クー・クラックス・クラン
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クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan)は、アメリカの白人至上主義団体。KKKと略される。本項でも以下同様に略記する。
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[編集] 概要
白人至上主義団体とされるが、正確には北方人種(金髪に青い眼が共通項)を至上とし、黒人やユダヤ人、黄色人種、近年においてはヒスパニックなどの他の民族の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、左翼団体、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
マニフェスト・デスティニーを掲げ、アングロサクソン、ゲルマンなど白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持ち一切の罪を犯していない神(イェホバ)による選ばれし民として他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する。
[編集] 歴史
[編集] KKKの起源
オリジナルのKKKは、民主党最右翼の人種差別過激派であり、南北戦争終結後の1865年12月24日に南部連邦の退役軍人によってテネシー州プラスキで設立された。それは1867年夏のナッシュビルで開催された大会の後に著しく成長した。この大会ではネイサン・ベッドフォード・フォレスト将軍(Nathan Bedford Forrest)がグランド・ウィザードとして統轄した。この当時のKKKには「反ユダヤ的傾向」は無く、南部陸軍軍医総監だったサイモン・バルークらユダヤ人のメンバーが存在していた。
やがて活動に暴力的傾向が強まっていき[1]、1871年には政府に違法のテロリスト団体と認定された。20世紀初頭、第一次世界大戦中に第2のKKKが誕生。白人貧困層の支持を集め、幾つかの州では少なからぬ政治的影響力を持つに至った。伝統的にKKKの勢威が強かった南部の州のみならず中西部のテネシー州やオレゴン州、それにオクラホマ州ではKKKの構成員もしくはKKKに対して好意的な政治家らが州政府を支配するようになり、インディアナ州ではKKKの構成員エドワード・L・ジャクソン(Edward L. Jackson)が州知事にまでなっている。この当時(1925年頃)が KKK の絶頂期であり(英語版のWikipediaによれば構成員は500万以上)、1928年には構成員数万人を動員してワシントンD.C.でデモ行進を行った。ただしこの直後に勢力は急落し、このデモ行進が皮肉にも衰退する現状に抵抗してKKKが行った最後の大規模な行動だったといえる。
だが、KKKの拡大に気を良くしたのかアラバマ州などで一部の構成員が過激な活動を再開する。離婚した女性に制裁を加えたり、人種の枠を超えて行動していた白人や黒人にリンチを加えたり、あまつさえ売春宿など「倫理的ではない」建物を襲撃するに及んで、州の保守エリート層から手痛い反撃を食らってしまう。この反撃の結果、アラバマ州におけるKKKの構成員数は1930年には30000人程度まで低下する。今までKKKを支持、もしくは容認していたアメリカの保守層もこれらの事件を機に KKK に対して距離を置くようになる。そして、当時のKKK指導者が強姦と殺人で有罪判決を受けたことがとどめとなり、KKKへの支持は一気に崩壊する。
年 | 会員数 |
---|---|
1920 | 4,000,000 |
1924 | 5,000,000 |
1930 | 30,000 |
1970 | 2,000 |
2000 | 3,000 |
2006 | 8,000 |
[編集] 没落
KKKの没落は、1925年の3月15日に当時KKKの指導者的な立場にあったデビッド・カーチス・スティーブンソン(en:D. C. Stephenson)が起こした事件が契機となっている。当時この事件はかなりセンセーショナルなものであり、この事件に対する裁判の結果がKKK崩壊のきっかけとなった。また、スティーブンソンが禁酒法賛成論者で、キリスト教的「女性らしさ(貞淑さなど)」を支持すると公言していたことがさらに事件の傷口を広げることになった。
事件の経緯は以下の通りである。犯人のスティーブンソンがインディアナ州の女性教師だったマーガレット・オーガスティン・オーバーホルツァー(en:Madge Oberholtzer)を拉致し、シカゴ行きの汽車に連れ込み(スティーブンソンは自分専用の貨車を持っていた)、無理やり酔わせ、強姦し、さらに全身を噛んだ。インディアナポリスに戻った後、スティーブンソンは自分の家からオーバーホルツァーを解放した。去り際に彼女は「必ず法があなたを裁くでしょう!」と言ったがそれに対してスティーブンソンは笑いながら「私が法律だよ」と言った。しかし法は彼の味方をしなかった。
帰宅後オーバーホルツァーは治療を受けたが、スティーブンソンに連れ回されていた間に自殺しようと飲んだ塩化水銀の影響で既に手遅れの状態であった。彼女は死ぬ前(3月28日)にスティーブンソンを告発し、自分が受けた仕打ちを詳細に供述した。彼女は結局4月14日に腎不全により死去しているが、たとえ自殺を試みるために塩化水銀を飲み干していなくても、おそらく感染症で死んだだろうとも言われている。後に彼女を診察した医師は、彼女の体を見て「まるで狼の群れに襲われたようだ」とコメントした。
彼女の証言を元にスティーブンソンは起訴される。スティーブンソン(及び彼の弁護士)は、彼女の死は自殺であり自分とは関係ないと主張するが、司法は第2級殺人罪(アメリカで言う「計画的ではないが故意による殺人罪」)と認定、終身刑を宣告する。この事件は多くのKKK構成員を憤慨させ、インディアナ州の場合、1928年には18万人もいたメンバー数が1930年には4000人にまで激減する。
当時のインディアナ州知事はKKKのメンバーで、スティーブンソンが積極的に支持することによって当選できたエドワード・L・ジャクソンだった。この事からスティーブンソンは特赦か減刑を期待していたようだが、ジャクソン知事はそれを当然のごとく拒否。それに怒ったスティーブンソンは1927年にKKKから賄賂を受け取っていた州職員のリスト(ジャクソン知事含む)を公表し、さらにKKKのイメージを悪化させた。その結果、インディアナ州政府からKKK色は一掃される事になり、全国的な影響力は大きく低下した。ジャクソン知事本人も前知事を買収しようとした容疑で訴追され、有罪にはならなかったものの「買収しようとしていたことは事実である」と認定された。
[編集] KKKの現在
KKKの全国的な影響力は低下したものの、その後も形を変えて生き長らえ、現在もなお幾つかの分派が活動を続けている[2]。
現在存在する比較的規模の大きいKKK団体:
- Bayou Knights of the Ku Klux Klan-テキサス州、オクラホマ州、アーカンソー州、それにルイジアナ州などアメリカ南東部を拠点に活動するKKK
- Church of the American Knights of the Ku Klux Klan
- Imperial Klans of America
- Knights of the White Kamelia
- Knights of the Ku Klux Klan-現在アメリカに存在する最大のKKK団体だと自称している
これ以外にも数多くの小規模なKKK系の団体が存在する。2005年時点での推定では約3000人のメンバーが100~158あるKKK系の団体に所属していたとされる。このうち2/3の団体が旧南部を拠点にしており、残りの1/3は中西部を拠点にしている。
アメリカのメディアでは未だにKKKとして統一団体のように紹介されるが厳密に言えばKKKの全国組織は前述のように1927年の時点で崩壊している。現存するKKK系の団体に横のつながりはほとんどなく(下手をするとライバル意識すらある)、中央組織のようなものも存在しない。しかし一方で、徹底した地下組織化による中央組織・連絡協議会的組織の温存化の疑いや、点在する表面上の小組織の細胞組織化(アルカイダ系各種テロ組織やネオナチ各種団体を例にとれば分かる通り、一部組織の違法活動発覚で組織全体が芋づる式に検挙される危険性の回避に役立つ)工作の疑いも持たれ続けている。
現在アメリカでは、オハイオ州などでImperial Klans of America(通称IKA)が活発に活動を行っている。 直接の原因は2005年初頭に起きた黒人による白人女性のレイプ事件であるが、根底には近年になって急増したヒスパニック系の住人が英語をしゃべらずにスペイン語のみで会話を行っており、それを理解できない旧来の住人の不快感が鬱積したものとも言われる[要出典]。
2006年2月20日付けのCNNニュース Headline prime の特集によると、IKA は現在若い世代に世代交代し(リーダーが20代)、KKK の主流として台頭していると言う。活動の活発化のバックグラウンドとして、ここ5年でアメリカのヘイトクライム予備軍の数は600から800へと急増しているということを挙げていた。それに伴い構成員の人数も2000年の3000人から8000人へと急増している。同じくユダヤ人を嫌う事からナチスを模倣するようになってきている(敬礼方法が左手を開いて前に出す等)。従来の KKK と異なる点は、破壊活動や暴力など違法行為を認めていない点である。IKAの本部はケンタッキー州にあるが、全米各地に支部を設けている。
2007年 ユダヤ人団体「名誉毀損防止同盟(ADL)」は KKK の活動が再び活発化しており、南部以外の州にも勢力を伸ばしつつある、ネオナチ・グループと手を結んでいると警告する報告書を公表した。KKK が移民問題や同性結婚、都市犯罪などを活用して、「驚くべき『復活』を経ている」と強調した。ただしADLという組織に関しては、1968年に起きたミシシッピー州のADL職員の自宅爆破未遂事件は、ADLがKKKリーダーを買収して実行させた狂言テロであったことがロサンゼルス・タイムズのスクープで暴露されるなど多くの虚偽や違法行為に抵触してきた団体であることに注意する必要がある。
近年ではイギリスにおいても派生団体が誕生した。しかし、イギリスにおける KKK は、非常に小さな運動にしかなっておらず、イギリス社会への影響力は小さい。
[編集] 関連項目
[編集] KKKが登場する映像作品
- アメリカン・ヒストリーX
- 國民の創生
- ボウリング・フォー・コロンバイン
- マルコムX
- フォレスト・ガンプ/一期一会
- サウスパーク
- 評決のとき
- ミシシッピー・バーニング
- クランスマン (The Klansman) 、1974年アメリカ
- オー・ブラザー!
- 悪魔の追跡(劇中のカルト集団は KKK を暗喩したものと言われている)
- 背信の日々
- フライド・グリーン・トマト
[編集] 参考
- ^ KKKがどんどん凶暴化していくのを嫌ったフォレストは1869年にクランの解散を宣言しているが、メンバーの大半はその解散宣言に従わず活動を継続した。
- ^ The_20th_Century_Ku_Klux_Klan_in_Alabama,The Ku Klux Klan, a brief biography!, History of the Ku Klux Klan, What is the KKK?, Ku Klux Klan in the Twentieth Century, all retrieved August 26, 2005.
[編集] 外部リンク
- 公民権運動・史跡めぐり1950年代以降の南部での公民権運動。
-
- ミシシッピ州「フリーダム・サマー」活動家三人の暗殺(1964)現在の KKK の状況のレポートも。
- Woman to Woman
- The History of the Original Ku Klux Klan
- The Southern Poverty Law Center
- The Knights of the Ku Klux Klan (リンク先の内容は、読者に不快感を与える可能性があります)
- Imperial Klans of America