フクダ電子
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種類 | 株式会社 | ||
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市場情報 |
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本社所在地 | 東京都文京区本郷3-39-4 | ||
設立 | 1948年7月6日 | ||
業種 | 電気機器 | ||
代表者 | 代表取締役社長 福田孝太郎 | ||
資本金 | 46億2,160万円 | ||
決算期 | 3月 | ||
外部リンク | www.fukuda.co.jp | ||
フクダ電子株式会社(ふくだでんし - )は、医療機器を製造販売する企業である。 1948年創立。本社所在地は東京都文京区で、医療機器メーカーや医学書出版社の集まる東大赤門からほど近い場所。
目次 |
[編集] 製品
心電計やポリグラフを始めとしたバイタルモニターの類、心臓ペースメーカー、超音波画像診断装置、カテーテルなどの医療機器を製造・販売している。
元来は一般の心電計やホルター心電計の国産化から始まった企業であるため、それらの製造・販売には強い。逆に後発である超音波画像診断装置などは弱く、それらの販売先は、診療所や中小病院が中心となっている。
そこで、心電計以外の製品は、自社製品を販売するだけでなく、海外メーカーとの積極的な提携でラインナップの拡充をおこなっている。例えば、現在、同社の販売するAEDはフィリップスメディカルシステムズから、心臓ペースメーカーはSt.Jude Medicalから製品の提供を受けている。どちらもその製品では定評があると同時に世界市場で大きなシェアも持っており、手堅い提携相手といえる。(フィリップスはフクダ電子のベッドサイドモニタなどを販売しており、双方向の提携・販売)
[編集] 沿革
- 1935年(昭和10年) 初の国産心電計。
- 1949年(昭和24年) 波形観察用回転鏡(PAT)の付いた心電計。同年、交流心電計。
- 1951年(昭和26年) 国産初の直記式。感熱紙に熱ペンで記録する。(国産の感熱紙がなく、輸入した感熱紙を使用)
- 1957年(昭和32年) ブラウン管を使った、ベクトル心電計。
- 1968年(昭和33年) オールトランジスタの心電計。入力インピーダンスの高いFET(電界効果トランジスタ)の出現による。
- 1977年(昭和52年) ミニコンで心電図を自動的に分析する心電計。集団検診などで活躍。同年、国産初のホルター心電計。26時間の記録が可能。
- 1982年(昭和57年) アイソレーション心電計。身体と電気的に接続されていない心電計。(いったん光などに変換して信号を送受信する)
- 1983年(昭和58年) ファクシミリなどと同じサーマルアレー方式のサーマルレコーダを内蔵した心電計。
- 1986年(昭和61年) サーマルレコーダと液晶を内蔵し、液晶に波形を3~4秒ほど表示できる心電計。
[編集] コーリンとの訴訟
オムロンコーリン(旧 コーリンメディカルテクノロジー、日本コーリン)から、血圧脈波表示装置バセラが特許を侵害しているとして販売差止および損害賠償請求を受けていたが、2004年に和解した(特許2件のうち、1件についてはフクダ電子が和解金を支払うが、1件は不問)。
[編集] 米国ゾール製AEDの自主回収
フクダ電子で以前販売していた米国ゾール製AEDにソフトウェアのバグが見つかり、自主回収を行った。
このAEDは表示と音声で適切な操作を指示するが、まれにそれが停止するというもの。その場合もAEDとしての基本的な動作は問題ないため、医師などの充分な知識を持つ専門家であれば適切な使用が可能だが、それ以外の者が使用することも充分に考えられるため、自主回収となった。
なお、自主回収は、無事に終了(2006年)している。
[編集] 「フクダ電子アリーナ」
2005年10月に竣工した千葉市蘇我球技場(ジェフユナイテッド市原・千葉)のネーミングライツ(命名権)を取得し、「フクダ電子アリーナ」とした。同球技場にはフクダ電子提供の医療器具が設置されている。
千葉県白井市に自社製品の製造を担当している白井事業所があり、創業者が千葉県印西市の出身であること、さらに、現社長・福田孝太郎の母が千葉市の蘇我で育ったこともあり、千葉を選んだという。
[編集] 外部リンク
- 医療機器のフクダ電子
- フィリップスメディカルシステムズ - AEDや超音波画像診断装置で提携、フクダ電子製品も販売
- St.Jude Medical - 心臓ペースメーカーで提携
- 日立メディコ - 超音波画像診断装置で提携
- Cambridge Heart - ストレス(運動)検査装置で提携