グレイリング (SS-209)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1939年12月15日 |
進水: | 1940年9月4日 |
就役: | 1941年3月1日 |
退役: | |
その後: | 1943年9月9日に喪失 |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 1,475トン |
全長: | 307 ft 2 in |
全幅: | 27 ft 3 in |
吃水: | 13 ft 3 in |
機関: | |
最大速: | 20ノット |
乗員: | 士官、兵員59名 |
兵装: | 3インチ砲1門、21インチ魚雷発射管10門 |
グレイリング (USS Grayling, SS-209) は、アメリカ海軍の潜水艦。タンバー級潜水艦の一隻。艦名はカワヒメマスに因んで命名された。その名を持つ艦としては4隻目。
目次 |
[編集] 艦歴
グレイリングは1939年12月15日にメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。1940年9月4日にハーバート・F・リアリー夫人によって命名、進水し、1941年3月1日に艦長エリオット・オルソン少佐の指揮下就役する。海上公試後、グレイリングは1941年6月20日にO-9 (USS O-9, SS-70) 捜索に参加する。O-9はショールズ諸島沖での潜水訓練に失敗し浮上することができなかった。O-9は海底で発見されたが、救助作業は失敗した。グレイリングは6月22日に行われた遭難者の追悼式に参加した。その後、グレイリングは真珠湾に回航されることとなり、12月25日に到着した。
12月31日はグレイリングにとって晴れがましい日であった。この日午前10時、グレイリングの甲板上でチェスター・ニミッツの太平洋艦隊司令長官就任式が執り行われたのである。なぜ潜水艦でこのような就任式が行われたか。言うまでも無く、真珠湾攻撃で大型艦は大なり小なりの損害を受け、まともな、かつ迅速に積極的な作戦ができる艦艇は潜水艦しかなかった。ちなみに、下って1945年11月24日に太平洋艦隊司令長官がニミッツからレイモンド・スプルーアンスに交代した際も、このときに倣ったかメンハーデン (USS Menhaden, SS-377) 艦上で就任式が行われた。
[編集] 第1回~第4回哨戒
グレイリングは1942年1月5日に、ギルバート諸島海域に向けて最初の哨戒に出たが、戦果なく3月7日に真珠湾に帰投した。続く2回目の哨戒は3月27日から行われ、グレイリングは本州海域に向かった。4月18日、グレイリングは豊後水道南方で竜神丸(橋本汽船、6,243トン)を撃沈したが、日本側の記録の中には、同船の沈没を3月27日としているものもある。5月16日に真珠湾に帰投後、グレイリングはミッドウェー海戦に参加するため、ミッドウェー島近辺に急行したが、日本艦隊を捕捉することは出来なかったばかりか、B-17の誤爆を受ける始末であった。真珠湾に帰投後7月14日からトラック諸島、カロリン諸島方面へ3回目の哨戒に出たが、戦果はなかった。10月19日からの4回目の哨戒でもトラック諸島方面へ向かったが、11月6日にトラック諸島沖で水上機母艦千代田を雷撃した際、水上機の爆撃を受け無線アンテナが破壊されるなどのダメージを受けた。応急修理の上任務を続行したグレイリングは11月10日に4,000トン級貨物船を撃沈したと主張しているが、日本側の記録にそれに該当する船舶は見当たらない。任務終了後フリーマントルに向かい、12月3日にセラム島沖でスクーナーを銃火で撃沈した後、12月13日にフリーマントルに到着した。
[編集] 第5回~第8回哨戒
年明けて1943年1月7日、グレイリングはフィリピン海域に向けて5回目の哨戒に出た。1月26日にミンドロ島北東海域でUshio Maru(不詳、749トン)を撃沈。2月11日にはコレヒドール島沖で6,000トン級貨物船を撃破した。2月24日にフリーマントルに帰投した後3月18日に、再び同じ海域に向けて6回目の哨戒に出た。4月9日にミンドロ島沖で上海丸(山下汽船、4,112トン)を撃沈した。5月18日からの7回目の哨戒ではマレー半島東岸海域に向かい、6月22日にタンカーを撃破した。7月6日に帰投後、グレイリングは8回目、最後の哨戒を7月31日から始めた。フィリピンの海岸を1943年7月31日と8月23日の2度訪れ、プシオ岬、パンダン湾、パナイ島のゲリラに物資と装備を送り届ける。グレイリングの最後の戦果は8月27日にタブラス海峡で貨客船明山丸(宮地汽船、5,480トン)を撃沈したことであった。その後グレイリングの消息は不明となる。9月12日に無線通信が行われる予定であったが、グレイリングとの連絡の試みは全て失敗した。1943年9月30日にグレイリングは公式に喪失したものとして報告された。
1943年8月27日に日本の艦船がタブラス海峡で水雷攻撃を目撃し(先の明山丸撃沈の戦闘)、翌日には水上で潜水艦を目撃する。9月9日にはリンガエン湾で浮上したアメリカの潜水艦を目撃している。これらの目撃報告はすべてグレイリングがマニラへ向かう途中の海域であった。1943年9月9日に日本特設運送船北安丸(大連汽船、3,712トン)はルソン島西部で潜水艦を目撃したことを報告した。北安丸は「水中の物体と接触した衝撃を感じた」と報告しているが、それ以上の記録はない。
日本軍の攻撃がグレイリングを沈めたとの記録はない。グレイリングは記録に残らなかった攻撃により沈められたのかもしれない。ただ一つ確実なのは1943年9月9日から12日の間にリンガエン湾もしくはマニラ近海でグレイリングは喪失したということである。第71任務群司令部は9月12日にグレイリングへの送信を要請したが、受け取られることはなかった。
グレイリングは5度の大きな戦果を上げ、そのトン数は21,575トンに上る。第1回目を除く全ての哨戒が成功として記録された。グレイリングは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章を受章した。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年。
- C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾共訳『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年。
- 池川信次郎、三好誠『戦時艦船喪失史』元就出版社、2004年。
[編集] 外部リンク
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