ケッテンクラート
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ケッテンクラート(独:Kettenkrad)は、第二次世界大戦期にドイツが開発した、最も小型の半装軌車である。1941年から1944年にかけて8345輌が生産され、大戦後にも550輌が再生産されている。
3輪オートバイ(トライク)の後輪を車輪ではなく、無限軌道とした独特の構成が特徴。操縦席の他、エンジンルームの後に、後向きに2名分の座席が備わる。
制式名称はクライネス・ケッテンクラフトラート(Kleines Kettenkraftrad)で、逐語訳すると「小型装軌式オートバイ」である。軍の制式番号はSd.Kfz.2、NSUの型式はTyp(Type) HK 101である。ケッテン(Ketten)とは鎖、つまり履帯を意味し、クラフトラート(Kraftrad)は、オートバイに対する当時の言い回しである。兵語としては更にクラート(Krad)と略される。 現代ドイツ語ではMotorradを指す。
[編集] 概要
本来は無反動砲の牽引などを目的とした降下猟兵向け車輌として開発されたが、東部戦線の泥濘の中で従来のバイクやサイドカーが使用できなくなったことから、陸軍や武装SSでも使用されることとなった。また、空軍基地でも航空機などの牽引用トラクターとしての任務に就いていた。
動力には、当時の代表的な量産型乗用車であるオペル・オリンピア1938年年式のガソリンエンジン(水冷直列4気筒OHV・1488cc、36HP/3,500rpm)を用い、車体中央に縦置きした。本来のオリンピア・エンジンとの違いはオイルパン程度であるが、駆動軸の位置から搭載方向はフライホイールとクラッチが前、クランクプーリーが後の前後逆向きとなる。
燃料タンクは操縦席の左右に独立してあり、前述のとおりエンジン搭載方向が逆向きのため、ラジエターはエンジンの後に置かれる。ラジエターには冷却ファンと寒冷時の過冷却を防ぐシャッターが備わるが、ファンはクランクプーリー直付けでは無く、ジョイントをはさんで動力を伝えている。電装は6Vで、バッテリーを車体右側に積む。
変速機は前進3速・後退1速のマニュアルトランスミッションと2速の副変速機からなり、ハイレンジでのエンジン最高回転数の設計最高速度は70km/hであるが、騒音が酷いこともあり、実用上の速度域は50km/h以下と言われている(それでも現在の感覚では到底快適な走行とは言い難い)。
重量は1,250kgである。この重い車輌の操縦性を向上させるための工夫として、旋回時の引きずり抵抗を減らすためステアリングポストとフロントフォークは鉛直に対し8度という小さい角度で取り付けられ、旋回時の抵抗の減少と直進性を両立するためクローラの接地面は平行四辺形となっている。履帯のコマ数は80で、ゴムパッド付きである。
サスペンションとロードホイール(転輪)は、多くのドイツ軍履帯式車両に見られる、トーションバースプリングを用いたスウィングアーム(トレーリングアーム)とオーバーラップ式転輪の組み合わせである。
ドライブスプロケット(起動輪)の駆動軸には差動装置が備わり、この自動車同様の駆動方式のため、二つの履帯を逆に回転させる超信地旋回は不可能である。差動装置が備わるが、全長に対し履帯の接地長が非常に大きいため、前輪のみでの操向(旋回)は不可能である。そのため、差動装置の左右外側にあるドライブスプロケットのブレーキドラムとステアリングシャフトとはリンケージとX字形に交差するロッドでつながっており、一定以上の舵角でカーブ内側のスプロケットにブレーキがかかり、その履帯の速度が落ちる仕組みになっている。通常の制動操作では両側に均等にブレーキがかかる。また、前輪はブレーキ装置を持たない。これらが示すように、前輪は無くても走行は可能である。
一般的にハーフトラックの場合、荷重が前輪とクローラとに分散され、舗装路面では走行抵抗が減少し、わずかだが最高速度と燃費を向上させることが出来る。全長の短いケッテンクラートでは、そのほかに超壕用の案内輪としても有用であったと見られる。東部戦線の泥濘期(春の雪解け、秋の雨によってもたらされる、地面一帯が泥沼と化する期間)においては、前輪とフォークやフェンダーの間に泥がつまり走行抵抗が大きく増えるため、前輪を外して使用していたという事例もある。
スロットル操作はハンドル右側のグリップで行い、変速操作はフロア配置の2本の変速レバーで行う。左側ステップにクラッチペダル、右側にはブレーキペダルがあるが、その配置は自動車とは異なり、足置き場の後側から前向きに生えている。そのため、キックレバーのように後ろ向きに踏み込む動作となり、踏力も大きい(重い)ため繊細な操作は難しい。着座姿勢のままでは力が入れづらいため、車体前面の内側にニーパッド(膝あて)があり、それを支点として踏み込むことも一応は考慮されているが、発進時以外は激しい振動もあり、(膝がとても痛いため)着座でのペダル操作は難しい。現在この車両を操縦する者の多く(特に普通の体格の日本人)は、ハンドルバーに体重をあずけ、腰を浮かせた体勢(立ち乗り)でペダル操作を行っている。
生産途上でフロントフォークの形状とフロントシャフトの取り付け方法が変更となり、前照灯も省略され、1944年頃には履帯部の泥除けも廃止されている。
派生型として、電線敷設用のSd Kfz 2/1と、重電線敷設用のSd Kfz 2/2が存在する。
[編集] 生産状況
ケッテンクラートは、NSUのネッカーズルム工場で、1940年から試験型が500輌、量産型が7500輌製造された。また、1943年からは、ポーランドのStoewer社のシュテッティン工場で1300輌がライセンス生産されている。さらに1944年夏に、生産体制を強化するため、フランスに3番目の工場を建設する予定であったが、戦局の悪化により実現しなかった。
第二次世界大戦後の西ドイツでNSUが再建され、既存の設備や部品を使用して1948年に550輌が民需用として再生産された。これらの戦後製ケッテンクラートは外貨獲得策の一環として輸出され、各国で農業や林業に従事している。
[編集] 登場するメディア
- 戦争映画『プライベート・ライアン』の終盤シーンにおいて、鹵獲したケッテンクラートを敵戦車を引きつけるための囮(おとり)として使用された。映画の中ではラビットと呼ばれているが、単にティーガー戦車に対する囮という意味である。