集] 上方各代

[編集] 初代

初代 三笑亭芝楽1861年 - 1925年)は、本名: 辻村藤三郎。享年不詳。

初め4代目笑福亭吾竹門下で吾妻と言い、吾竹が1887年11月、京都で5代目三笑亭可楽を名乗った際、同時に上方初代の芝楽を名乗った。

1890年12月に上京し、4代目三遊亭圓生の客分として三遊派に加入し、翌年に初席。しかし、当時の東京には上方落語を受け入れる土壌は未だ育っておらず、初代桂小南以前に東上した上方噺家としての足跡は、そのまま忘れ去られてしまった。

1894年4月に真打昇進したが、間もなく京都に戻り、2代目桂文枝(後の桂文左衛門)門下で初代桂文光を名乗る。その後、何らかの理由で文光の名を返上させられ、芝楽に戻る。その後、1910年に6代目三笑亭可楽を襲名するも、錦座の経営難で転業になり引退当然のような形になった。

1911年7月、5代目橘家圓太郎から京都笑福亭の席亭の座を譲られる。晩年は、娘が祇園で営んでいた茶屋「辻村屋」で悠々自適の余生を過ごしたり、芸人(落語、講談手品など)を引き連れて老松会を組織し慈善公演を行なったりもした。

門下には、2代目三笑亭吾妻、2代目三笑亭小芝(後の4代目桂文團治)、桂三八らがいる。

実の子は佃家白魚(本名未詳)でその妻女が後に女剣劇の元祖といわれる青柳華嬢(大久保きよ)

[編集] 2代目

2代目 三笑亭芝楽(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。

明治中期頃の生まれ、初代芝楽の門下であった2代目三笑亭吾妻の実子で、初め小妻を名乗る。昭和の初め頃父と共に松旭会や三仲会の諸芸の一座を組織し活動していた。1938年2代目笑福亭福圓の勧めにより、2代目芝楽を襲名。5代目笑福亭松鶴主催の「楽語荘」同人となり、主に「上方はなしを聴く会」などで戦後まで高座に上がった。没年は昭和初期頃。

得意ネタは「質屋蔵」「浄瑠璃息子」「生貝」などがある。

[編集] 出典

  • 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社ISBN 458212612X
  • 『上方はなし』第24集 - 上方初代・2代目芝楽の肖像写真が掲載されている。


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