ヴィクトリア十字勲章
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ヴィクトリア十字勲章(Victoria Cross, 略称VC)はイギリスおよびイギリス連邦構成国の軍人に対し授与される最高勲章である。「敵前において」勇気を見せた軍人に対してのみ授与されるため、軍を指揮する将軍、参謀などに授与されることはない。世界各国において制定されている勲章の中で最も授勲が困難な勲章であるといわれている。
メダルは幅35mmの十字形をしている。王冠にライオンの像がかたどられ、"For Valour(勇気に対して)"の文字が刻まれている。付属する勲符、リボンを含めた重量は27gほどである。
[編集] 歴史
ヴィクトリア十字勲章は1856年1月29日、クリミア戦争において勲功をあげた軍人に対し初めて授与された。初期のヴィクトリア勲章は全てセバストポリ包囲戦においてロシア軍から捕獲した中国製の青銅砲から鋳造されている。第一次世界大戦中からは義和団事件において中国軍から捕獲した大砲も原材料として用いられるようになった。これらの大砲の砲心はウールウィッチのRoyal Artillerry Barracksにおかれている。大砲の残り、メダルの鋳造に用いられる部分は現在358トロイオンスだけがのこっており、ダニントンの15 Regiment Royal Logistic Corpsで保管されているが、ここからは80から85のメダルの鋳造が可能であると見積もられている。メダルの製造は勲章が制定されたときからロンドンのHancocksが行っている。
[編集] 授章
1856年から合計1,355の勲章が授勲された。当初は生存者、それに加えイギリス本土出身者にのみ授与されていたが、20世紀のはじめには死後の授勲およびイギリス軍の指揮下にある全ての軍人に対しても授与されるようになった。1914年にインド人兵士に対して、植民地出身者として初めて授勲が行われた。
一日あたり最も多くの受勲者を出したの戦闘は1857年11月16日第一次インド独立戦争(セポイの乱)におけるラクナウ(Lucknow)包囲戦である。この日の戦功に対し24のヴィクトリア十字勲章が贈られている。一度の戦闘において最も多くの受勲者をだしたのはズールー戦争におけるRorke's Driftの戦闘(1879年1月22日)であった。またボーイスカウト運動の創始者ロバート・ベーデン・パウエル卿も、ボーア戦争におけるマフェキングの包囲戦での功績に対してこれを贈られている。
第二次世界大戦以後にヴィクトリア十字勲章を授勲したのは12名のみである。4名は朝鮮戦争で、1名は1965年のマレーシアとインドネシアの紛争で、4名がベトナム戦争で、2名がフォークランド紛争における勲功により授勲した。
最近では、イラク戦争において、2004年5月に武装勢力の待ち伏せ攻撃中に2度にわたり同僚を軍用車両の中から救助した、グレナダ出身のジョンソン・ベハリーに対して授与されている。生存している者に対してヴィクトリア十字勲章が授与されたのは1969年以来のことである。
これまでにヴィクトリア十字勲章を2度授勲したのはイギリス出身の衛生兵であるNoel Chavasse、Arther Martin Leake、ニュージーランド出身のCharles Uphamの3名のみである。
第二次世界大戦において、例外的にアメリカ軍の無名兵士に対して授勲された。これへの返答として、名誉勲章がイギリスの無名兵士に対して送られている。
オーストラリア、カナダ、ニュージーランドではイギリス本国の授勲システムに代わり自国の勲章を制定しているが、最高勲章は依然ヴィクトリア勲章であるとしている。1993年に制定されたカナダ・ヴィクトリア勲章はラテン語の代わりに英語の文字が刻まれている(2005年8月現在受勲者はいない)。
ヴィクトリア勲章授与のしらせは、伝統に従いロンドン・ガゼッタ紙で行われる。
日本に関連したところでは、下関戦争における勲功から2名のイギリス人と1名のアメリカ人が勲章を授与されている。以下にその授与者を記す。
- ダンカン・ボイズ
- トーマス・プライド Thomas Pride
- ウイリアム・シーリー William Seeley (アメリカ人)
[編集] 外部リンク