モンゴロイド
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モンゴロイド (Mongoloid) はかつての形態人類学上の「人種」[1]概念の一つ。黄色人種、モンゴル人種とも言う。黄色人種と一括りで呼ばれたが、実際の肌の色は茶褐色から淡黄白色と地域差が大きい。
最大に定義されたモンゴロイドは、東アジア・東南アジア・南北アメリカ大陸・太平洋諸島及びアフリカ近辺のマダガスカル島に分布する。
*ただし南北アメリカ大陸に分布するネイティブ・アメリカンを別人種と定義する場合もある。
*パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類される。かって、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されている。
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[編集] 概要
近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされる。その原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側であり、このことからモンゴロイドとされてきた集団を東ユーラシア人と表記する論文もある[2]。
図が示す「人種」の系統は、人類のアフリカ単独起源説を採用すれば、
- アフリカン(ネグロイド)から、コーカソイド(白人)が分岐
- コーカソイドから、オセアニアン(オーストラロイド)・イーストアジアン(モンゴロイド)が分岐
- イーストアジアンから、ネイティブ・アメリカンが分岐
というものである。 また、東北アジアのモンゴロイドの一部は、当時陸続きであったベーリング海峡を渡りアメリカ大陸に進出、現在のネイティブアメリカンの祖先となった。ネイティブアメリカンが原モンゴロイドの子孫であることは世界的な定説であるが、近年、ネイティブアメリカンをモンゴロイドから分岐した別集団とする考え方も提唱されている。
従来説は次のとおり。ただし、DNA分析の結果等から現在は否定されている。
- ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
- ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。
[編集] 「モンゴロイド」の出現と分化
近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示す。(各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来る。)
20 -15 万年前、アフリカ大陸において現生人類(ホモ・サピエンス)が出現(人類のアフリカ単独起源説)。その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となる。中東地域に進出した人類は、その後7万 - 5万年前にスンダ列島に進出、現在のオーストラロイドの前身となる。さらに、5万 - 4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出する。
ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドに分類される。しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなる。これが、後のモンゴロイドである[3]。
モンゴロイドはその後、1万4千 - 1万2千年前にベーリング海峡を渡りアメリカ大陸に進出。また、3千 - 2千年前には太平洋の島々にも移住した。
[編集] 古モンゴロイド
旧モンゴロイドも参照
中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、かっての形態人類学では古モンゴロイドと区分した。
琉球列島を含む日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされる。なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられている。
古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が低く両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられた。他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛、湿った耳垢、長めの腕脚、波状の頭髪、長頭、等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通する。
[編集] 新モンゴロイド
新モンゴロイドも参照
北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団が、かっての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々である。
日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説もある。
新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、凹凸の少ない顔立ち、蒙古ひだ、体毛、特に男性のひげの少なさ、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、短頭等がある。
[編集] モンゴロイド系とされた人々
南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったとの説が有力である。
モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達している(今日のポリネシア人、ミクロネシア人)。さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文明を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされる。(途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われる。
ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としていた。しかしモンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住したモンゴロイドは遊牧生活で身につけた騎馬技術に長けたため、古代から中世においては軍事的に優位な存在であり続けた。
彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出、その後、東ヨーロッパ及び中東・南アジア(インド亜大陸)にも進出した。特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至った。遊牧民であるモンゴル人は、軍事遠征の際は家族・家畜を帯同し部族全員で移住しながら行動を続けたためモンゴル人の侵入を許した地域では、モンゴル人と原住民の混血がおこった。
[編集] 「モンゴロイド」の区分
ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく旧モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しない。モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程旧モンゴロイドの比重が高まっているとされた。
ただし、新モンゴロイドや旧モンゴロイドという呼び方はあくまで極寒地域の環境に適応した形質的な表現方法であって、決して旧モンゴロイドが新モンゴロイドに進化したわけではない。なぜなら形質というのはここ数万年で環境に適応した結果だからである。しかし、遺伝子は環境によって変化はしない。そういった理由から、現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されている。遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もある。
[編集] 下戸遺伝子
近年のDNA分析では、モンゴロイドとその他人種との混血度を検証する手段として、アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)の突然変異(下戸遺伝子)を遺伝子マーカーとする方法が知られる。下戸遺伝子とは、ALDH の487番目のアミノ酸を決める塩基配列がグアニンからアデニンに変化したものである。この遺伝子は2万年程前に突然変異によって生じたとされ、特に新モンゴロイドに特有であり、この遺伝子を持つということは、黄色人種(新モンゴロイド)であるか、かつて混血がおこったことの証明となる。[1]。
筑波大学の原田勝二によると、日本においては九州と東北で下戸遺伝子が少ないという研究結果を出している[4]。
[編集] 分布
[編集] アジア
- アイヌ
- 大和民族
- 漢民族
- 満州族
- チベット人
- モンゴル人
- テュルク人
- 朝鮮民族
- ツングース人
- シベリアの先住民
- シベリア・イヌイット
- ヴェトナム人
- タイ族
- マレー人
- ナガ族
- カザフ人
- ブータン人
- 琉球民族 - 存在については意見が分かれている。
[編集] 太平洋
[編集] アメリカ大陸
「アメリカ大陸のモンゴロイド」を指してアメリンドという。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
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