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サンフランシスコ・ジャイアンツ - Wikipedia

サンフランシスコ・ジャイアンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サンフランシスコ・ジャイアンツ
San Francisco Giants
創設: 1883年
所属リーグ

ナショナルリーグ西地区

歴代チーム名
  • サンフランシスコ・ジャイアンツ (1958年 - )
  • ニューヨーク・ジャイアンツ(1885年 - 1957年)
  • ニューヨーク・ゴッサムズ (1883年 - 1884年)
歴代本拠地

収容人員: 41,584人
獲得タイトル(獲得年)
ワールドシリーズ優勝 (5回) 1905 • 1921 • 1922 • 1933
1954
リーグ優勝 (20回) 1888 • 1889 • 1904 • 1905
1911 • 1912 • 1913 • 1917
1921 • 1922 • 1923 • 1924
1933 • 1936 • 1937 • 1951
1954 • 1962 • 1989 • 2002
地区優勝 (6回) 1971 • 1987 • 1989 • 1997
2000 • 2003
ワイルドカード (1回) 2002
球団組織
オーナー: ピーター・マゴワン
GM: ブライアン・サビーン
監督: ブルース・ボウチー

サンフランシスコ・ジャイアンツSan Francisco Giants、略称:SF)は、カリフォルニア州サンフランシスコに本拠地を置くアメリカメジャーリーグのチーム。ナショナルリーグ西地区に所属。

目次

[編集] 概要

20世紀初頭のジョン・マグローによる黄金期、ウィリー・メイズらが活躍した1950年代にワールドシリーズ優勝5回を果たしている。リーグ優勝20回はロサンゼルス・ドジャースに次ぐナショナルリーグ2位である。1990年代からはバリー・ボンズが在籍し、通算、シーズン双方の本塁打記録を更新している。

同地区の強豪であるドジャースとは宿敵といえる関係で、前身のニューヨーク時代から現在に至るまで激しい優勝争いを繰り広げている。通算成績ではほぼ五分だが、1958年に共に西海岸に移転してから、ドジャースは5度のワールドシリーズ制覇を達成しているのに対して、ジャイアンツは一度も達成していない。両チームの対戦はメジャー屈指の人気カードで、いつも満員御礼となる。本拠地のAT&Tパークではジャイアンツファンによる“BEAT LA”(ロサンゼルスを叩け!)の合唱がいつも聞かれる。

日本人初のメジャーリーガーである村上雅則が在籍したことで知られ、近年では新庄剛志が在籍し、日本人初のワールドシリーズ出場を果たしている。他には日系4世のトラビス・イシカワ、日本人ハーフであるデイブ・ロバーツらがいる。

NPB読売ジャイアンツはこのチームから名前とユニフォームを採用している。1935年に大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)がアメリカに遠征した際、対戦チームの監督だったフランク・オドールから、ニックネームがあったほうが良いと提案され、当時メジャーで人気のあったニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)のジャイアンツをとり、「東京ジャイアンツ」と名乗ったのが由来である。

本拠地であるAT&Tパークは2000年の開場以来、3度も名前を変えている。これはネーミングライツを持つAT&Tが買収、合併によって企業名を変更するたびに、余儀なくされている。

なお、2005年に、メジャーリーグ球団として最初の『10000勝』に到達している(2007年シーズン終了時点で10184勝8724敗)。

[編集] 球団の歴史

[編集] 球団創設

球団は1882年に、ニューヨークの資産家ジョン・B・デイによって創設された。デイは当時プロの野球リーグに加わらない独立系のチームだったニューヨーク・メトロポリタンズを所有しており、マンハッタンを本拠地とする球団経営に成功を納めていた。同年メトロポリタンズはナショナルリーグアメリカン・アソシエーションの両リーグから加盟の誘いを受けるのだが、この時デイは密かに両方のリーグに対し、加盟の受けいれを二重に打診していた。その後デイはナショナルリーグで1882年に解散したトロイ・トロージャンズのフランチャイズ権を買取り、新たなチーム「ゴサムズ」を設立し、メトロポリタンズをアメリカン・アソシエーションへ、ゴサムズをナショナルリーグへ加盟させた。メトロポリタンズとゴサムズは同じポロ・グラウンズを本拠地とし、当時ポロ・グラウンズにはダイヤモンドが2面設置されて、グラウンドを二つに仕切って試合を行っていた。

その後デイは収益の大きいゴサムズの経営に注力するようになり、1885年にメトロポリンタンズから選手をゴサムズに移籍させ、チームの名称を「ジャイアンツ」に改称。二人あわせてシーズン76勝を挙げたこともあるティム・キーフミッキー・ウェルチの二枚看板をたて、1888年と1889年にリーグ2連覇を果たす。

[編集] リトルナポレオン

オーナーが交代した1890年代は成績を落としたが、20世紀に入った1902年にリトルナポレオンことジョン・マグロー選手兼任監督に招き、強豪チームの仲間入りを果たす。1904年には初のナショナルリーグ優勝を果たすが、マグローはボストン・ピルグリムス(後のボストン・レッドソックス)との対戦を拒否し、ワールドシリーズは中止となった。当然ながらこれには非難が集中し、オーナーのジョン・ブラッシュはシリーズ規約を自ら提案する事を余儀なくされたが、翌1905年にもリーグ優勝し、ワールドシリーズでは全身黒色のシリーズ用ユニフォームを身にまとい、コニー・マック率いるフィラデルフィア・アスレチックス(のちのオークランド・アスレチックス)を破る。

ジャイアンツはクリスティー・マシューソン等が活躍した1910年代前半と1920年代前半に黄金期を迎え、1911年からは3年連続リーグ優勝したが、ワールドシリーズではいずれも敗れた。1921年からも4年連続リーグ優勝し、内最初の2年は当時の本拠地ポロ・グラウンズを間借りしていたニューヨーク・ヤンキースを破り、世界一に輝いたが、レッドソックスから移籍してきたばかりの、世紀の強打者・ベーブ・ルースを徹底的に四球攻めにしたのが最たる勝因だった。しかし、観客動員数は当時としては驚異的なペースで本塁打を量産していたルース所属のヤンキースに人気が集まり、これに業を煮やしたマグローはヤンキースにポロ・グラウンズからの立ち退きを命じ、翌1923年にはルースの建てた家ヤンキー・スタジアムでもヤンキースと対戦したが、前2年のようなルース対策は効かず、軍配はルースが3本塁打打ったヤンキースに上がり、3連覇はならなかった。

そして、1927年シーズンにはマグローはフランキー・フリッシュと衝突を起こし、セントルイス・カージナルスの主軸打者、ロジャース・ホーンスビーとのトレードで放出したが、フリッシュがカージナルスの4度のリーグ優勝(内2回は世界一)に貢献したのに対し、ホーンスビーはチームメイト、特に遊撃手・ドク・ファレルに対して、「ショートがいなければ、ジャイアンツは優勝できるのに」と公言するなど軋轢が絶えず、結局1年限りでボストン・ブレーブス(現在のアトランタ・ブレーブス)に移籍する等明らかに失敗したトレードだった。これによりジャイアンツの黄金期は終わる事となり、世界大恐慌がようやく収まろうとした1932年にマグローは勇退した。しかし、翌1933年の第1回オールスターでもナショナルリーグ監督を務め、間もない1934年2月にこの世を去る事となる。

[編集] 「ザ・キャッチ」

その1933年にはマグローに代わってビル・テリーが選手兼任監督を務め、9年ぶりにリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでは、ワシントン・セネタース(現在のミネソタ・ツインズ)を破って世界一となった。その後、メル・オットカール・ハッベル等が頭角を表してきた1936年からも2年連続してリーグ優勝を果たす。しかし、ルー・ゲーリッグジョー・ディマジオ等「新殺人打線」を看板したヤンキースとのワールドシリーズでは、いずれもその軍門に下った。そして、これが第二次世界大戦前で最後のジャイアンツの優勝となった。

1940年代に入ると、チームの勢いにも次第に陰りが見え始め、1942年にはテリーに代わってオットが選手兼任監督に就任する。しかし人望はあったものの、温厚でお人好しだったオットではチームをまとめきることができず、成績が上がることはなかった。1948年のシーズン途中でオットは監督を辞任、代わってレオ・ドローチャーがチームを率いることとなる。ドローチャーはシーズン途中までライバルであるブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)で監督を務めていたが、それをジャイアンツが引き抜く形となった。ドローチャーはオットとは対照的に、非常に強気な人物として知られ、後に自伝で「お人好しで野球が勝てるか」と暗にオットのような采配を批判している。

戦後初のジャイアンツのリーグ優勝はウィリー・メイズがデビューした1951年だった。ワールドシリーズでは、またもヤンキースと顔をあわせたが、やはり敗れてしまい、ジョー・ディマジオに有終の美を飾らせる格好となってしまった。しかし、1954年には公式戦103勝したヤンキースをさらに8勝上回ったクリーブランド・インディアンズとのワールドシリーズでは第1戦でメイズが史上名高い美技であったザ・キャッチで勝ち越しの危機を救うと、直後ダスティ・ローズが代打サヨナラ本塁打を打ち、先勝した勢いに乗って、世界一に輝いた。これが現時点でのジャイアンツ最後の世界一である。

[編集] ニューヨークからサンフランシスコへ

1958年にはサンフランシスコに移転した。これは観客数の不振に悩むオーナーのホーレス・C・ストーンハムが、西海岸の球団増加を企図するウォルター・オマリーの呼びかけに応じたものである[1]。移転後しばらくシールズ・スタジアムを本拠地として使用していたが、小規模な施設にもかかわらず入場者数はニューヨーク時代を大きく上回った[2]。1960年4月12日に新本拠地キャンドルスティック・パークが完成した[2]

1962年には再びヤンキースと顔をあわせたが、ニューヨークでの第5戦後、本拠地であるサンフランシスコの天候不良で4日もブランクが開き、リズムが狂ったのか、最終戦で破れ、惜しくも世界一はならなかった。1960年代には看板選手、メイズの他、打撃陣ではオーランド・セペタウィリー・マッコビーボビー・ボンズ、投手陣ではゲイロード・ペリーホワン・マリシャル等の好選手が現れ、また村上雅則が日本人初の大リーガーとして1964年から2年間プレーしたが、しばらく優勝から遠ざかってしまう。

1965年から1968年まで、ドジャースやカージナルスに優勝を阻まれ、4年連続でリーグ2位。1969年には東西地区制が導入され、ジャイアンツはナショナルリーグ西地区に移動したが、この年も地区2位に終わっている。1971年には初の地区優勝を飾るものの、リーグチャンピオンシップシリーズピッツバーグ・パイレーツに敗れた。1970年代の優勝はこれのみで、以降は負け越しのシーズンが多くなり、1980年代に入っても低迷が続くことととなる。1982年にはボビーの息子、バリー・ボンズドラフト指名したが、契約金で折り合わず、彼のジャイアンツデビューはしばらく先の事となる。1985年にはチーム史上初めてシーズン100敗を記録してしまい、前年に続き2年連続で地区最下位に沈んでしまった。

ライバルのドジャースとは対称的に低迷が続いたジャイアンツだったが、1986年にウィル・クラーク等が台頭してくると、復活の兆しを見せ、翌1987年のカージナルスとのリーグ優勝決定戦では惜しくも敗れたが、選手に自信が戻った。1989年にはオークランド・アスレチックスとのベイエリアシリーズが展開されたが、途中サンフランスシスコ地方を襲った大地震により、10日間以上も中断されるハプニングが起こった。本拠地での仕切りなおしの第3戦では救援活動に従事していた人達が始球式を努めたが、4連敗を喫し、ア軍の軍門に下った。

[編集] ボンズの登場

1993年にはついにバリー・ボンズが移籍した。「ゴッドファザー」だったメイズを尊敬していた彼は背番号24を譲ってもらう意向だったが、既に永久欠番入りしていたため、当然受けいられず、父ボビーがつけていた背番号25を譲ってもらう事となった。ボンズは初のシーズン40本塁打を記録する等期待に違わぬ活躍を見せ、チームも当初は西地区独走していたが、ブレーブスの追い上げをくらい、ボンズはピッツバーグ・パイレーツ時代に続いてまたもブレーブスにワールドシリーズ出場を阻止される事となる。ウィル・クラークとのコンビは同年限りで彼がテキサス・レンジャーズに移ったため、一年で解消となってしまったが、1997年にはジェフ・ケント(ただし、犬猿の仲だった)とコンビを組み、コンスタントに成績を残す。そんなボンズの体格が突然巨大化したのは本拠地をAT&Tパーク(旧名称パシフィックベルパーク)に移した2000年シーズン以降で、2001年シーズンはついにマーク・マグワイアのシーズン本塁打記録を破ったが、ドジャースとのその試合では打ち負け、またもワールドシリーズ進出はならなかった。

新庄剛志が移籍した翌2002年シーズンはワイルドカードながらも久々にリーグ優勝した。チーム内ではその唯我独尊的言動で浮いていたボンズとも好関係だった新庄は日本人野手としては初のワールドシリーズ出場選手となったが、同じくワイルドカードで出場したロサンゼルス・エンゼルスに惜しくも敗れた。その後も本塁打(と四死球)数を伸ばしていったボンズは2004年9月17日のサンディエゴ・パドレス戦でついにベーブ・ルースの通算本塁打記録を抜いたが、薬物疑惑スキャンダルに見舞われる事となる。翌2005年には故障でシーズンの大半を欠場、バリー・ジトを迎えた2007年シーズンにハンク・アーロンのメジャー通算本塁打記録を破る事が注目され、8月7日に本拠地のワシントン・ナショナルズ戦でついに塗り替えた。

しかし、近年は「メジャーリーグの中のシニアリーグ」と揶揄されるほど高齢のベテランばかりのチームとなっているのもまた事実であり、2005年以降は3シーズン連続負け越し、2007年にはついに3地区制シーズン(1993年~)では1996年以来11年ぶりとなる4位以下に落ちてしまった。また、シーズン中の9月21日(現地日付)には、年俸の高さ、チームの低迷、チームの若返りの方針などにより、来期以降のボンズとの契約を延長しない意思を彼に伝え、ジャイアンツを退団する事となった。

[編集] 主な選手

[編集] 現役選手

投手

捕手

内野手

外野手

* アクティブロースター外
** 40人ロースター外
2008年6月16日更新   
[公式サイト(英語)より:40人ロースター  選手の移籍・故障情報  予想オーダー]

[編集] 殿堂入り選手

[編集] 永久欠番

[編集] 傘下マイナーチーム

クラス チーム 参加リーグ
AAA フレズノ・グリズリーズFresno Grizzlies Pacific Coast League
AA コネチカット・ディフェンダーズ(Connecticut Defenders Eastern League
A+ サンノゼ・ジャイアンツ(San Jose Giants California League
A オーガスタ・グリーンジャケッツ(Augusta GreenJackets South Atlantic League
A- セーラムカイザー・ヴォルケーノズ(Salem-Keizer Volcanoes Northwest League
Rookie アリゾナ・ジャイアンツ(Arizona League Giants Arizona League

[編集] チーム名の由来

チーム名の由来は、giant(ジャイアント、日本語で巨人の意味)。当時、監督を務めていたジム・ミュートリーがチームの勝利に興奮し、「お前らが大きく見える」と叫んだという説と、かつて2人の長身選手がいたからという説がある。

[編集] 脚注

  1. ^ 宇佐美陽「ボールパークを巡る冒険 (2)」『SLUGGER』通巻第4号(1998年8月号)、日本スポーツ企画出版社、76頁
  2. ^ a b 宇佐美、77頁

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ


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