エリモエクセル
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エリモエクセル | |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牝 |
毛色: | 栗毛 |
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生誕: | 1995年5月18日 |
死没: | 存命 |
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父: | ロドリゴデトリアーノ |
母: | エリモファンタジー |
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生国: | 日本(北海道えりも町) |
生産: | えりも牧場 |
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馬主: | 山本慎一 |
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調教師: | 加藤敬二(栗東) |
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厩務員: | 石倉幹子 |
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競走成績 | |
生涯成績: | 17戦6勝 |
獲得賞金: | 3億1676万8000円 |
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エリモエクセルは、日本の競走馬・繁殖牝馬。第59回優駿牝馬の優勝馬である。主戦騎手は、的場均。
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[編集] 生い立ち
1995年5月18日、えりも農場でエリモファンタジーの4番仔として誕生。 エリモファンタジーは、フランスで走り8戦0勝の競走成績ながら、父はフランスのリーディングサイヤーにもなったリヴァーマン、母はアメリカのダート6ハロンのGIスピナウェイステークスを制しているシェアザファンタジーという良血馬。 ロドリゴデトリアーノが配合相手に選ばれたのは、生産者の猪木淑郎がその溢れるスピード感に惚れ込んでいた為だった。 牧場にいた頃のエリモエクセルは、気の強いところがあり、特定の人以外には世話もさせなかった。 このような面は、厩舎に入ってからもあまり変わらず、世話する人を手こずらせることもしばしばあった。 一方で、主戦の的場が「騎手の指示通りに動き、乗りやすい」[1]と評しているように、競馬に臨んでは素直な馬だった。
[編集] 戦績
[編集] 4歳
1998年1月、京都競馬場の新馬戦でデビュー。2着に5馬身差をつけて初戦を飾った。 この後、ダートの自己条件戦を3着として、桜花賞トライアルの4歳牝馬特別に出走。 格上挑戦で、なおかつ初めての芝ということもあって人気は無かったが、4コーナーでほぼ最後方に近い位置取りから、直線だけで6着にまで追い込んだ。 芝への適応力を示し、続いてオープン特別の忘れな草賞に出走。強めの調教を行なったこともあり、前走から12キロも馬体重が減少していたが、中団から鋭い末脚を見せ快勝。賞金を加算することができ、優駿牝馬に向かうこととなった。
本番の優駿牝馬では、馬体重もプラス10キロと回復するなど状態は上向きだった。 人気の中心は、ファレノプシスら桜花賞に出走した馬で、エリモエクセルは7番人気。前走で2000メートルの距離を克服している割には低評価だった。 レースは、ロンドンブリッジが逃げてスローペースで展開。 エリモエクセルはスタートから好位につけ、的場が「勝利を確信した」[2]と言うほどの抜群の手応えで4コーナーを迎えると、直線半ばで早くも先頭に立つ。 外からエアデジャヴー、内からはファレノプシスが追撃するが、これらを振り切り、戴冠を果たした。 騎手、調教師、馬主、生産者は、皆これが初の優駿牝馬勝利だった。
秋はぶっつけで秋華賞に臨んだが、騎手との折り合いを欠いたこともあり、ファレノプシスの7着に敗れる。 エアグルーヴ、メジロドーベルとの3世代の優駿牝馬の優勝馬の対決が話題を呼んだエリザベス女王杯では、直線で進路をふさがれる不利があり伸びきれずメジロドーベルの5着。 万全の体調で臨んだ次走の阪神牝馬特別でも、同様の不利があり11着と大敗するなど、この時期は運に見放されていた。
[編集] 5歳
5歳の初戦に選んだのは、中京記念。近走不振な上に牡馬相手だったが、1番人気に推されていた。 スタートで出遅れ、3コーナーでも最後方という苦しい展開ながら、直線では大外から鮮やかな末脚を見せての差し切り勝ちを収め、復活を果たした。次走には、産経大阪杯を予定していたが、蹄球炎のため出走取り消し。 このためローテーションが狂い、体調が万全ではなかった金鯱賞では9着に沈んだ。 続くマーメイドステークスは、牝馬限定戦とあって1番人気に推されたが、午前中まで雨が降り続き、直線での切れ味を身上とするエリモエクセルの苦戦も予想された。しかしレースでは、先行馬を楽に交わして勝利。 2着との差は半馬身ながら、着差以上の強さを示し、優駿牝馬優勝馬の貫禄を見せつけた。
この後宝塚記念は回避して、札幌記念に出走。 秋華賞以来の再戦となるファレノプシスらGI馬4頭が出走するなど、好メンバーが揃っていた。 4コーナーで3番手につける積極的なレース運びをしたものの、直線で失速し、セイウンスカイの6着に終わった。 悪いことは重なり、レース後夏負けにかかる。 体調はなかなか回復せず、エリザベス女王杯の前哨戦に定めた府中牝馬ステークスも完調とは言えない状態で臨むこととなる。 人気も3番人気に甘んじるなど、調子を不安視する見方も強かったが、上がり3ハロン33秒9という豪脚を見せ、エガオヲミセテを半馬身差し切り勝利を飾った。 本番のエリザベス女王杯では、ファレノプシス、メジロドーベルと人気を分け合い3番人気。 前走を使って調子を上げて臨んだものの、勝負所で他馬と接触したこともあり、直線でまったく伸びずメジロドーベルの13着と大敗。 この年も、持ち味を発揮することができなかった。 巻き返しを期した阪神牝馬特別では、外からの追い込み届かずハイフレンドコードの3着に敗れ、1999年シーズンを終えた。
[編集] 6歳
翌2000年も、アメリカジョッキークラブカップ5着、中京記念6着と、勝てないまでも歴戦の牡馬相手に堅実な走りを見せたが、 春の繁殖シーズンが近いこともあり、余力を残したまま引退することとなった。
[編集] 引退後
引退後は、生まれ故郷のえりも農場(現エクセルマネジメント)で繁殖牝馬となったが、目立った活躍馬を輩出するには至っていない。
[編集] 年度別競走成績
1998年 (8戦3勝)
- 1着 優駿牝馬(GI)、忘れな草賞(オープン)
1999年 (7戦3勝)
- 1着 中京記念(GIII)、マーメイドステークス(GIII)、府中牝馬ステークス(GIII)
- 3着 阪神牝馬特別(GII)
2000年 (2戦0勝)
[編集] 血統表
エリモエクセルの血統 (ノーザンダンサー系/Northern Dancer3×4=18.75% Native Dancer、Nearco5x5=6.25%) | |||
父
*ロドリゴデトリアーノ Rodrigo de Triano 1989 栗毛 |
El Gran Senor 1981 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Sex Appeal | Buckpasser | ||
Best in Show | |||
Hot Princess 1980 栗毛 |
*ホットスパーク Hot Spark |
Habitat | |
Garvey Girl | |||
Aspara | Crimson Satan | ||
Courtside | |||
母
*エリモファンタジー Erimo Fantasy 1986 栗毛 |
Riverman 1969 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
River Lady | Prince John | ||
Nile Lily | |||
Share the Fantasy 1980 栗毛 |
Exclusive Native | Raise a Native | |
Exclusive | |||
Misukaw | Northern Dancer | ||
DihelaF-No.1-k |
- 母の半姉エリモパッションの産駒(本馬のいとこ)にエリモブライアン(ステイヤーズステークスGII1着、菊花賞GI3着)・エリモシャルマン(ステイヤーズステークス2着)の兄弟。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
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