MB.152 (航空機)
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MB.152は、フランスのブロシュ社によって開発され、第二次世界大戦で使用された戦闘機である。1936年初飛行のMB.150から発展したMB.151をさらに改良した機体であったが、性能的には他のフランス空軍の戦闘機(MS.406、D.520)より劣っていた。しかし、全体で600機以上生産され休戦後ヴィシー政府軍で使用された他、ギリシア、ルーマニアにも輸出されている。
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[編集] 概要
1936年にフランス空軍の新型単座戦闘機開発計画に基づいて開発されたMB.150のエンジン出力向上型であるMB.151は1938年8月に初飛行した。空冷式エンジンを搭載していたため、大量生産可能と判断したフランス空軍はMB.151の量産発注を行ったが、エンジンが非力で運動性能が悪く、武装も弱かった。そこで、エンジンを高出力の物に換装し、武装を強化したのがMB.152であった。原型機は1938年12月に初飛行した。
MB.152は全金属製の低翼単葉機で、エンジンはノームローン14N25空冷1080 馬力エンジンを搭載していた。外見は一見近代的であったが、水平尾翼を胴体からの斜め支柱で支えていたり尾輪ではなく尾ソリであるなど旧態依然としているところもあった。
1939年3月から部隊引渡しが始まったが、生産時の混乱によりプロペラや照準機の装備が不十分なまま納入される機体があるなど、戦力化には程遠い状態が続いた。また機体自体も、エンジンの冷却不足による出力制限により低速度でしか運用できず、高空での操縦性が悪かったため、乗員の評判はよくなかった。20mm機関砲を装備して武装強化したものの、機関砲の故障が多く有効な働きができなかった。
欠点の多い機体ではあったが量産は続き、MB.151、MB.152あわせて650機程が生産された。この内、1940年からのドイツ軍との戦闘で270機が失われた。これは、フランス戦闘機の中で最も大きな損失であった。ただし、ドイツ機の撃墜数も152機(これとは別に約30機の未確認機がある)を数えている。停戦後は、ヴィシー政府において戦闘機として使用された他、ドイツ軍において練習機として用いられた機体もあった。
MB.152の速度性能、航続距離の増加、運動性向上を目指して開発されたのがMB.155で、1939年末に初飛行したが、対ドイツ戦には間に合わず、少数しか生産されなかった。さらにエンジンを1580 馬力のものに換装したのが最終生産型のMB.157で、1942年3月にドイツ軍の手で完成、初飛行を行った。
[編集] 仕様
[編集] MB.151
- 全長:9.10 m
- 全幅:10.54 m
- 全高:3.95 m
- エンジン:ノームローン14N-11空冷星型14気筒 940hp
- 最大速度:460 km/h
- 武装
- 7.5mm機銃×4
- 乗員:1名
[編集] MB.152
- 全長:9.10 m
- 全幅:10.54 m
- 全高:3.95 m
- 全備重量:2,676 kg
- エンジン:ノームローン14N-25エンジン 空冷星型14気筒 1,080hp
- 最大速度:515 km/h
- 上限高度:10,000 m
- 航続距離:600 km
- 武装
- 7.5mm機銃×2
- 20mm機関砲×2
- 乗員:1名
[編集] MB.155
- 全長:9.05 m
- 全幅:10.55 m
- 全高:3.95 m
- 全備重量:2,900 kg
- エンジン:ノームローン14N-49 空冷星型14気筒 1,100hp
- 最大速度:520 km/h
- 上限高度:10,000 m
- 航続距離:1,050 km
- 武装
- 7.5mm機銃×2~6
- 20mm機関砲×2(装備していない機体もあった)
- 乗員:1名