1972年の政治
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1972年の政治では、1972年(昭和47年)の政治分野に関する出来事について記述する。
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[編集] できごと
[編集] 1月
- 1月3日 - 日米繊維協定、ワシントンで調印。
- 1月4日 - クルト・ワルトハイムが、第4代国連事務総長に就任する。
- 1月6日 - アメリカ・サンクレメンテで佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領会談。7日共同声明発表。沖縄返還が5月15日に確定する。
- 1月7日 - インド・北ベトナム国交樹立。
- 1月11日 - 東パキスタンが、国号をバングラデシュに改称する。
- 1月22日 - イギリス、アイルランド、デンマーク、ノルウェーの4ヶ国が、EC(ヨーロッパ共同体)加盟条約に調印。
- 1月30日
[編集] 2月
[編集] 3月
[編集] 4月
[編集] 5月
[編集] 6月
- 6月11日 - 田中角栄通産相が「日本列島改造論」発表。
- 6月17日
- 第68通常国会閉会。佐藤栄作首相、引退を正式表明。
- アメリカで、ウォーターゲート事件が発覚する。
- 6月25日 - アルゼンチン大統領選挙。フアン・ペロンが、アルゼンチン大統領に当選する。
[編集] 7月
- 7月3日 - 肖向然・中日備忘貿易弁事部東京連絡処首席代表が来日。
- 7月5日 - 自由民主党総裁選挙。田中角栄が第6代自由民主党総裁に選出される。
- 7月6日 - 田中角栄が内閣総理大臣に指名される。
- 7月7日 - 第1次田中角榮内閣発足。外相に大平正芳、通産相に中曽根康弘、国務相・副総理に三木武夫、内閣官房長官に二階堂進。
- 7月9日 - 周恩来・中国首相、南イエメン代表団歓迎パーティで、日本の問題に言及。
- 7月10日 - 中国上海舞劇団(孫平化団長)来日。
- 7月12日 - 佐々木更三社会党元委員長訪中。周恩来首相と会談。
- 7月20日 - 来日中の孫平化・中国上海舞劇団団長が大平正芳外相、三木武夫国務相、橋本登美三郎自民党幹事長らと会談。
- 7月25日 - 竹入義勝公明党委員長訪中。27日から29日にかけて周恩来首相と会談。中国側は日中共同声明の第一次案を提示。
[編集] 8月
- 8月3日 - 竹入義勝公明党委員長帰国。5日、田中首相と会談。
- 8月7日 - 田中首相の私的諮問機関である日本列島改造問題懇談会が発足。
- 8月7日 - 蒋経国・中華民国(台湾)首相、日中国交正常化の動きについて日本を批判。
- 8月10日-8月11日 - アメリカ、ベトナムからの地上勢力の撤退を終了。
- 8月16日 - 中華民国(台湾)駐日大使が大平正芳外務大臣と会談。日本に抗議。
- 8月31日 - 日米首脳会談。田中首相とニクソン大統領がハワイ・ホノルルで会談。
[編集] 9月
- 9月5日 - ミュンヘンオリンピック事件。アラブ・ゲリラがオリンピック選手村に潜入しイスラエル人選手ら11名を殺害。
- 9月9日 - 自民党の古井喜実、田川誠一衆議院議員が訪中。
- 9月14日 - 閣議でむつ小川原開発を了承する。列島改造の最初。
- 9月25日
- 9月26日 - 第二回日中首脳会談。
- 9月27日 - 第三回日中首脳会談。田中首相、毛沢東中国共産党主席と会談。
- 9月28日 - 第四回日中首脳会談。
- 9月29日 - 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明)調印。日中国交回復。日華平和条約が終了。日本と台湾は国交を断絶。
[編集] 10月
[編集] 11月
- 11月7日 - アメリカ合衆国大統領選挙でリチャード・ニクソンが再選される。
- 11月8日 - 衆議院、「日中共同宣言に関する決議」を採択。
- 11月13日 - 衆議院解散。
- 11月30日 - 国土の利用に関する総合計画法成立。
[編集] 12月
- 12月10日 - 第33回衆議院議員総選挙。
- 12月17日(18日?) - アメリカ軍、北ベトナム爆撃(北爆)を再開。
- 12月21日 - 東西両ドイツ、互いを国家承認。基本条約を締結。
- 12月22日 - 第2次田中角榮内閣成立。福田赳夫が行政管理庁長官として入閣。
- 12月 - 国土庁地価評価額を発表。地方都市の地価暴騰拡大。