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ウィルコ・ジョンソン - Wikipedia

ウィルコ・ジョンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィルコ・ジョンソン
基本情報
出生日 1947年7月12日 Essex, Canvey Island
学歴 ニューカッスル大学(University of Newcastle upon Tyne)
出身地 イングランドの旗 イングランド Essex, Canvey Island
ジャンル パブロック ブルース
職業 ギタリスト ソングライター
担当楽器 ギター ボーカル
活動期間 1971年~現在
レーベル Jungle Records
影響 Mick Green, Johnny kidd and the Pirates
公式サイト www.wilkojohnson.com
メンバー
ウィルコ・ジョンソン(ギター/ボーカル)
ノーマン・ワット・ロイ(ベース)
スティーブ・モンティ(ドラムス)
旧メンバー
サルバトーレ・ラムンド(ドラムス)
  

ウィルコ・ジョンソン (Wilko Johnson 1947年7月12日 - )はイングランドエセックス州(Essex)、キャンベイ・アイランド(Canvey Island)出身のギタリストソングライターボーカリストであり、ドクター・フィールグッドのオリジナル・メンバー(ギターソングライター:稀にボーカル)としての名声が高い。

ドクター・フィールグッドの他にも自身のバンド、ソリッドセンダースでの活動やイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズへの参加、長年のソロ活動でも知られ、2007年にも英国の音楽雑誌『MOJO』が編集した『オールタイム・ベスト・ブルース・ギタリスト・トップテン』で第8位に選ばれている。英国のミュージシャンには大なり少なり、彼の影響を受けていたり、彼を崇拝するミュージシャンが多数存在する。

また、大の親日家でもあり、プライベートも含む来日は15回を数え、鮎川誠シーナ&ザ・ロケッツとの深い交流でも知られている他、thee michelle gun elephantルースターズウルフルズをはじめ日本のミュージシャンにも彼と交流のあるミュージシャンや彼の影響を受けたミュージシャンが数多く存在する。

英語版Wikipediaでは出生時の姓名をJohn Wilkinson(実際はミドルネームも存在した)と記載しているが、結婚前に改名しており、現在の本名はWilko Johnsonである。

目次

[編集] ウィルコ・ジョンソンのギター奏法

ラジオでジョニー・キッド・アンド・ザ・パイレーツ(Johnny Kidd & The Pirates)の“I'll Never Get Over You”を耳にしたのをきっかけにザ・パイレーツのギタリストであったミック・グリーン(Mick Green)に傾倒する。ピックを使わず、シャープなカッティングでリズムギターリードギターを同時に弾きだす独特の奏法はミック・グリーンのそれを継承している。ピックを使わなかった理由については、左利きである彼はピックを上手く扱えず、素手で弾くようになったと本人は語っている。

[編集] 使用ギター

ドクター・フィールグッド時代から現在まで、ブラック・ボディのフェンダー・テレキャスターのピックガードを自分自身で“Sunburst”という赤色に塗り替えたものを愛用している。90年代から現在にかけて、日本製のものを愛用しており、2007年現在の時点では日本の石橋楽器がウィルコ・ジョンソン・モデル(限定生産のため現在は入手不可能)として製作した「TL62-70をベースにピックガードを1プライの赤に変更したモデル(石橋楽器担当者談)」を使用している。

[編集] ライブ・ステージ

ウィルコ・ジョンソンはスタジオ録音盤での演奏も評価が高いが、ライブパフォーマンスにおいても定評がある。ギターとアンプを繋ぐコードに伸び縮みするカールコードを使用し、引っ張ったり引き戻されたりするようにステージを前後に移動しながら、英語圏ではClockwork movementと表現されるカクカクと機械仕掛けのように動くアクションで観客に異常とも言える眼光を向ける様は鎖につながれた狂人が暴れているようなイメージを彷彿させる。また、ハイライトのひとつであるアクションは、ギターをマシンガンのように構え、客席に向かって乱射するように素手でかき鳴らした後、開脚ジャンプを繰り返すなど狂気とも思わせるパフォーマンスを展開する。このパフォーマンスから日本ではマシンガン・ギターと表現されることが多い。

[編集] ウィルコ・ジョンソンの人となり

ステージでは「狂人」「危険人物」などと評され、近寄れば噛み付かれるようなイメージを与えるウィルコだが、一旦ステージを降りると、物静かで読書好きのインテリである。その知識は学位を持つ英文学英語学にとどまらず、新約聖書旧約聖書の隅々から(ウィルコは無神論者である)シェイクスピア作品の暗唱、最も古い古典英語、ラテン語政治、各国の文化、仏教ヒンドゥー教、と枚挙にいとまがない。また、ファンに対しては常に礼儀正しく親切に接し、ボブ・ディランを崇拝する彼は「もし自分がボブ・ディランに会えたら、それは人生でも大切な思い出になる。自分をディランに例えるのは恐れ多いが、ファンにとっては自分に会ったことが人生のよい思い出になるようにしたい。」と、常にファンとしての視点を持っている。一方ではアーティストにありがちな激しい気性を表すこともあり、業界紙で「変人」扱いされることもあるが、本人によればジャーナリストは狂人のようなパフォーマンスから、そういうウィルコ・ジョンソン像を期待しているので期待に応えているだけ、とのことである。

[編集] 好きなミュージシャン/アルバム

[編集] 現在までのウィルコ・ジョンソン

ウィルコ・ジョンソンはガス工事業者の父と元看護婦の母親の典型的な労働者階級の家庭に3人兄弟の長男として生まれた。幼年期~少年期は両親(特に父親)から受ける愛情が少なく、あまり幸福なものではなかったらしい。

学生時代にはローマーズおよびフラワーポットというバンドを結成し地元の市民ホールや労働者向けのパブなどで演奏していたが、成績優秀であった彼はニューカッスル大学(University of Newcastle upon Tyne)で英文学を学ぶためにキャンベイを後にし、しばらくギターから遠ざかる。在学中、1968年にティーンエイジャー時代からのガールフレンドであった故アイリーン・ナイト(Irene Anna Knight:1948-2004)と結婚、2人の息子をもうけている。

大学卒業後、ヒッピーとしてインドネパールを放浪する。インドから帰国した後、地元の高校で母国語教師をしていたが、新たなバンドを組むためにギタリストを探していたリー・ブリローと幼馴染のジョン・B・スパークスに誘われ、教師を勤めながら彼らのバンドに参加する(後にロックバンドに在籍している教師は教育上好ましくないということで教師をクビになった)。かくしてドクター・フィールグッドが誕生した。粗野で卑猥かつクレイジーな彼らのステージパフォーマンスはパンク・ロック前夜の若者を魅了し、『ダウン・バイ・ザ・ジェティ(Down by the Jetty)』『不正療法(Malplactice)』の2作を発表後、3作目にあたる『殺人病棟(Stupidity)』は英アルバムチャートでナンバーワンを獲得する大成功を収めたが、すでにバンド内には不協和音が流れていた。バンドのソングライターであり、アルコール類を全く口にしなかったウィルコは、ツアー中もホテルの部屋で1人新曲を書かねばならないプレッシャーに苦しむ一方、他のメンバー3人は大酒飲みであり、ウィルコの隣の部屋で大騒ぎをするなど、3対1の構図が出来上がりつつあった。事の真偽は後に譲るが、結果的には4作目の『スニーキン・サスピション(Sneaking Suspicion)』完成と同時にウィルコが脱退する形となり、第一期のドクター・フィールグッドは終わりを告げる。

ドクター・フィールグッドを脱退したウィルコはチリ・ウィリ・アンド・ザ・レッド・ホット・ペパーズにも参加していた“ある人物”を迎えて自分のバンドを立ち上げようとしたが、パブロック界の別の人物の策略によって(中傷と受け取られる可能性があるため実名の記載は行わない)、このバンドは立ち消えとなってしまう。その後、ヴァージン・レコードと契約し、1979年にソリッドセンダース名義でアルバム『電光石火(Solidsenders)』を発表するが成功には至らず、イアン・デューリー(Ian Dury)の好意で彼のザ・ブロックヘッズに一時的に加入。アルバム『ラーフター(Laughter)』に参加するが、ここでウィルコは生涯の盟友となる天才ベーシスト、ノーマン・ワット・ロイ(Norman Watt-Roy)に出会う。ブロックヘッズへの参加は一時的なものであったため、アルバム1枚でブロックヘッズを脱退したウィルコは、ブロックヘッズのバッキングによるシングル「Oh Lonsome Me」、ソロ名義でのアルバム『アイス・オン・ザ・モーターウェイ(Ice on the Motorway)』、ミニ・アルバム『プル・ザ・カヴァー(Pull the Cover)』を発表するが、どれも商業的成功には恵まれなかった。

その後、ウィルコはルー・ルイス(Lew Lewis)とのジョイントツアーを行ったり、ラッセル・ストラッター(Russell Strutter)をベーシストに、ドラマーは入れ代わり立ち代わりの状態でミュージック・パブ(小規模のライブハウス)でのギグを中心に活動していたが、音楽業界を去ることも考えていたという。入れ代わり立ち代わりしていたドラマーがイタリア出身のサヴことサルバトーレ・ラムンド(Salvatore Ramundo)に落ち着きかけていた頃、ベースのラッセル・ストラッターにエディー・アンド・ザ・ホット・ロッズ(Eddie & the Hot Rods)への参加の話が持ち上がる。誠実にウィルコに相談したラッセルに対し、ウィルコは将来性のない自分といるよりホット・ロッズに参加したほうが彼のためになるだろう、という言葉で彼を送り出したという。

ベーシストを失ったウィルコには、まだ数回ギグの予定が残っていた。その残りのギグを終わらせるためには臨時のベーシストが必要だった。そこでウィルコが電話をかけた相手がノーマン・ワット・ロイだった。ブロックヘッズが活動休止状態にあったため、スタジオ・ミュージシャンとして食いつないでいたノーマンは二つ返事でウィルコの話に乗り、簡単なリハーサルを行った後、残り数回のギグを終わらせるためだけのつもりで1985年2月、ウィルコ、ノーマン、サヴの3人でロンドンのハーフムーン・パットニーのステージに立った。後に日本で毎年熱烈な歓迎を受けることになるウィルコ・ジョンソン・バンドの誕生である。自分達がやったことの記録を残しておくつもりで、ギグを簡単な機材で録音した音源は、ミニ・アルバム『ウォッチ・アウト(Watch Out! Wilko Johnson Live in London)』として発売された。商業的な成功には至らなかったものの、各業界誌紙は「最も危険なギタリスト」と絶賛し、出演依頼の電話が殺到した。以来、バンドは週3~5回というハイペースでギグをこなしてゆくことになる。

その1985年秋、彼らのギグを観たスマッシュ(現在はフジ・ロック・フェスティバルの主催で知られるプロモーター)の日高正博社長(OBE)の招聘で、ウィルコは初めて日本の地を踏むことになる。以来、毎年のように来日し、会場の規模も大きくなり、ウィルコ、ノーマン、サヴの不動の3人トリオとなったウィルコ・ジョンソン・バンドは本国よりも日本での人気を誇るようになる。アルバムも日本でのライブ盤を含む5枚をリリースし、クラブチッタ川崎でのライブを収録したビデオもリリースされた。初来日時からの鮎川誠との交流も続き、鮎川誠のソロアルバム『ロンドン・セッション#1』『ロンドン・セッション#2』の2枚に全面参加、シーナ&ザ・ロケッツの『ROCK ON BABY』へのゲスト参加などを経て1999年にはジョイント・ツアーも行っている。しかし、14年続いた不動の3人トリオは1999年5月、サヴが家庭の事情でバンドを脱退せざるを得なくなった時に終わりを告げる。

代わってジーザス&メリーチェインやブロックヘッズの2代目ドラマーとして知られるスティーブ・モンティ(Steve Monti)がドラマーの椅子に座ることになった。サヴの脱退後、一時的な精神不安定に陥っていたウィルコも、モンティの参加でリスタートを切り、2000年には敬愛するミック・グリーン率いるザ・パイレーツとのジョイント・ツアーを行い、2002年にはフジ・ロック・フェスティバルに出演、2003年にはthee michelle gun elephantのTrippin' Elephant Recordsからニュー・アルバム『レッド・ホット・ロッキン・ブルース(Red Hot Rocking Blues)』をリリースし、大規模な日本ツアーを行った。thee michelle gun elephantの発言も手伝い、新たな若年層ファンも獲得しつつあったが、翌年、2004年のフジ・ロック・フェスティバル再出演も決定した矢先に人生最大の不幸がウィルコを襲うことになった。

2004年4月、恋人時代も含め40年間を共に過ごした最愛の妻、アイリーンが大腸癌に冒されていることを告げられる。急遽、日帰りできないギグと海外公演を全てキャンセルし、ウィルコはアイリーンに付き添ったが、アイリーンは告知からわずか4ヵ月後の8月4日の早朝、ソールズベリーホスピスで静かに息を引き取った。

アイリーンの急逝後、わずか3ヶ月でウィルコは本国イギリスでの巡業に復帰し、2005年にはザ・ハムスターズ(The Hamsters)、ジョン・オトウェイ(John Otway)と共に「The Mad, The Bad, and The Dangerous」という大規模なジョイント・ツアーを行い、ツアーのDVDも発表しているが、2007年7月現在、3年が経とうとしている今もアイリーンの死を克服できずにいる。


下記は作成中です。加筆して下さる方を歓迎します。

[編集] ディスコグラフィー

シングル盤、ゲスト参加、コンピレーションを含む詳細なディスコグラフィーについてはウィルコ・ジョンソン公式ページを参照下さい。


[編集] 邦楽アルバムへの参加

  • 坂上忍: アルバム『Check In』(1984年:CBSソニー: 25AH 1798) 恋して夢中を抱きしめての1曲にバッキングで参加。本人は全く覚えていない。
  • M-BAND: アルバム『BACK STREET』 (1986年:東芝EMI:TOCT-11200) Osakaバッキングで参加。本人はI Love You Osakaという歌詞をよく覚えている。現在再発CDが入手可能。

[編集] ウィルコ・ジョンソン関連メディア資料

[編集] 書籍

  • From Roxette To Ramona (Roland Jost/Teppo Nattila/Rauno Makinen) ISBN 3-033-00460-1
  • 前略、テレキャスター様 (ヴィンテージギター編集部) ISBN-10: 4870998122
  • Down By The Jetty-The Dr. Feelgood Story (Tony Moon) ISBN 1-900711-01-X
  • The River-The Thames in Our Time (Patrick Wright:BBC) ISBN 0-563-38478-6
  • STIFF-The Story Of A Record Label (Bert Muirhead) ISBN 0-7137-1314-3

[編集] 雑誌/新聞

  • Trippin' Elephant Vol.32
  • Rockin' On (2003年12月号)
  • PLAYER (2003年12月号)
  • DOLL (2003年12月号)
  • THE DIG 35号 (2004年冬号)
  • 音楽と人 (2003年12月号)
  • ギター・マガジン (2003年11月号)
  • Juice (2003年10月号)
  • Tokyo Metolopolis (2003年11月号)
  • Japan Times (2003年10月12日付)
  • THE DIG 34号 (2003年秋号)
  • レコード・コレクターズ(1990年3月号)

[編集] VHS

  • WILKO JOHNSON - MACHINGUN GUITAR
  • Dr. Feelgood - Going Back Home

[編集] DVD

[編集] 外部リンク

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