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PATA - Wikipedia

PATA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

PATA
基本情報
出生名 石塚智昭
出生日 日本千葉県千葉市
1965年11月4日(42歳)
ジャンル J-ROCK
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1980年代~現在
共同作業者 X JAPAN、P.A.F、Dope HEADzRa:IN
公式サイト http://www.pata-official.com/
  

PATA(パタ、本名:石塚 智昭(いしづか ともあき)、1965年11月4日 - )は千葉県千葉市出身で、ロックバンド・X JAPANギタリスト。血液型はB型。 Ra:INのギタリストとしても活動中。愛称は「石塚(大)先生」。

目次

[編集] 来歴

 (28日『~破壊の夜~』 29日『~無謀な夜~』(追加公演) 30日『~創造の夜~』)。

  • 2008年5月3日 、Ra:INのメンバーとして、そしてhide with Spread Beaverのゲストギタリストとして、5月4日、X JAPANのメンバーとして、hide memorial summit(hide十周忌追悼ライブ(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ))に出演。
  • 2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演の発表後、世界各国から公演依頼が殺到し、2008年6月現在発表している以外の日本を含め、全世界を回る大規模なツアーを予定していたが、YOSHIKIの持病の頸椎椎間板ヘルニアと腱鞘炎が悪化した為、全公演の延期を決定。X JAPANの活動再開は未定。

[編集] 人物

速弾きを得意としていて1分間に700~800回アップダウンできるといわれている。HIDEは、自分よりギターが上手いと話していた。

たいていのX JAPANの楽曲ではHIDEがリードギターで、PATAはサイドギターを担当していたが、「オルガスム」や「Stab Me In The Back」、「I'LL KILL YOU」などの高速ナンバーでは、逆にPATAがリードギターを担当している。

Xのインディーズアルバム『VANISHING VISION』の売り上げのメンバーへの分配金100万円の小切手を受け取る時には、ウイスキーボトルと一緒に無造作に尻ポケットへ突っ込んでそのまま帰ろうとしたが、メンバーの見ている側からその小切手を落として気付かないまま帰ってしまったため、メンバーが慌てて呼び戻したという。
他には「でっかいものは小さくならねぇ!」「アルマーニ?それってウメェんか?」というPATAの発言もあり、人物をうかがい知ることができる。hideからは「格言魔王」と呼ばれライブのMCでよくネタにされていた。

そばアレルギーである。少量でもアレルギー症状が出る事から、重度であるとされる。

最近は、かつてWANDSal.ni.coボーカリストだった上杉昇の楽曲制作に携わり、コラボレイトシングル2枚とともに上杉の1stアルバムやライヴにも参加している(Ra:INとして)。また、元LUNA SEAドラマー真矢等と共に相川七瀬バックバンドでも活躍中。

野村義男に似ていると言われる事もある。また腰までのロングヘアーが特徴だが、これはジミー・ペイジの影響らしい[要出典]

大魔神5人組時のステージネームは『ゴンザレス伍長』だった。

昔、父親が死んでしまった時、ショックで不登校になってしまったらしい[要出典]

2007年10月18日にX JAPANオフィシャルホームページにてX JAPANの活動再開が正式に発表されたため、X JAPANで再び活動することになる。

[編集] 使用機材

1959年製のギブソンレスポールスタンダード
  • メインとして使っている愛用ギター。通称「1号」。これはバーストと呼ばれるレスポールの中でも最高級の値打ちがあるヴィンテージギターでもあり、このギターはXのアルバム『Jealousy』のレコーディング中に滞在したアメリカで当時2万ドルで購入した物である。店員によると以前の所有者も有名なギタリストであったらしい。ピックアップはオールドP.A.Fの中でも特に希少価値の高いゼブラカラーのものが搭載されている。
  • 同様に1959年製のレスポールを所有して主にレコーディングで使用していたhideに対して、PATAはレコーディングだけでなくライブでもメインギターとして使用している。HIDEの所有のレスポールとPATA所有のレスポールは製造時のシリアル番号が2番違いであり、同時期に製作されたものと思われる。なお、X JAPANのライブにおいて一度だけHIDEとPATAが二人とも1959年製レスポールを揃えて持ち、演奏したことがある。
  • X JAPANのライブでは半音下げチューニングの曲で使用。(X時代はほとんど全ての曲が半音下げチューニングの為、ライブではこれ1本で通すことも多かった。)
  • 通称「本妻」。レコーディングなどのギターチョイスの際、まずこの59年製スタンダードが基本にあり、違う音が欲しい時はカスタムなど他の物に手を付ける。それでもしっくり来なければ最終的にこのメインに戻ってくることから。
  • ツアーなどの移動で機材を運ぶ際にも人に任せず自分で持つほど慎重に扱っている。
1954年製のギブソン・レスポールスタンダード
  • サブとして使われている。通称「ハゲ」。元々はゴールドトップ(塗装)のモデルであるが、塗装を剥がしてあるために「ハゲ」と呼ばれる。 ピックアップは元々付いていたP-90からP.A.F、トムホームズへと交換されている。また、ブリッジはチューン・O・マチック&テイルピースになっている。
  • メインの59年製レスポールと比べると荒い音色の特徴があるとの事。
  • X JAPANのライブでは『Rusty Nail』等ノーマルチューニングの曲で使用。
フェルナンデス(Burny)製のエクスプローラーモデル
  • このギターは希少な材木のコリーナを使用していて、ピックアップはトムホームズのものが搭載されていた。また、hideはこのギターを弾いて音色が気に入ったために「くじら」と呼ばれる形以外全く同じ仕様のギターを作ってもらいレコーディングなどにも使用した。シグネイチャーモデルとして廉価版のEX-85PとドンズバモデルのEX-240P(希少材のためか材がコリーナではなくホンジュラスマホガニーになっている)の二つが販売されていた。
  • X JAPANのライブではドロップDチューニングの『SCARS』で使用。
1972年製のギブソン・レスポールカスタム
  • ピックアップは以前はフロントはダンカンのカスタム、リアはJBだったが、現在はフロントをトムホームズH-450に交換してある。
  • Xに加入する以前のバンドで、当時のギタリストから奪ったものらしい。しかしもともと購入したのはPATA本人らしい。
  • X初期の頃はメインで使用されていたがそれ以降は主にTV出演時に使う事が多く、再結成時の『I.V.』のPVでも使用されている。
  • 他にもX以前から使用していたBurnyのレスポールモデルなど、ほとんどレスポールやギブソン系のギターを使用している。だが昔リッチー・ブラックモアなどに惹かれたためストラトキャスタームスタングなどのフェンダー製ギターも所有している。
  • アンプは中音域が太くなるように改造したフルテン仕様のマーシャルやHIWATT等。ライブで用いられるPA等のセッティングでは二つのアンプの音色をブレンドしたものを活用している。
  • X時代、どのモデルかは不明だが実家にギターを預けておいた際、事故でネックを折られてしまったことがある。

[編集] エピソード

X加入のきっかけ
X加入前にジュディというバンドでリーダーをしていたPATAは、ドラムが脱退してしまった時にYOSHIKIにサポートドラマーを頼み、数回ライブをした。その時YOSHIKIをバンドに誘ったが、「俺にはXがある」と断られる。その後ジュディが解散し、どのバンドにも入らずにいたPATAにYOSHIKIから「ビクターのオムニバスアルバムに参加するからギターやってくれない?」と誘われ参加。その後何回かサポートとして誘われるうちにずるずるとXに居続けることになり、HIDEがXに加入後程なくして晴れてPATAも正式加入となる。なお、Xは出費が激しくTAIJIがコンビニでパンを盗んでいたのは有名だがPATAもバイト先であるビデオ屋の給料を前借りし、給料袋の中に明細票しか入っていなかったという悲惨なことがあった。ちなみにYOSHIKIはPATAの初印象を「紫のプリプリのブラウスを着ていた」と語っている。
PATAとパタリロ
PATAの名前の由来は漫画「パタリロ」の主人公、パタリロに似ていることから。これは、性格が似ているところから来ているとされているが、マンガ好きの西村知美(タレント)と会った際には「PATAさん(外見が)似てますもんね、パタリロに」と言われてしまい、PATAは「顔が似ているんじゃない。性格が似ているからPATAって呼ばれるようになった」と説明している。PATAはその後に作者の魔夜峰央と対談をし、「パタリロ」44巻の作中に登場する(文庫2巻に西村知美の解説が載っている)。2008年の復活ライブの際に販売されたパーソナルグッツでは、パタリロ風にデフォルメされたPATAとのコラボレーショングッツ(手ぬぐい・扇子)が発売された。
巨人ファン
大の巨人ファンであり、ソロ活動に伴ってPATA自身の個人事務所を設立した際、名前を「OFFICE GIANTS」としたほど。X JAPANの東京ドーム公演では、グラブを持ち込みTOSHIとキャッチボールをしたり、「ここが桑田の座ったとこかな?」と1塁側ベンチに座りご満悦となる。レコーディングのためアメリカに渡った際も、国際電話で巨人の勝敗を聞いていた。
Xの記念すべき初東京ドームの際、その前日に巨人の試合があったため、巨人が勝ったら興奮したファンの退場が遅くなりライブの機材搬入が遅くなって開始時刻に間に合わないとスタッフが心配していた。しかし巨人は試合に負け、機材搬入とゲネプロは予定通りに進行。スタッフが思わず「(間に合って)よかったですね」と口にしたところ、PATAは「馬鹿野郎、巨人が負けたのに何がいいんだ!」と、普段の様子では考えもつかないほど怒ったらしい。
とにかく巨人の勝敗でその日の機嫌が180度変わってしまうため、Xの他のメンバーの間では「巨人が負けたから、今日のPATAはそっとしておこう」という暗黙のルールまであったほど。
またhideのソロライブでは、スクリーンに巨人が負けているテレビ放送が映し出され、機嫌を損ねてステージ裏に引き込みビールを飲み出したりもした。1996年の『hide Solo Tour 1996-Psyence A Go Go-』では、全会場のステージ袖にこっそりテレビを置き、巨人戦の試合経過を随時確認しながら演奏していた。
X JAPANの復活時、真っ先にPATAに飛んだ質問は「10年たった今でも巨人ファンか?」というものだったが、「間違いない」と即答していると共に前年の1位からクライマックスシリーズ敗退という失態を嘆いていた。この日最も生き生きとしていたのはこの巨人について語っているときであった。なお、復活コンサート「破壊の夜」は偶然にもその年のセ・リーグ開幕戦と同日であるため、前年度優勝(レギュラーシーズン)チームにも関わらず敵地で開幕を迎えるという事実に胸を痛めているとも語っていた。なお、他のメンバーは全く巨人に興味は無いようで、YOSHIKIに至ってはクライマックスシリーズのことすら知らない様子であった。
ミス
Xのライヴの時、PATAのアコースティックギターによるソロ「White Wind From Mr,Martin」を演奏している時にミスってしまい、観客がそれを指摘していたところ、「間違える事もあるんだよ」と開き直ってしまい、そのまま「Voiceless Screaming」に移ってしまった。しかし、それを一番笑っていたのはHIDEだったとか。
怒り
普段決して怒りを面に出さない人物として有名であるが、ロス在住の折、HIDEとHEATHスタッフ数名で飲みに出かけた時のこと、HIDEの危険極まりない運転に対し、命の危険を感じたPATAは本気で怒鳴りつけたことがある。これにはさすがのHIDEも大人しくなってしまったようだ。後にも先にもX在籍中にPATAが本気で怒りをぶちまけたのはこの時だけらしい(heath談)
X初期では紅いモヒカンの髪型で有名であるが、当時はあまり手入れをしていなかったようで、抜け毛が酷かったらしい。 その為か、当時のインタビューで「将来はどんな大人になりたいか」という問いに対し、「アデランスのお世話にならない人」と答えている。Xに入ってからはHIDEに髪を任せているが、あまりにも髪に無頓着だったためある日茶気を起したHIDEが両サイドの髪を綺麗に剃ってしまった。が、それでもPATAは少し寂しそうな顔をしただけで何も言わなかったという。ちなみにそのとき剃った髪はHIDEがヘアーエクステンションとして使っていた。(BLUEBLOOD時代の金髪に混じる赤髪がPATAの毛である。)
hide
ライヴの打ち上げ等でhideが酔って暴れるときはいつも避難して、傍らで酒を飲み、hideが落ち着くのを待っていたらしい。そのためか「究極の傍観者」というあだ名を付けられている。hideとの仲は、hideのソロツアーに参加しているくらい良く、hideの里帰りにも同行したことがある。そこでhideは母親の料理を食べながら朝まで飲んでいたようで、PATAもびっくりしたとか。
酔っ払いながら「今から車に飛び込んで死んでやるから、書けばいいじゃんか!」と言って暴れたhideを止めようとしたライターの市川哲史が殴り合いの喧嘩になり、乱闘20分、落ち着いて和解して「これから呑み直そう」という段階になったら電柱の陰からPATAが出てきて、「遅かったな、待ってたぞ」と言ったらしい。市川は「止めろよ、喧嘩を」と少し呆れたらしい。(市川哲史著書「私がヴィジュアル系だった頃」から)

[編集] ディスコグラフィー

シングル

オリコン35位
オリコン94位

アルバム

オリコン11位
  • Raised on rock 1995年7月5日
オリコン33位

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク



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