ファン・カルロス・フェレーロ
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ファン・カルロス・フェレーロ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Juan Carlos Ferrero |
愛称 | Mosquito (モスキート) |
国籍 | スペイン |
出身地 | 同・オンテニエンテ |
生年月日 | 1980年2月12日 |
身長 | 182cm |
体重 | 72kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1998年 |
ツアー通算 | 11勝 |
シングルス | 11勝 |
ダブルス | 0勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト4(2004) |
全仏 | 優勝(2003) |
全英 | ベスト8(2007) |
全米 | 準優勝(2003) |
優勝回数 | 1 |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 1位 |
ダブルス | 198位 |
Template |
ファン・カルロス・フェレーロ(Juan Carlos Ferrero, 1980年2月12日 - )は、スペイン・オンテニエンテ出身の男子プロテニス選手。2003年の全仏オープン男子シングルス優勝者である。身長182cm、体重72kgの細い体型から“Mosquito”(モスキート、「蚊」の意味)と呼ばれている。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
[編集] 選手経歴
ジュニア時代、1998年の全仏オープン男子ジュニアシングルス部門でフェルナンド・ゴンザレス(チリ)に敗れた準優勝がある。同年にプロデビューを果たし、1999年全米オープンで4大大会にデビューを果たす。10代にしてグランドスラムで勝ち上がるなど、若い頃から好成績を収め、甘いマスクで多くの女性ファンをひきつけるなどの人気選手であることから、テニスの強豪国・スペインを象徴するような選手として脚光を浴びた。
2000年全仏オープンで、フェレーロは初出場からいきなり準決勝まで進出した。そこではクレーコートの王者グスタボ・クエルテンに敗れたが、これによって一躍脚光を浴びるようになる。その後は特にクレーコートで圧倒的な強さを見せ続け、翌2001年にATPマスターズシリーズの「ローマ・マスターズ」で優勝した。この後2001年全仏オープンでも準決勝へ進出したが、再びクエルテンと対戦し連敗する。2002年全仏オープンでは、初の決勝進出を果たすが、同じスペインの先輩選手アルベルト・コスタに 1-6, 0-6, 6-4, 3-6 で敗れて準優勝に終わった。
2003年の全仏オープンで、フェレーロは2年連続2度目の決勝進出で悲願の初優勝を達成した。この時はオランダのビッグ・サーバー、マルティン・フェルカークを 6-1, 6-3, 6-2 で圧倒している。この後2003年全米オープンでも決勝まで進出したが、地元アメリカの新星アンディ・ロディックに敗れて準優勝に終わり、4大大会年間2冠獲得はならなかった。
2004年以後は故障の影響もあり、ATPツアーの優勝から遠ざかっている。4大大会でも長い間不振が続いていたが、ようやく2007年ウィンブルドンで初のベスト8入りを果たした。第20シードの低位置から勝ち上がり、3回戦でジェームズ・ブレーク(アメリカ)、4回戦でヤンコ・ティプサレビッチ(セルビア)を破ったが、初めての準々決勝ではロジャー・フェデラーに 6-7, 6-3, 1-6, 3-6 で敗れた。
スペインの男子テニス界は綿々と強豪選手を輩出してきた歴史を誇り、フェレーロやアルベルト・コスタ、カルロス・モヤのみならず、多くの先輩選手たちがその歴史に名を連ねてきた。最近はとりわけ、2005年と2006年、および2007年の全仏オープンで大会3連覇を達成したラファエル・ナダルに大きな期待が集まっている。
[編集] 略歴
- 1998年 18歳でプロデビュー。
- 1999年 全米オープンで4大大会にデビュー。
- 2000年 全仏オープン初出場でいきなり準決勝に進出。これによって注目を浴びるようになる。
- 2001年 グランドスラムに次ぐグレードのマスターズシリーズのローマ大会で初優勝。全仏オープンの準決勝で、グスタボ・クエルテンに2年連続で敗退。
- 2002年 初めての全仏オープン決勝でアルベルト・コスタに敗退。
- 2003年 全仏オープン初制覇。全米オープンでも決勝に進んだが、アンディ・ロディックに敗れて準優勝。
[編集] プレースタイル
フェレーロはクレーコートでの育成を基本とするスペインのテニス・アカデミーで育っただけあってストロークを得意とし、特にクレーコートで目覚ましい活躍を見せている。またスペイン人選手にしては、クレーコート以外のサーフェスも苦にせず、ハードコートやグラスコートでも好成績を残している。ただボレーがあまり得意ではないため、ネットプレーに対してはあまり積極的でなく、ダブルスの試合の出場経験は少ない。
サービスはトップ選手の中での力不足は否めないが、フォアハンド・バックハンドはどちらも一級品である。特にフォアハンドのスイングスピードはプロの中でも速い部類に入り、回転と速度を両立させた安定感のあるフォアハンドはバウンド後によく伸びて強力である。またフォアハンドのドロップショットは絶妙である。フットワークもいい。
[編集] 4大大会優勝
- 全仏オープン:1勝(2003年) [準優勝1度:2002年]
- (全米オープン準優勝1度:2003年)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
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2003年 | 全仏オープン | マルティン・フェルカーク | 6-1, 6-3, 6-2 |
[編集] エピソード
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ファン・カルロス・フェレーロ (英語) - ATPツアーのプロフィール
- デビスカップ成績表
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