高橋源一郎
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高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家。広島県尾道市出身。灘高等学校編入を経て横浜国立大学経済学部除籍。土木作業員などの仕事を経て、1981年『さようなら、ギャングたち』でデビュー。80年代に『ジョンレノン対火星人』『虹の彼方に』などを発表。パロディやパスティーシュを駆使し、古今東西の名作からマンガ、テレビといったマスカルチャーまでを引用する前衛的な作風により、日本を代表するアヴァン・ポップ文学の担い手として注目される。
1988年『優雅で感傷的な日本野球』により三島由紀夫賞受賞。7年を費やした長編小説『ゴーストバスターズ』(1997年)を経て、2001年、明治時代の文豪を現代風俗の中に甦らせた野心作『日本文学盛衰史』を刊行、翌年伊藤整文学賞を受賞。以後も論考『ニッポンの小説』など、現代日本で小説を書くことの意味を問題にして執筆活動を続けている。2005年より明治学院大学国際学部教授。
競馬評論家としても活動。3度の離婚歴があり、前々妻の谷川直子、前妻の室井佑月はともに小説家。なお、室井との間に一子をもうけている。
目次 |
[編集] 来歴
1951年、広島県尾道市に生まれる。世田谷区立舟橋小学校を経て麻布中学校に入学。1964年、灘中学校に転入。この頃鮎川信夫、谷川雁、鈴木志郎康等の現代詩を読み感銘を受ける。また灘中の同級生竹信悦夫から多大な文学的影響を受けた。灘高校時代より無党派のデモに参加。1969年、灘高校を卒業し横浜国立大学経済学部に入学。しかし大学紛争中のストライキでほとんど授業が行なわれず、活動家として街頭デモなどに参加する日々を送る。同年11月、学生運動に加わって凶器準備集合罪で逮捕起訴され、東京拘置所で半年を過ごす。この体験が原因で一種の「失語症」となり、書くことや読むことが思うように行かなくなる。1972年、土方のアルバイトを始め、鉄工所や化学工場、土建会社などを転々とした。この頃に競馬に興味を持つようになる。
1979年より「失語症」へのリハビリテーションとして小説を書き始め、1980年に『すばらしい日本の戦争』を群像新人文学賞に応募、最終選考まで残るものの落選。この時に担当した編集者に勧められて長編小説の執筆を開始し、1981年に『さようなら、ギャングたち』を群像新人長編小説賞へ応募、優秀作となりデビューを飾る。『さようなら、ギャングたち』は柄谷行人、蓮実重彦、吉本隆明などからの絶賛を受けた。
1984年に『虹の彼方へ(オーヴァー・ザ・レインボウ)』を、1985年に『すばらしい日本の戦争』に手を加えた『ジョン・レノン対火星人』を発表。『さようなら、ギャングたち』と合わせて3部作とした。1987年、ジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』を翻訳、ベストセラーとなった。1988年、『優雅で感傷的な日本野球』により第1回三島由紀夫賞受賞。小林恭二、中沢新一、佐伯一麦、島田雅彦、山田詠美、吉本ばなな、松浦理英子など、高橋も含めて総勢12人の候補の大混戦となった中、選考委員の大江健三郎と江藤淳の2票を獲得して受賞した。この時の賞金の100万円は全額、日本ダービーにつぎ込み、一瞬にして使い果たした[1]。1990年の『惑星P-13の秘密』以降は1997年の『ゴーストバスターズ』まで小説の発表が無くなり、エッセイ、時評などを中心に執筆活動を行なった。1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに声明を発表。
1997年より『群像』に『日本文学盛衰史』の連載を開始し、2001年に刊行。近代文学が成立していく過程での明治期の文学者たちの苦悩を、テレクラやアダルトビデオといった現代風俗の中に再現し、翌年伊藤整文学賞を受賞した。この作品は賛否がかまびすしく、同賞の受賞は津島佑子の強い推薦によるもの。『日本文学盛衰史』以降は『官能小説家』『君が代は千代に八千代に』『ミヤザワケンジ・グレーテスト・ヒッツ』と、これまでに比して小説の発表が増えている。
小林多喜二の『蟹工船』が2008年に再脚光を浴びたのは、同年1月9日に毎日新聞東京本社版の朝刊文化面に掲載された、高橋と雨宮処凛との対談がきっかけとなりブームが始まったともいわれる[2][3]。
[編集] 競馬評論家としての活動
競馬好きが高じて、1990年代よりテレビの競馬関連の番組に進出。『スポーツうるぐす』(日本テレビ)では、司会の江川卓と予想対決を繰り広げたほか、『ドリーム競馬KOKURA』(テレビ西日本制作分)ではゲストとしてたびたび出演。盟友だった佐藤征一アナウンサーが定年の関係もあって番組の表から遠ざかった後は、コメンテーター的司会として毎回出演するようになり、現在に至っている。この2つの番組によって、高橋は「競馬好き作家」としてすっかり有名になった。ちなみに、高橋降板後の『うるぐす』には、関西テレビを定年退職した杉本清が入っている。
なお、レギュラーとして出演していた『DREAM競馬』については、2007年2月11日の放送を最後に藤城真木子ともども降板したが、それから半年後の8月12日の放送は、同年で唯一BSフジにおいて全国放送されることもあり、この日限りながら復活出演となった(降板時はTNCローカル放送だったため、TNC以外の視聴者には降板挨拶がなされなかった)。
[編集] 作品リスト
著書
- さようなら、ギャングたち
- 虹の彼方へ(オーヴァー・ザ・レインボウ)
- ジョン・レノン対火星人
- 優雅で感傷的な日本野球
- ペンギン村に陽は落ちて
- ぼくがしまうま語をしゃべった頃
- 文学王
- あ・だ・る・と
- 日本文学盛衰史
- ゴヂラ
- 官能小説家
- 君が代は千代に八千代に
- 一億三千万人のための小説教室(岩波新書)
- ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ
- 人に言えない習慣、罪深い愉しみ』(書評集)
- 性交と恋愛にまつわるいくつかの物語
訳書
ほか多数
[編集] 脚注
- ^ 高橋が買っていたメジロアルダンは、ゴール直前にいったん先頭に立つも一度競り勝ったはずのサクラチヨノオーの粘り腰に再度逆転を許し、2着に終わっている。
- ^ プロレタリア文学:名作『蟹工船』異例の売れ行き - 毎日jp(毎日新聞)
- ^ 週刊現代、2008年6月7日号 48頁-49頁