橘家圓太郎
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橘家 圓太郎(たちばなや えんたろう)は江戸噺家の名跡。当代は8代目。初代のみ橘屋。 6代目と7代目の間に5代目圓生の門で確認されているが目立った活躍がなく二つ目で終わっている為か代数として数えられてない。
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[編集] 初代
最初は2代目三遊亭圓生(よつもくの圓生)に入門し圓太郎となった。最初は芝居咄を演じ後に音曲咄に転じたは晩年には初代橘家圓橘を名乗っているが確証はない。背中にらくだの刺青を入れていたことから「らくだ」とあだ名された。実子は落語家で弟弟子三遊亭圓朝。本名は出淵長蔵。享年不明。
[編集] 2代目
後の5代目司馬龍生。
[編集] 3代目
(生没年不詳)
最初は2代目桂文楽(後の5代目桂文治)の門で金楽、後に三遊亭圓朝の門で三遊亭圓寿から圓太郎になった。生没その他詳細は不明。
[編集] 4代目
浅草駒形の生まれで圓朝の売れ出しの頃の弟子で萬朝、二つ目昇進し、三遊亭圓好、真打昇進では圓太郎襲名。最初は音曲師であり人気がない存在だったが、初代三遊亭萬橘が「へらへらっ!」という竹橋の鎮台(兵営)ラッパにヒントを得て中華そば屋のチャルメラの如きガタ馬車(乗合馬車)の御者が吹く真鍮のラッパを吹き、出囃子代わりに高座に上がるようになった。これが人気を博し珍芸ブームに乗って俗に「ラッパの圓太郎」と言われ、初代三遊亭萬橘の「へらへらの萬橘」、初代三遊亭圓遊の「ステテコの圓遊」、4代目立川談志の「釜堀りの談志」の4人をして珍芸四天王と言われた。この圓太郎の芸から乗合馬車のことを「圓太郎」「圓太郎馬車」などと呼んだ[1]。また、関東大震災直後の帝都交通の復旧手段として急遽登場した市営バス(現在の都営バス)は急造であったため、ガタ馬車同然の車体であった。このため、この市営バスにもこの言葉が引き継がれ「圓太郎バス」などとも言われた。
弟子に橘家圓左衛門がいる。享年54。
[編集] 5代目
東京の神田生まれ、19歳で2代目三遊亭圓馬に入門し伯馬を名乗った。後に4代目三遊亭圓生門下に移り橘家圓三に改名、後に4代目橘家小圓太となった。1899年春に京都に移り新京極の笑福亭という寄席に出向きそのまま京都で腰を据えた。1902年2月に5代目襲名の話が持ち上がり急遽帰京した。襲名披露会は同年3月の上席神田川竹において催された。しかし翌年には再び京都に戻っている。1904年9月には噺家の傍ら笑福亭の席亭(席主)を就任し経営に手腕を発揮し寄席の集客に力を入れた。その後は講釈等の寄席を数席買収し成功を収めている。晩年は寄席の営業、噺家を休業し神戸で料亭を営み、「実業家圓太郎」と言われた。1916年10月に反対派が組織されたとき他派との対抗の為に芸人の補強が必要だった為この圓太郎も招集され噺家に舞い戻った。その後は京都で隠居生活送った。音曲噺を得意とした。本名は斎藤徳次郎。享年不明。
弟子には橘家小圓太(戸塚韓太郎)、延若?初代三遊亭圓若?、三升亭?三升家?勝太郎
[編集] 6代目
(1861年10月 - ?)
東京の生まれ、神田の天狗連(素人衆)で万年家亀三郎と言い1888年3月に初代三遊亭遊三に入門し、三遊亭三玉を名乗り、1898年5月に初代小遊三、1914年1月に公園さらに1917年6月に6代目圓太郎襲名。「富山町」と言われた小遊三、公園時代に大いに売れ、音曲噺のSPレコードを残しているが圓太郎になって人気が落ち、昭和に入ると番付には見られなくなっている。没年不明。
[編集] 7代目
(1901年11月20日 - 1977年8月15日)本名は有馬寅之助。生前は落語協会所属。出囃子は『土佐ぶし』。俗に「八王子の圓太郎」。
元は代用職員出身で1925年、初代橘ノ圓に入門し、橘ノ百圓と名乗ったが師匠圓夫婦が京都で死去し、巡業中の5代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)の内輪弟子になり正岡容の尽力で1943年4月に7代目圓太郎襲名。その後8代目桂文楽一門にいたが修行が厳しく耐え切れず再び正蔵一門に戻っている。 正岡等の影響で自作の新作も多く「センターフライ」「福柳」「選挙」などがある。他は、音曲なども得意とした、興が乗ると大ネタ「紙屑屋」を披露し大いに客を沸かせている。
1977年8月15日に死去した。享年75。8代目圓太郎は正蔵の曾孫弟子が襲名した。
[編集] 8代目
(1962年(昭和37年)9月28日 - )落語協会所属。福岡県福岡市出身。本名は鵜野 英一郎(うの えいいちろう)。出囃子は『圓太郎囃子』。
トライアスロン好きとしても有名。第1回東京マラソンを完走し、そのまま鈴本演芸場の高座へ直行した。
[編集] 略歴
- 1982年1月 春風亭小朝に入門。前座名はあさり。なお、同月29日に師匠小朝の大師匠林家彦六が亡くなり、彦六にとって圓太郎は最初で最後の曾孫弟子である。
- 1987年 二つ目昇進。
- 1997年3月 真打昇進し8代目襲名。文化庁芸術祭新人賞受賞。
[編集] 外部リンク
- 圓太郎ホーム - オフィシャルHP
[編集] 出典
- ^ 出典:米川明彦編『日本俗語大辞典(第3版)』東京堂出版 2006年 96頁
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 古今東西噺家紳士録