ウェイド・ボッグス
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ウェイド・ボッグス(Wade Anthony Boggs , 1958年6月15日 - )は、元メジャーリーグの内野手(三塁手)。ネブラスカ州オマハ出身。現役時代のほとんどをボストン・レッドソックスに所属するが、その後ニューヨーク・ヤンキースでワールドシリーズ制覇を達成。タンパベイ・デビルレイズで引退。右投げ左打ち。
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[編集] 来歴
1982年にメジャーデビューし打率.349を記録するも、規定打席不足のため首位打者には至らなかったが、翌1983年を皮切りに合計5回首位打者に輝く。メジャーデビューから1988年までに打率が.350に達しなかったのは1回のみであり、1983年から1989年まで7年連続でシーズン200安打以上を記録する。同時に7年連続で100得点以上、40二塁打を記録する。
1992年に打率が.259と急降下するが、シーズン終了後ニューヨーク・ヤンキースと契約し、移籍する。翌年から4年連続で打率3割を達成する。また、同時期に2度のゴールドグラブ賞を獲得する。1996年にはレッドソックスで達成できなかった悲願のワールドシリーズ制覇を体験する。
その後衰えが見られるようになり、1997年には先発から外れることが多くなる。現役最後の2年間はタンパベイ・デビルレイズに所属し、最後のシーズンとなった1999年に通算3000安打をホームランで達成した。その後間もなく膝を故障したため、引退を表明した。通算打率は.328、通算3010安打を記録。
1997年には39歳ではじめてメジャーのマウンドに登り、ナックルボールで1イニングを無失点に抑えて話題になる。
ブルックス・ロビンソンに次ぐ12年連続で三塁手としてオールスター出場を果たす。他にはマイク・シュミット、ジョージ・ブレットもオールスター12回出場を果たしているが、シュミットの場合は最後の1年は一塁手としての出場であり、2人とも連続ではない。
2005年に野球殿堂入りを果たした。タンパベイ・デビルレイズ在籍時の背番号「12」が現役引退の翌2000年に永久欠番に指定されている。
テレビゲーム「ファミスタ88」以降の「メジャーリーガーズ」に「ぼつくす」の名前で登場し、こちらでも高打率を誇っている。トニー・グウィンは87に「ぐいん」の名で代打で登場しているのみである。
[編集] 選手としての特徴
広角に打ち分ける類稀なバッティング技術が特徴の選手。同時期に活躍し「安打製造機」と呼ばれたトニー・グウィンと比較すると、グウィンは悪球でも安打する技術を持っていたのに対して、ボッグスは悪球には決して手を出さない抜群の選球眼を持っていた。
公式戦での本塁打は多くないが、試合前の打撃練習では長打も連発させており、試合ではあえて本塁打を狙わなかったといわれる。特にレッドソックス時代は、本拠地フェンウェイ・パークの形状(左翼の狭さと、高い左翼フェンス「グリーンモンスター」)を利用し、左への流し打ちで大量の二塁打を稼いだ。
[編集] 人物
ルーチンを大事にする迷信家としても知られ、毎試合前に鶏肉を口にし、毎日同時間に起床、ちょうど150本のゴロを練習で受け、必ず午後5時17分に打撃練習に入り、午後7時17分にダッシュを行っていた。「チキン・マン」というニックネームはこれに由来する。また、守備位置とベンチの往復には必ず同じルートを通り、毎打席の前に必ず"Chai"(ヘブライ語で「命」の意)という言葉を地面に書いていた。
[編集] タイトル・表彰・記録
- 首位打者:5回、1983年(.361)、1985年(.368)、1986年(.357)、1987年(.363)、1988年(.366)
- シルバースラッガー賞:8回 1983年、1986年~1989年、1991年 1993年、1994年
- ゴールドグラブ賞:2回、1994年、1995年
- オールスターゲーム選出:12回、1985年~1996年
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
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1982年 | BOS | 26 | 104 | 338 | 51 | 118 | 14 | 1 | 5 | 44 | 1 | 35 | 21 | .349 | .406 | .441 |
1983年 | 153 | 582 | 100 | 210 | 44 | 7 | 5 | 74 | 3 | 92 | 36 | .361 | .444 | .486 | ||
1984年 | 158 | 625 | 109 | 203 | 31 | 4 | 6 | 55 | 3 | 89 | 44 | .325 | .407 | .416 | ||
1985年 | 161 | 653 | 107 | 240 | 42 | 3 | 8 | 78 | 2 | 96 | 61 | .368 | .450 | .478 | ||
1986年 | 149 | 580 | 107 | 207 | 47 | 2 | 8 | 71 | 0 | 105 | 44 | .357 | .453 | .486 | ||
1987年 | 147 | 551 | 108 | 200 | 40 | 6 | 24 | 89 | 1 | 105 | 48 | .363 | .461 | .588 | ||
1988年 | 155 | 584 | 128 | 214 | 45 | 6 | 5 | 58 | 2 | 125 | 34 | .366 | .476 | .490 | ||
1989年 | 156 | 621 | 113 | 205 | 51 | 7 | 3 | 54 | 2 | 107 | 51 | .330 | .430 | .449 | ||
1990年 | 155 | 619 | 89 | 187 | 44 | 5 | 6 | 63 | 0 | 87 | 68 | .302 | .386 | .418 | ||
1991年 | 144 | 546 | 93 | 181 | 42 | 2 | 8 | 51 | 1 | 89 | 32 | .332 | .421 | .460 | ||
1992年 | 143 | 514 | 62 | 133 | 22 | 4 | 7 | 50 | 1 | 74 | 31 | .259 | .353 | .358 | ||
1993年 | NYY | 12 | 143 | 560 | 83 | 169 | 26 | 1 | 2 | 59 | 0 | 74 | 49 | .302 | .378 | .363 |
1994年 | 97 | 366 | 61 | 125 | 19 | 1 | 11 | 55 | 2 | 61 | 29 | .342 | .433 | .489 | ||
1995年 | 126 | 460 | 76 | 149 | 22 | 4 | 5 | 63 | 1 | 74 | 50 | .324 | .412 | .422 | ||
1996年 | 132 | 501 | 80 | 156 | 29 | 2 | 2 | 41 | 1 | 67 | 32 | .311 | .389 | .389 | ||
1997年 | 104 | 353 | 55 | 103 | 23 | 1 | 4 | 28 | 0 | 48 | 38 | .292 | .373 | .397 | ||
1998年 | TB | 123 | 435 | 51 | 122 | 23 | 4 | 7 | 52 | 3 | 46 | 54 | .280 | .348 | .400 | |
1999年 | 90 | 292 | 40 | 88 | 14 | 1 | 2 | 29 | 1 | 38 | 23 | .301 | .377 | .377 | ||
通算成績 | 2440 | 9180 | 1513 | 3010 | 578 | 61 | 118 | 1014 | 24 | 1412 | 745 | .328 | .415 | .443 |
- 太字はリーグ1位。
[編集] エピソード
- 前述のように、試合前に必ず同じ時間(17時17分)に打撃練習を始めるという行動をとっていたが、あるアウェー試合で、相手チームが球場の時計(デジタル)で、「17時16分」を2分表示した後に「17時18分」を表示して、ボッグスを混乱させるいたずらをしたことがある。
- プレイにおいても、あまりに安打を打つボッグスに対し、1985年頃にミネソタ・ツインズが、二塁走者の有無にかかわらず、二塁ベース上に二塁手又は遊撃手が入り、投球と同時に移動するシフトを取ったことがあった。これは、白いユニフォームの選手が投球と同時に動くことで、球を見にくくする意図であったために審判によって禁止されたが、これについてボッグスは「面白い」と発言していた。
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
先代: ウィリー・ウィルソン ドン・マッティングリー |
ア・リーグ首位打者 1983年 1985年 - 1988年 |
次代: ドン・マッティングリー カービー・パケット |
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ピート・ローズ | タイ・カッブ | ハンク・アーロン | スタン・ミュージアル | トリス・スピーカー | カール・ヤストレムスキー | キャップ・アンソン |
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2 デレク・ジーター / 12 ウェイド・ボッグス / 13 ジム・レイリッツ / 17 ケニー・ロジャース / 18 マリアーノ・ダンカン / 19 ルイス・ソーホ / 20 マイク・アルドレーテ / 21 ポール・オニール / 22 ジミー・キー / 24 ティノ・マルティネス / 25 ジョー・ジラルディ / 26 アンディ・フォックス / 27 グレイム・ロイド / 31 ティム・レインズ / 33 チャーリー・ヘイズ / 35 ジョン・ウェッテランド / 36 デービッド・コーン / 39 ダリル・ストロベリー / 41 ブライアン・ベーリンガー / 42 マリアノ・リベラ / 43 ジェフ・ネルソン / 45 セシル・フィルダー / 46 アンディ・ペティット / 51 バーニー・ウィリアムス / 52 デビッド・ウェザース 監督 6 ジョー・トーリ |