トヨタ・カローラレビン
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カローラレビン (COROLLA LEVIN) は、トヨタ自動車が生産していた自動車で、カローラをベースとした1600ccクラスの小型のスポーツクーペである。
スプリンタートレノと車台はもちろん、内外装部品のほとんどを共用する姉妹車である。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 初代(TE27型、1972年-1974年)
1972年3月に登場。カローラレビンは、カローラクーペの「SL」や「SR」よりスポーティな「ホットモデル」として登場した。
当時は「普通の」カローラにもクーペモデルが存在したため、ボディタイプでの区別ではなく高性能バージョンとしての位置づけであった。カローラクーペとは、樹脂製オーバーフェンダー(生産時期によっては金属製の物もある)の有無で区別できる。
エンジンは上位車種ではあるが、成り立ちはカローラ派生の、セリカ1600GTから移植された2T-G型1600ccDOHCエンジンが搭載された。正確に言えば、レギュラーガソリン仕様の2T-GR型(110ps)と有鉛ハイオクガソリン仕様の2T-G型(115ps:グロス)が設定されていた。
1973年4月のマイナーチェンジの際に追加された「レビンJ」には、ツインキャブの2T-B型 1600cc OHVエンジン(105ps)が搭載されていた。「J」は「ジュニア」の頭文字で、アルファ・ロメオ・ジュリアなどに倣ったもの。スプリンタートレノにも同様のモデルが設定された。有鉛ハイオクガソリンを用いる。
[編集] 2代目
[編集] TE37型(1974年-1975年)
1974年4月、レビンとして初めてのフルモデルチェンジ。この時期、カローラレビンはTE37型、スプリンタートレノはTE47型を名乗ることになる。レビンはトレノとは異なり、2ドアハードトップボディが与えられ、外観的にはトレノとは全くの別物となった。車両重量が約50kg増加し、TE27型のような強いスポーツ性は失われた。
1975年、2T-G/2T-GRエンジンが昭和50年排出ガス規制をクリアできず生産中止されたため、その年の11月にトレノとともに生産中止となり、短命に終わった。販売台数が少ないうえに人気が低く、いわゆる旧車としてレストアされている例はごく稀である。
[編集] TE51型(1977年-1978年)
1977年1月、レビンがトレノとともに復活した。電子制御燃料噴射(EFI)と酸化触媒を使うことで、2T-G型エンジンを昭和51年排出ガス規制に適合させることに成功し、同エンジンの生産が再度可能になったためである。
この時期、レビンはTE51型、スプリンタートレノはTE61型を名乗ることになる。レビンはトレノと共通のクーペボディに改められるが、フロントまわりの造形はトレノとは大きく異なっており、追加モデルの「カローラリフトバック」と共通とされた。
[編集] TE55型(1978年-1979年)
1978年4月、三元触媒とO2センサーにより、昭和53年排出ガス規制をクリア。この時期、レビンはTE55型、スプリンタートレノはTE65型を名乗ることになる。外観はTE51型とほぼ同一。
[編集] 3代目(TE71型、1979年-1983年)
1979年3月、フルモデルチェンジ。2T-GEU型エンジンが搭載されたボディは2ドアノッチバック(ハードトップと呼ばれた)、2種類の3ドアハッチバック(ハッチバッククーペとリフトバック)及び4ドアセダンの4タイプで、最後の2T-GEU搭載モデル。このうち「レビン」と呼ばれたのは3ドアハッチバッククーペの2T-GEU搭載モデルだけで、4ドアセダンと2ドアハードトップ、リフトバックの2T-GEU搭載モデルは、GTと名付けられていた。 1981年8月のマイナーチェンジで後期型に。シリンダーヘッドが多球式に改められ(俗称レーザーエンジン)、スーパーハードサスペンションとLSDを装着、スチールバンパーその他装備の見直しで車重を軽くしたモータースポーツへのベース用の「レビンS」と脱着式サンルーフ・ミシュラン製タイヤを装備した「レビンAPEX」が追加されている。
[編集] 4代目(AE85/AE86型、1983年-1987年)
トヨタ・AE86の項も参照。
1983年5月、フルモデルチェンジ。E80系カローラおよびスプリンターのセダン、ハッチバックはこの時代に前輪駆動レイアウトに移行したが、カローラレビン・スプリンタートレノの車台は先代TE71型のものを流用し後輪駆動となっている。ボディタイプは2ドア、3ドアの2種。また、このモデルから搭載エンジンに関係なく、車名が「カローラレビン」に統一された。
[編集] AE86型
カローラレビンとして最後の後輪駆動であり、「ハチロク」の愛称で親しまれている。このモデルから2T-GEU型に替わり、4A-GEU型1600ccDOHCエンジンが搭載された。4A-GEU型は3A-U型1500ccSOHCエンジンをベースに4バルブDOHC化したもので、グロス130ps(ネット110.5ps相当)であった。上級グレードのGT-APEXにはカローラレビン初のパワーステアリングやパワーウインドウ、ECT-S 4速AT(1985年後期、GTVを除く)仕様も追加された。ツーリングカーレースでも活躍し、グループAデビュー戦で総合優勝するなど、素性の良さをアピールした。
[編集] AE85型
AE70型よりキャリーオーバーした3A-U型1500ccSOHCエンジン搭載モデル。ボディタイプは3ドアクーペが「SR」、2ドアクーペは「SE・ライム・GL」のグレード展開。SR以外のグレードはATが選択出来た。また、マイナーチェンジ後の「SR」はスポーツパッケージを選択することでツートンカラーやスポイラーをオプション装着する事ができた。
なお、このAE85型モデルは通称「ハチゴー」と呼ばれる。AE86型とボディは同じだが、エンジンは異なるため、ハチロクの廉価モデル的位置付けだった。AE86型と異なり、乱暴に扱うドライバーが少なかったことからボディの状態がよい車両が多かったため、エンジンを4A-GEUへ換装するなどを行いAE86型相当の性能を持たせた、いわゆるAE85改86のベース車としても利用された。
[編集] 5代目(AE91/AE92型、1987年-1991年)
1987年5月、フルモデルチェンジ。このモデルから前輪駆動化され、ボディタイプも2ドアに1本化された。当時ヒットしていた同社のソアラ(2代目)のデザインをモチーフしており、「ミニソアラ」と揶揄される事もあった。折からのバブル景気の影響で販売面では歴代モデル中、最も成功したモデルとなった。
キャッチコピーは前期型が「ナイトのように。レビンのように。」、後期型が「レビンファンのみなさんへ」であり、このモデルよりカローラレビン単独のTV-CMが積極的に製作されるようになった。
FF化も功を奏し、レビンとしては未曾有の販売台数を記録した。しかし、台数の多さ故に早期から値崩れを起こし、その結果、E90系(6代目)カローラセダンおよびE90系(2代目)カローラFX同様、多くが海を渡ることとなり、販売台数に対する日本国内での残存率はE90系カローラセダンおよびE90系カローラFX同様に低い。また、「最後のFR」である「ハチロク」の人気と比べ、時を経ても顧みられることが少ないこのモデルの存在は、まさに「バブル」そのものとも言える。一方、皮肉なことに「ハチロク」は絶版人気から価格が高騰、新車価格を上回るものも出る程の過熱ぶりであった。
[編集] AE92型
通称「キューニー」。登場時の4A-GE型は120ps(ネット表示)。マイナーチェンジでハイオクガソリン指定となり、同エンジンは140psへと進化。また、スーパーチャージャー付きの4A-GZE型エンジン(前期型145ps、後期型165ps)を搭載した「GT-Z」は、同クラス車であるシビックのVTECエンジン(B16A型、160ps)のカタログ値を上回った。クラス初となる電子制御サスペンションTEMSも採用された。
[編集] AE91型
量販グレードであるAE91型には5A-F型1500ccハイメカツインカム(ギア駆動による狭角DOHC)85psエンジンが搭載された。後にEFIの採用で94psへ進化。後期型に追加された5A-FHE型は105psまで高められた。
[編集] 6代目(AE100/AE101型、1991年-1995年)
1991年6月、フルモデルチェンジ。通称「トイチ」。当初のキャッチコピーは「キレ足・レビン」「HI-LEVIN(ハイ・レビン)」でバブル期を反映し、ボディは大きく重くなったが、皮肉にもスポーツモデルとしての魅力を削ぐ結果となった。そのため、中古車市場では先代モデルよりも値落ちは早かった。(但し4A-GE搭載車の純正5速MTは現在でも人気がある反面AT車は値崩れが早い) クラスを超えた豪華な設備や内装などから同時に登場した7代目(E100系)カローラと同様に「ミニセルシオ」とも呼ばれた。そのため、現在の道路でも一定数見掛けられるがクーペスペシャリティに飽きが出やすいこととAT車は買い手がつきにくいことが影響して近年では海を渡る車両が多くなった。マイナーチェンジ後の1993年には、宣伝キャラクターとして片山右京が「クルマの事はレビンで学ぶ。」のキャッチコピーと共に採用された。CM曲はB'zの裸足の女神である。ちなみにこのCMは60秒となっている。
4A-GE型がVVTを吸気側カムシャフトに装備し、気筒あたり5バルブの20バルブに進化。出力は160psとなり、ライバルであるシビックとカタログ表記上の馬力で並んだ。ただし、スーパーチャージャー付きの4A-GZE型(170ps/6400rpm)はこれまでどおり16バルブである。また、このモデルからセリカに設定されていたスーパーストラットサスペンションが装備されるモデルが加わった。
廉価版に用意された5A-FE型は105psに達する。
[編集] 7代目(AE110/AE111型、1995年-2000年)
1995年6月、フルモデルチェンジ。呼称は「ピンゾロ」「ゾロメ」。スポーツグレードには通称「黒ヘッド」と呼ばれる4A-GE型エンジンを搭載する。このモデルからエアフロメーターは省かれ、Dジェトロ方式となる。出力は165psに向上。プラットフォームは変更されず、スーパーストラットサスペンションも先代より引き継がれたが、ボディは先代に比べ70kg軽量化され、走りのパフォーマンスは大幅に向上した。しかし、初期モデルでは先代より車内の内装が見劣りすることが不評で、後期モデルでは内装が主に改良された。余談だが、ボディ剛性に定評があり、補強をしたEK9シビックタイプRにすらノーマル状態で勝るとも言われる。開口部が大きいハッチバックのシビックは、剛性では不利となった。
このモデルからスーパーチャージャー付のグレードは廃止され、グレード構成もそれまでのGT系に代わり、新たにBZ系と呼ばれるようになった。これまでのGT APEXに代わる、装備を充実したグレードはBZ-Gとなり、装備を抑え走行性能を重視したグレードはBZ-Vとなる。スーパーストラットサスペンションはBZ-Vに標準、BZ-Gにオプション装備。このほか、ハイメカツインカムを搭載するベーシックグレードでは、4A-FE型1600ccエンジンを搭載するモデルはXZ、5A-FE型1500ccエンジンを搭載するモデルはFZ(型式名はAE110)となった。
1997年4月のマイナーチェンジでは自社開発6速MTが採用され、衝突安全ボディ「GOA」の採用によりボディー剛性も向上。スペック上は変化のないエンジンも、実は前期型とはハッキリと違いを感じさせた。重量はやや重くなったがパフォーマンスはすばらしいものとなった。グレードが一部変更され、スーパーストラットサスペンションを装備したBZ-GがBZ-R、それまでのBZ-Vは「BZ-R V仕様」と改称された。
その後、折からのクーペを含むスペシャルティカーの販売不振のため、2000年8月でカローラ(セダン・ワゴン)の9代目(E120系)へのモデルチェンジを機に、姉妹車のトレノを含むスプリンターシリーズとともに生産中止となりモデル消滅となった。
[編集] モータースポーツ活動
TE27型が追加されるとカローラを使用したモータースポーツ参加者はレビンへ移行し、ツーリングカーレースでも上位を占める程の活躍をした。また、国内ラリーでも活躍しエントラントの殆どがTE27型レビンで占められることもあった。
TE37型以降はツーリングカーレースへの参加もなく、ラリー関係者からは大きく重たくなったボディが不評で引き続きTE27型を使用するユーザーも数多く目立った戦績は残していない。
TE71型にモデルチェンジした際にはラリーに使われることは少なくなり、ボディ剛性に優れるセダンGTや2ドアハードトップのGTがよく使用されていたが、サーキットでは空力的に優れているレビンがツーリングカーレースに参加し、好成績を収めていた。また、TE71型では18R-Gのターボ仕様を載せたスーパーシルエット(グループ5)仕様がトムスの手によって製作され参加していたがハンドリングに優れるもパワーでは日産スーパーシルエット軍団(スカイライン・シルビア・ブルーバード)の前には歯が立たない状態だったが、バランスに優れた車体を生かして好成績を残している。
AE86型においては開発当初からモータースポーツ参加を念頭に置いて開発されたと言う経緯がある上に、TE71型からのキャリーオーバー部品が多数存在していた為に発売後数週間でラリーへ実戦参加する車両があるなど積極的な競技参加が目立った。また、N1規定で行われるC/SNC(カローラ/スプリンター・ノーマルカップ)やN2規定で行われるC/SGC(カローラ/スプリンター・グランドカップ)などのワンメイクレースが開催されるようになったのもこの代からで以降も続けられるが、C/SGCは車両製作費が高騰したこともあり'85年迄の2年だけで終了した。またグループAのETC(欧州選手権)にも当初から参戦しており、日本で'85年から開催されたグループAレースの初戦で優勝を飾ることが出来たのもETCに参加していたことにより車両製作のノウハウが生かされたからである。各国内サーキットでAE86のフレッシュマンレースも数多く開催されていたがホモロゲーションが'96年に切れた現在でも岡山国際チャレンジカップなどで使用されるなど長く愛されている稀有なクルマである。
AE92型にモデルチェンジしてからはグループAレースでシビック勢との争いが激化し、毎レースごとに互角の戦いを繰り広げていたもののシビックがマイナーチェンジでVTECを追加して以降は歯が立たない状態に落ち込んでいった。AE92型で追加されたスーパーチャージャー仕様はレギュレーション(過給機装着車は排気量×1.7倍になる)により一つ上のクラスに編入される為逆に不利になり、レースでは使用されなかったが国内ラリーでは軽量且つハイパワーな面が注目され長く使用された。
AE101型にモデルチェンジされると5バルブ仕様の4A-Gに変更され、パワーの面ではVTECに劣らないものの今度はタイヤに泣かされることになる(グループAではノーマルで設定されているタイヤサイズからの拡大幅が制限されていた)。結局グループAレースでは終盤、シビック優勢のままシリーズが終了してしまい、いま一つな結果で終わった。その後GT選手権に3S-GTを搭載し出場するもここでもまたレギュレーションに泣かされる結果となった。
AE111型になるとN1耐久への参加が目立った程度でC/SNCもAE111型デビューから2年ほどで終了してしまい、不景気による競技人口の減少とスポーツカー離れが顕著になってきた時勢もあり最後は淋しい幕引きとなった。
[編集] 海外での名称
[編集] 車名の由来
- レビンとは、英語で「稲妻」の意味。