ジェームズ・ブレーク
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ジェームズ・ブレーク |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | James Blake |
フルネーム | James Riley Blake |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同・ニューヨーク州 ヨンカース |
生年月日 | 1979年12月28日 |
身長 | 185cm |
体重 | 83kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1999年 |
ツアー通算 | 15勝 |
シングルス | 10勝 |
ダブルス | 5勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト8(2008) |
全仏 | 3回戦(2006) |
全英 | 3回戦(2006・07) |
全米 | ベスト8(2005・06) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 4位 |
ダブルス | 31位 |
Template |
ジェームズ・ブレーク(James Blake, 1979年12月28日 - )は、アメリカ・ニューヨーク州ヨンカース出身の男子プロテニス選手。黒人のテニス選手として活動している。これまでにATPツアーでシングルス10勝、ダブルス5勝を挙げている。シングルス自己最高ランキングは4位(2006年11月20日付)。フルネームは James Riley Blake (ジェームズ・ライリー・ブレーク)という。身長185cm、体重83kg、右利き。
ブレークは5歳からテニスを始めたが、13歳の時に重症の「脊柱側弯症」(scoliosis)と診断され、いったんはテニスを断念した時期がある。1998年に名門ハーバード大学へ入学したが、2年で中退し、1999年からプロテニス選手になった。一時期は男性モデルの仕事をしたこともある。ブレークの名前が注目されたのは、2001年全米オープン2回戦での出来事だった。この時、対戦相手のレイトン・ヒューイットが試合中にサービスの「フット・フォールト」を黒人の線審(ライン・ジャッジ)に指摘されたことから、ブレークとその線審を交互に指差して、主審に暴言を吐いたのである。この発言をテレビカメラのマイクが拾ったことから、会場は騒然となった。ブレークが 4-6, 6-3, 6-2, 3-6, 0-6 のフルセットで敗れた試合の後、ヒューイットのマナーの悪さが物議を醸した。翌2002年の全米オープン3回戦でもブレークとヒューイットの顔合わせになり、前年の2回戦の話題でもちきりになる中、ブレークは再び 7-6, 3-6, 4-6, 6-3, 3-6 のフルセットでヒューイットに敗れた。
こうした話題性には事欠かなかったブレークだが、2004年に私生活の苦難に襲われる。5月には練習中に首を痛め、2ヶ月間の戦線離脱を余儀なくされる。その間に父親を病気で亡くす不幸もあった。また、ある朝に顔の左半分が麻痺してしまい、視覚と聴覚にも不調をきたしたという。それを乗り越えて復活し、2005年の全米オープンで自身初めての準々決勝進出を果たした。対戦相手のアンドレ・アガシは全米オープン「20年連続出場」の大ベテランになっていたが、ブレークはアガシを相手に2セット・アップ(先に自分が2セットを取ること)しながらも、続く3セットを逆転で落とし、6-3, 6-3, 3-6, 3-6, 6-7 のフルセットでアガシに敗れた。(全米オープンは、4大大会で唯一最終セットでもタイブレークを採用している。)
2006年のシーズンに入り、ブレークは1月のオーストラリア・シドニー大会と2月末のアメリカ・ラスベガス大会で優勝した。3月上旬の「インディアンウェルズ・マスターズ」は、4大大会に次ぐ大規模な大会群である「ATPマスターズシリーズ」(年間9大会を指定)の1つである。ブレークはこの大規模な大会で初めての決勝戦に進出し、世界ランキング1位のロジャー・フェデラーに 5-7, 3-6, 0-6 で完敗して準優勝になったが、これで初めての世界ランキングトップ10入りが確定し、9位に入った。この年は男子ツアーで自己最高記録となる年間「5勝」を挙げ、世界ランキング上位8名しか出場資格を得られない年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」にも初出場を果たす。この大舞台でブレークは決勝戦に進み、フェデラーに 0-6, 3-6, 4-6 のストレートで敗れて準優勝に終わった。
2008年2月17日、ブレークは「デルレービーチ選手権」の決勝戦で日本の錦織圭に 6-3, 1-6, 4-6 の逆転で敗れた。錦織はこの優勝により、日本人男子選手として16年ぶりのATPツアー優勝を成し遂げたが、ブレークがこの偉業を目撃したのである。
ジェームズ・ブレークは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのアメリカ代表選手としても、2001年から活動を続けている。黒人テニス選手のデ杯米国代表入りは、アーサー・アッシュ、マラビーヤ・ワシントンに続いて史上3人目となる。2007年11月30日-12月2日の「ワールドグループ」決勝戦で、アメリカはロシアを破って12年ぶりのデ杯優勝を果たし、ブレークもシングルス第2試合・第5試合の勝利で米国チームの優勝に貢献した。
[編集] プレースタイル
ブレークのテニスは、一言で言えば超攻撃的なテニスである。フォア・バックともにフラット系が多く、フォアハンド・ストロークはすべて強打であるといっても過言ではない。バックハンドの強打も、片手打ち(シングルハンド)とは思えないほど強力である。サーブの最高速度も時折210km/hを超える。ネットプレーには確実性があり、フットワークも俊敏である。しかし彼は試合中に冷静さを失いやすく、ムキになって無謀なショットを連発する場面も多く見られる。これは彼の持ち味と重なる部分でもある。
以前からポテンシャルの高さは誰もが認めるところであり、またトップ10に入り名実ともにトッププレーヤーとなった今、四大大会でのさらなる好成績が待ち望まれる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ジェームズ・ブレーク (英語) - ATPツアーのプロフィール
- デビスカップ成績表