キャップ・アンソン
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キャップ・アンソン(Adrian Constantine "Cap" Anson , 1852年4月11日 - 1922年4月14日)は、19世紀にアメリカ・メジャーリーグで活躍した選手。主なポジションは一塁手。アイオワ州生まれ。右投げ右打ち。「キャップ」は愛称で、強いリーダーシップから「キャプテン」と呼ばれていたことに由来する。19才でデビューしてから現役を27年続け、プロ史上初めて3000本安打を達成した。
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[編集] 略歴
- 1871年に、当時発足したてのリーグであったナショナル・アソシエーション(NA)でデビュー。打撃成績では常に上位にいた。
- 1876年、ナショナルリーグ発足にあたって、リーグ間協約に反した引き抜きにより移籍する。1879年からはホワイトストッキングスの監督兼任選手となり、1886年までの間に5回のリーグ制覇を果たす。
- 1897年に現役を引退。同時にシカゴの監督就任を辞している。
- 1922年シカゴにて病死。
- 1939年、ベテラン委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。19世紀の選手としてはバック・ユーイングとともに最初の殿堂入りとなった。
[編集] 卓越したチーム運営
監督兼任時代は、常に他の選手達が全力を尽くせるよう環境に気を配っていた。「ヒットエンドラン」などの戦術の整備や、複数投手による「ローテーション」、スプリング・キャンプの導入など、現在当たり前に行われているチーム経営術を確立した人物としても知られている。
[編集] 所属球団
- ロックフォード・フォレストシティーズ(1871年)
- フィラデルフィア・アスレチックス(1872年-1875年)
- シカゴ・ホワイトストッキングス(コルツ)(1876年-1897年)
- ニューヨーク・ジャイアンツ(1898年) ※監督として
[編集] 通算成績
[編集] 打撃成績
※数字の後の"(+)"は、記録不明箇所があることを示す。
試合 | 打数 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 得点 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 四球 | 死球 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
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2523 | 10278 | 3418 | 581 | 142 | 97 | 1996 | 2076 | 253(+) | 302(+) | 983 | 32(+) | .333 | .393 | .445 |
[編集] 獲得タイトル・記録
- 首位打者:2回、(1881年,1888年)
- 最多安打:1回、(1881年)
- 打点王:8回(1880,1881,1882,1884,1885,1886,1888,1891年)
- 通算打点:2076 (歴代3位)
[編集] 投手成績
- 通算:登板数3、0勝1敗、防御率4.50
[編集] 監督としての記録
- 通算:1295勝947敗(勝率.578)
- リーグ優勝:5回(1880,1881,1882,1885,1886年)
[編集] エピソード
- 44才で24盗塁を記録したことがある(1896年)。
- 彼が8度も打点王になっていることが判ったのは、引退から70年以上経った1968年のことである。
- 非常に強いリーダーシップの反面、人種差別主義者としても有名で、白人以外のチームとの試合を固く拒んだという。
[編集] 出典・外部リンク
- baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 通算成績(Retrosheet)
- Alfonso Park
先代: ジョージ・ゴア サム・トンプソン |
ナ・リーグ首位打者 1881年 1888年 |
次代: ダン・ブローザース ダン・ブローザース |
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