ザスパ草津
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ザスパ草津 | |
原語表記 | ザスパ草津 |
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愛称 | ザスパ |
クラブカラー | 紺、黄 |
創設年 | 1995年 |
所属リーグ | Jリーグ |
所属ディビジョン | ディビジョン2 |
ホームタウン | 群馬県草津町・前橋市 を中心とする全県 |
ホームスタジアム | 正田醤油スタジアム群馬 |
収容人数 | 10,050 |
代表者 | 武尾 誠 |
監督 | 植木繁晴 |
ザスパ草津(ザスパくさつ、Thespa Kusatsu)は、温泉地として知られる群馬県吾妻郡草津町をホームタウンとするサッカークラブ。2005年度から日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟。群馬県サッカークラブ初の加盟。
目次 |
[編集] クラブの概要・歴史
[編集] 歴史
ザスパ草津は1995年に専修学校の東日本サッカーアカデミーに所属する選手を中心として編成されたリエゾン草津フットボールクラブとして創設し、選手の育成や将来のJリーグ加盟を目的としながら群馬県社会人リーグに所属していた。
1999年に同アカデミーが閉鎖され、チーム解散の危機に立たされたが、選手が草津温泉の宿泊施設などでアルバイトの斡旋提供を受けて働きながら練習を続け、チームを維持した。
2002年に将来のJリーグ入りを念頭においてチームの組織を一新し、株式会社草津温泉フットボールクラブと法人化し、"これぞ温泉"を意味する「ザ・スパー(The spa)」から「ザスパ草津」というチーム名になった。 指導者として前モンテディオ山形監督の植木繁晴を招き、元日本代表の小島伸幸(元ベルマーレ平塚・アビスパ福岡GK)、奥野僚右(元鹿島アントラーズDF、ザスパでは監督兼任選手)らを中心として、Jリーグでプレーしていたが戦力外通告を受けた選手を多く獲得。 選手が働いて得た収入をクラブ運営費に充てる方式を継続しながら、群馬県社会人リーグでの優勝と、関東リーグ2部への昇格を勝ち取った。
2003年に日本サッカー協会が将来のJリーグ参戦を目指すチームのための優遇処置として設けた「飛び級制度」を適用して、関東リーグ2部から地域リーグ決勝大会に出場し見事優勝。2004年度からの日本フットボールリーグ(1999年発足の「新JFL」、以後同様)昇格を果たした (当初は入れ替え戦を予定していたが、JFLのジヤトコFCが休部となったため同決勝大会の優勝チームが自動昇格となった)。
2004年8月、クラブは2005年からのJ2参戦を念頭において、同9月までのJ2加盟申請を行うことを表明。 チームは上位を快走していたが、リーグ戦終盤にJ2昇格のプレッシャーからか思うようなゲームが出来ず、 3位で終了し、成績上のJ2昇格ラインである2位以内は確保できなかった。 しかし、12月6日Jリーグ臨時理事会でJリーグ・J2への参戦が正式に決定された。 同時に、Jサテライトリーグに参加することになり、それに向けたチャレンジャーズチームが編成された。 合格者はアマチュア選手契約で出場するため、チャレンジャーズチーム登録の選手はやはり草津温泉の宿泊施設等でのアルバイト、かつ合宿(専用寮がある)をこなしながらプレーを行うこととなった。
なお、同年の天皇杯では、11月14日に行われた4回戦でセレッソ大阪を2-1で、また、12月15日に行われた5回戦で同年のJリーグ年間王者である横浜F・マリノスを2v-1でそれぞれ下す大金星を挙げ、ベスト8に進んだ。
2005年からはJリーグ2部に所属し、4月2日の徳島ヴォルティス戦でJリーグ初勝利を挙げたが、その後は失速し、わずかリーグ戦で5勝しか挙げられず最下位となってしまった。 一方、サテライトリーグではJ1チームと互角な戦いを演じ、6チーム中2位でシーズンを終えた。
2006年シーズンはクラブをJ2昇格に導いた植木繁晴を再び監督に招聘。 テーマに「走撃」を、目標に「10勝」を掲げて戦った。 だが、結局目標には届かず、9勝24敗15分12位(13チーム中)でシーズンを終了した。
クラブはシーズン終盤に植木監督の続投は決定する。 しかし、最終節前に31人のトップチーム登録者のうち、15人の契約満了による離脱及び解雇が発表された。 この中には大宮アルディージャからのレンタル移籍で獲得したGK高木貴弘、MF島田裕介が含まれる。 両者は2006年シーズン、チームの顔としてサポーターの熱烈な支持を受けたが、高木はコンサドーレ札幌にレンタル移籍し、島田は大宮へ復帰した。 また、解雇者の中には、チームの最古参でザスパ草津の前身リエゾン草津からの登録選手である堺陽二も含まれ、クラブは大きな転機を迎えることになった。 6月、社長兼GMの大西忠生が死去。大西氏は2002年よりGMを務め、ザスパ草津の精神的支柱であった。
2007年は開幕戦で東京ヴェルディ1969に0-5で敗れるなど勝ち点は伸びなかった。そこそこ点は取れるもののそれ以上に失点が多く、71失点はJ2ワーストであり守備に課題を残した。7勝20敗21分で11位(13チーム中)で終わった。
2008年は、去年までチームのシンボルだったFW佐藤正美の退団や、ザスパのDF陣を統率していたDFチカがブラジルに帰国、期待のFWカレカがセレッソ大阪に移籍するなど、退団を惜しまれる選手がいたものの、MF島田裕介を大宮から期限付きで再獲得。また、ヴィッセル神戸や横浜FCでプレーした経験のある元韓国代表の崔成勇や徳島ヴォルティスからMF熊林親吾を獲得した。
[編集] ホームタウン・スタジアム
当初のホームタウンは草津町となっていたが、同町にJFLやJリーグを開催できる規格のスタジアムがないため、2005年のJリーグ加盟時から「同町と前橋市を中心とする群馬県全県」と改めた。当分は前橋市にある敷島公園の陸上競技場と球技場(群馬県サッカー・ラグビー場)を間借りすることになっている。
練習会場はメイン拠点となる草津町の本白根第3グランドや、周辺のコニファーいわびつ(吾妻郡東吾妻町)、前橋市粕川町(旧勢多郡粕川村)西部グラウンド等を活用している。この内、2004年10月23日開催の佐川印刷戦が本白根第3グランドで特例的に開催されることが認められた。当日は1000人収容の常設スタンドに加えて仮設席を加え4,000人収容で対応し、2,174名のファンを集めて開催された。この試合で1999年の横浜FCが記録した年間主催ホームゲーム観客動員記録・53,045人(9チーム参加・ホームゲーム12試合)を上回る53,596人(16チーム参加・ホームゲーム15試合中の12試合目)のJFL新記録を達成した。また同年11月5日に開かれた大塚FCとの対戦(敷島陸上競技場)でも1試合の最多観客動員のJFL新記録となる13,743人のファンを集めて開催された。
また、前橋市をホームタウンに加えたことを受けて、2005年度から同市内の建設会社・佐田建設のグラウンドを改修して「ザスパ前橋グランド」を練習会場に使用することになった。前述の草津町周辺のグラウンドは特に冬季は積雪などの影響から練習に使用することができないため、前橋市内の公営のグラウンドを借りて練習していたが、「練習場を毎日転々としてると調整がおぼつかなくなる」という理由で、佐田建設に年間数十万円程度の使用料で賃借契約を結び使用を開始した。2005年度は、トップチームの主な練習拠点はこの前橋グランド、チャレンジャーズチームの主な練習拠点は草津町の小雨グランドとなっていた。また球団事務所も草津町のほか前橋市にも拠点を構えている。また、2008年には伊勢崎市に本社を置き当クラブのスポンサーでもある空調機器メーカー・サンデンの旧本社工場跡地に社員レクリエーション施設の一つとして設置した「サンデンフットボールパーク」も練習場に加えられた。
なお、クラブ設立から3年間でJリーグ加盟までこぎ着けたそのスピード、温泉地での町おこしというコンセプト、労働力と運営資金というバーター取引を築いた地域企業との関係、マスコミでの露出を高めて群馬県外の企業を多くスポンサーに付けた宣伝力など、日本のスポーツクラブとしては特徴的な運営スタイルを持ち、サッカー界に留まらず高い注目を浴びている。
その一方、急速な成長に対しユースチームなどの下部組織の充実が追いつかず、草津町内でのJリーグ規格スタジアム建設が未決定など、1部昇格を目指すための資金力強化以外にも問題点も抱えている。高校生年代のU-18(ユース)チームは2006年4月発足し、他のJリーグクラブとの対戦では苦戦を続けているが、今後のトップチーム選手の輩出などが期待されている。草津町では2007年にチャレンジャーズチームが改組されたU-23チームが活動を続け、リエゾン時代の主将・監督を務めた木村直樹やコーチに転身した堺陽二などの指導を受け、トップチームとの二重登録を果たす選手も生まれている。
[編集] スタジアム使用料を巡る問題点
ザスパはホームスタジアムの使用料などを巡っての問題を抱えた。
- (1)草津町でのホームゲームでの協約違反問題
- 先述したように2004年10月23日に佐川印刷戦を本白根第3グランドで開いたが、その際同グランドの常設席が1000人分しかないので、仮設席を購入して4000人収容規模で試合を開催した。ところが本来はこの仮設席を草津町が使うことを前提に町からの補助金として500万円を助成したが、実際のところは仮設席は業者からのレンタルによるものだったとして、「協約違反だ」と助成金の返還を求めていた。
- (2)敷島公園の両スタジアムの使用料未納問題
- 2005年度のザスパのホームゲームのうち、敷島公園陸上競技場とサッカー・ラグビー場で開いた5月以後の主催ホームゲームの使用料金を管理者の群馬県に支払っていないことが判った。群馬県の説明では1試合の使用料が陸上競技場で100万円程度(ナイター照明の使用料は別途)、サッカー・ラグビー場は14万円程度。
- これに関してザスパの大西忠生ゼネラルマネージャーは、「当時の賢持宏昭社長が2005年7月に経営責任から辞任した時、経営の見直しの際群馬県からの請求書を数枚見つけた」とするとともに、「いつ払うかはわからないが、やりくりをしながら必ず払う」と説明した。
- (3)入場者の過少申告問題
- さらにザスパ主催のホームゲームのうち、何れも敷島公園サッカー・ラグビー場で開かれた5月-6月の5試合について、ザスパが群馬県に支払うスタジアム使用料の算定根拠となる有料入場者数や広告看板の設置数を過少申告していた。Jリーグに対しては正規の公式入場者数を報告する一方、群馬県に対してはそれより少ない数字で入場者数を申告していた。
- クラブ側の説明によると、これら一連の不祥事は賢持宏昭前社長による独断により執り行われたものであり、本人もそれを認めたという。当時、常勤の取締役は賢持氏のみであり、経営と執行が分離している状況下であった為に事態を未然に防げなかったとされており、クラブ運営についての早急な建て直しを求められた。
- なお、2005年度のホームスタジアムの使用料については、他のJ2クラブと比べて数倍から数十倍の水準にあるといわれている。クラブは地域や行政の理解を得るべくより一層努力し、状況を改善するための機運を高める必要に迫られている。
一方で、これらを踏まえ、Jリーグは公式試合安定開催基金(2005年度から制度化。不安定な経営環境にあるチームを対象にJリーグが各チームに出資金から基金を呼びかけて資金を融資する制度)の適用第1号として5000万円を融資した。これにスポーツ振興投票対象試合安定開催特別会計からの追加融資を加えた総額1億6000万円を、2008年1月までに完済予定である。また、一連の問題への対応として、Jリーグの支援を得て業務・財務の総点検を行い、経営再生計画が策定された。それを受け、11月に臨時取締役会が開催され、取締役・監査役の増員、第三者割当による資本増強を行った。ガバナンスおよびコンプライアンスの強化を図り、ここに経営の新体制が発足した。なお、草津町からの補助金500万円、および群馬県への使用料等未納金1730万円余については、2005年12月までに返還・納付した。
[編集] 応援スタイル
ザスパ草津のサポーターは応援に湯揉みを採用している。湯揉みをする女性はゴール裏に伝統的な湯揉みのかすりの着物と姉さんかぶりをまとって登場する。彼女達は草津温泉で実際に湯揉みをしている女性とは異なる。現在では一般から募集した女性で構成されている。ちなみに浴衣を着て応援しようという試みは現実に行われており、草津温泉の旅館などから借り廻って調達したが、現在はスタジアムでこの光景を見かけることはないようである。
又、Jリーグクラブはリーグ優勝など祝事があった際には水掛け(ウォーターファイト)を行う事が多いが、ザスパでは湯掛けが行われる。Jリーグ昇格決定時には、この湯掛けが選手・スタッフ・サポーター一体となって草津温泉の湯畑で行われた。
選手入場時には、サポーターは草津節をアレンジしたアンセムで迎える。
[編集] 成績
[編集] チーム成績・歴代監督
年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 順位 | 監督 | 総監督 |
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1995年 | 群馬県4部 | ? | ? | ? | ? | ? | 優勝 | ラットコ・ステボビッチ | ― |
1996年 | 群馬県3部 | ? | ? | ? | ? | ? | 優勝 | ― | |
1997年 | 群馬県2部A | ? | ? | ? | ? | ? | 優勝 | ― | |
1998年 | 群馬県1部 | ? | ? | ? | ? | ? | 7位 | 鈴木隣 | ― |
1999年 | 群馬県2部 | ? | ? | ? | ? | ? | ? | 木村直樹 | ― |
2000年 | 群馬県2部B | ? | ? | ? | ? | ? | 2位 | ラットコ・ステボビッチ | ― |
2001年 | 群馬県2部B | ? | ? | ? | ? | ? | 優勝 | ― | |
2002年 | 群馬県1部 | 14 | 42 | 14 | 0 | 0 | 優勝 | 奥野僚右 | 植木繁晴 |
2003年 | 関東2部 | 14 | 35 | 11 | 1 | 2 | 優勝 | ||
2004年 | JFL | 30 | 62 | 19 | 6 | 5 | 3位 | 植木繁晴 | ― |
2005年 | J2 | 44 | 23 | 5 | 31 | 8 | 12位 | 手塚聡 | ― |
2006年 | J2 | 48 | 42 | 9 | 24 | 15 | 12位 | 植木繁晴 | ― |
2007年 | J2 | 48 | 42 | 7 | 20 | 21 | 11位 | 植木繁晴 | ― |
[編集] リーグ戦通算対戦成績
「対戦通算成績と得失点」については、当サイトの「対戦成績」の項を参照
[編集] 獲得タイトル
群馬県サッカー協会長杯
- 2003年 第27回全国地域リーグ決勝大会
[編集] ユニフォーム
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[編集] チームカラー
- チームカラーは紺色、黄色
[編集] ユニフォームスポンサー
- 胸 ベイシア
- 袖 K'BIX
- 背番号 カインズホーム
- パンツ 和豚・もちぶた(グローバルピッグファーム)
[編集] 過去のスポンサー
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 袖 | 背番号 | パンツ | サプライヤー |
2004年 | Beisia | BUNSHINDO | 泉質主義 草津温泉 | – | UNIQLO |
2005年 | Beisia | BUNSHINDO | ITAGAKI | – | UNIQLO |
2006年 | Beisia | ITAGAKI | CAINZ HOME | 和豚 もちぶた | Phiten |
2007年 | Beisia | K'BIX | CAINZ HOME | 和豚 もちぶた | Phiten |
[編集] 永久欠番
- #31 奥野僚右 初代監督で選手兼任。チームをJリーグ昇格に導いた功績により、2005年、永久欠番に制定。
[編集] チーム名変遷
- 1995年 - 2001年 リエゾン草津
- 2002年 - 現在 ザスパ草津
[編集] その他
- テレビドラマ・電車男(フジテレビ系)でネット上の住人のキャラクターとして当チームのサポーターに扮した「ザスパ」なる人物が登場し、毎回ザスパのユニフォームを着て出演した。
- ヴィッセル神戸のサポーターで有名な安田大サーカスの団長が、ホームゲームにてエフエム群馬の「ラジオを持ってスタジアムへ行こう」にゲスト出演。その際、自費でレプリカユニフォームを購入。TV番組で着用している姿が目撃されている。本人曰く、「佐藤正美の大ファン」。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
J1 |
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過去に存在したクラブ |
横浜フリューゲルス |
準加盟クラブ |
栃木SC|カターレ富山|ガイナーレ鳥取|ファジアーノ岡山|ニューウェーブ北九州 |
Jリーグの主な大会 |
ナビスコ杯|オールスターサッカー|チャンピオンシップ|入れ替え戦|アウォーズ |