ブリッジポート (コネチカット州)
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ブリッジポート(Bridgeport)は、アメリカ合衆国コネチカット州南西部に位置する都市。ニューヨークの北東約100kmに位置し、ニューヨーク大都市圏の一部をなしている。人口は139,529人(2000年国勢調査)で、コネチカット州最大の都市である。
ブリッジポートはフライングディスク発祥の地として知られる。もともとフリスビーとは同市に本社を置くパイ会社の名であった。しかしイェール大学の学生がパイ皿を逆さにして投げて遊んでいたところ思いのほかよく飛び、それがフライングディスクの原型となった。そのパイ皿にFrisbeeという社名が刻印されていたことから「フリスビー」という別名がついた。また、ブリッジポートはジョン・メイヤーの出身地としても知られている。
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[編集] 歴史
ニューイングランドの他地域同様、初期のブリッジポートは農業と漁業に支えられていた。やがて19世紀中盤に入ると、ブリッジポートは水深の深い湾の奥にあったため良い港となり、造船が発達した。また捕鯨の基地にもなった。1840年に鉄道が開通すると、こうした港湾都市としての特徴は一層強まった。
港の存在はブリッジポートの工業化を促した。19世紀後半になると、ブリッジポートでは製粉機、真鍮製部品、馬車、ミシン、鞍、弾薬などの産業が発達した。
1920年代に入ると、ブリッジポートではクー・クラックス・クラン(KKK)が勢力を張るようになった。KKKはコネチカット州全土に支持を広め、全盛期の1925年には15,000人もの支持者を集めた。しかし翌1926年にKKK内部で分裂が起こり、それに伴って衰退、州内各都市ごとの支部で細々と活動を続けるのみになった。
1930年頃、ブリッジポートは500以上の工場を抱える工業都市に発展した。移民も流入し、人口が爆発的に増加した。
しかし第二次世界大戦後、特に1970年代から1980年代にかけては、ブリッジポートは州内の各都市同様、苦難の中に置かれるようになった。アメリカ合衆国北部全体に広がった工業の衰退はブリッジポートでも例外ではなかった。それまで市の経済を支えていた工業の衰退は失業の増加をもたらし、治安を悪化させた。ブリッジポートはやがて殺人と麻薬絡みの犯罪で悪名が轟くようになった。加えて、エイズの感染も広がった。市内の工場跡は軒並み汚染が酷く、市に甚大な環境汚染をもたらしている。また、市の一部は完全に廃墟と化してしまった。
20世紀末から21世紀に入り、ブリッジポートはようやく失業と人口減少から抜け出し、地域のサービス業の中心地として、またニューヨーク大都市圏をなす郊外都市としての役割を担いつつある。比較的住宅価格が安いこともブリッジポートにとっては今や有利に働いている。全盛期に比べて人口は減少したものの、ブリッジポートはコネチカット州最大の都市であり続けている。しかし、保険産業の中心地となった州都ハートフォード、名門イェール大学を抱える学術都市ニューヘイブン、治安の良さを武器にニューヨークの郊外都市として成功したスタンフォードなど他の州内主要都市と比べると、ブリッジポートはまだ州民の間でも見過ごされやすい都市である。
[編集] 地理
ブリッジポートは北緯41度11分10秒西経73度11分46秒(41.18631, -73.19620)に位置している。ニューヨークのマンハッタンからは北東約100kmに位置している。
アメリカ合衆国統計局によると、ブリッジポート市は総面積50.2km²(19.4mi²)である。このうち41.4km²(16.0mi²)が陸地で8.8km²(3.4mi²)が水域である。総面積の17.53%が水域となっている。
[編集] 犯罪
1990年代前半、ブリッジポートでは殺人の発生率が非常に高く、人口10万人あたり40件前後を数えた。1993年には人口10万人あたりの殺人発生率43.8件でピークに達した。しかしその後は市の経済の回復、失業の減少もあって殺人発生率は減少に転じ、1995年には人口10万人あたり24.8件、2000年には13.6件、そして2003年には10.6件まで減少した。それでもなお、全米の平均(人口10万人あたり7-8件)よりは悪い水準である。[1]
[編集] 交通
ブリッジポートの玄関口となる空港はニューヨークの3空港(ジョン・F・ケネディ国際空港、ラガーディア空港、ニューアーク国際空港)である。いずれの空港からも車、または一旦ペンシルバニア駅へ出て鉄道でブリッジポートを目指すことができる。かつては市の東約4kmに位置するシコースカイ記念空港(Sikorsky Memorial Airport)にもボルチモア・ワシントン国際空港やボストンのローガン国際空港からの航空機の便があったが、1999年11月にUSエアウェイズの便が廃止されたのを最後に同空港は使われなくなった。
ブリッジポートの市内を州間高速道路I-95が通っている。I-95は大西洋岸の主要都市を結んでを南北に貫く幹線である。市の北側にはI-95と並行してフリーウェイになっているコネチカット州道15号線が東西に通っており、I-95のバイパスの役目を果たしている。
ダウンタウンにはアムトラックの駅があり、北東回廊線の中距離列車が停車する(ただしアセラ・エクスプレスは停車しない)。同駅にはニューヨークの近郊電車で、ニューヘイブンまで運行しているメトロ・ノース鉄道(Metro-North)も停車する。アムトラックとメトロ・ノース鉄道は同じ線路を使用している。
市の南海岸には港があり、ロングアイランドへのフェリーが発着する。また、地域の交通機関としては、グレーター・ブリッジポート交通局(GBTA)の運営する路線バスが市内および周辺をカバーしている。
[編集] 人口動勢
ブリッジポート市 年代ごとの人口[2][3] |
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1830年 | 2,800人 |
1840年 | 4,570人 |
1850年 | 7,560人 |
1860年 | 13,299人 |
1870年 | 19,835人 |
1880年 | 29,148人 |
1890年 | 48,866人 |
1900年 | 70,996人 |
1910年 | 102,054人 |
1920年 | 143,555人 |
1930年 | 146,716人 |
1940年 | 147,121人 |
1950年 | 158,709人 |
1960年 | 156,748人 |
1970年 | 156,542人 |
1980年 | 142,546人 |
1990年 | 141,686人 |
2000年 | 139,529人 |
基礎データ
- 人口: 139,529人
- 世帯数: 50,307世帯
- 家族数: 32,749家族
- 人口密度: 3,367.0人/km²(8,720.9人/mi²)
- 住居数: 54,367軒
- 住居密度: 1,312.0軒/km²(3,398.1軒/mi²)
人種別人口構成
- 白人: 45.02%
- アフリカン・アメリカン: 30.76%
- ネイティブ・アメリカン: 0.48%
- アジア人: 3.25%
- 太平洋諸島系: 0.11%
- その他の人種: 14.81%
- 混血: 5.57%
- ヒスパニック・ラテン系: 31.88%
年齢別人口構成
- 18歳未満: 28.4%
- 18-24歳: 11.2%
- 25-44歳: 30.5%
- 45-64歳: 18.4%
- 65歳以上: 11.5%
- 年齢の中央値: 31歳
- 性比(女性100人あたり男性の人口)
- 総人口: 91.2
- 18歳以上: 86.3
世帯と家族(対世帯数)
- 18歳未満の子供がいる: 34.3%
- 結婚・同居している夫婦: 35.0%
- 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 24.0%
- 非家族世帯: 34.9%
- 単身世帯: 29.0%
- 65歳以上の老人1人暮らし: 11.3%
- 平均構成人数
- 世帯: 2.70人
- 家族: 3.34人
収入と家計
- 収入の中央値
- 世帯: 34,658米ドル
- 家族: 39,571米ドル
- 性別
- 男性: 32,430米ドル
- 女性: 26,966米ドル
- 人口1人あたり収入: 16,306米ドル
- 貧困線以下
- 対人口: 18.4%
- 対家族数: 16.2%
- 18歳未満: 24.8%
- 65歳以上: 13.2%
[編集] 参考文献
- en:Bridgeport, Connecticut 9/14/2006 17:58 (UTC)