雨宮製作所
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雨宮製作所(あめみやせいさくしょ)は、鉄道車両を製造していた企業。 1907年、鉄道資本家であった雨宮敬次郎(あめみや・けいじろう)個人経営の工場「雨宮鉄工所」として操業を開始する。
[編集] 沿革
雨宮は大日本軌道という全国に支社(路線)を展開する軽便鉄道事業を運営しており、その路線へ車両を自家生産し廉価に供給することを目的としたとされる。
第一次大戦後の好況に乗じ業績を伸ばし、1919年、雨宮製作所と改称する。 しかし1923年の関東大震災は東京深川にあった工場を壊滅させてしまう。その後は再建に乗り出し、1927年に新潟鐵工所と共同で日本初のディーゼル機関車を、1928年には日本初のディーゼル動車(長岡鉄道キロ1形)を製作するなど、新技術開発に意欲的であったが、昭和金融恐慌の波に呑まれ地方私鉄の開業は途絶えて受注は激減、1931年には事実上活動を停止してしまう。1934年ごろに会社は整理されたものと考えられる。
生産品は小型の蒸気機関車から客車、電車、気動車まで多岐にわたり、工事用として納入された少数の例外を除き、納入先は私鉄に限定される。
[編集] 製品
蒸気機関車製作は当初人車軌道を蒸気動力化するためにアメリカから輸入されたトラム・ロコを模倣した「へっつい」形と称される非常に背の低い単純な構造の機関車の製造からスタートし、客車もこれに牽引される非常にコンパクトな車両から製造を開始したが、機関車設計は1910年代にコッペルやクラウスなどの欧米メーカー製品に学んだ、極めて堅実かつ実用的な設計のウェルタンク式機関車に発展し、これは会社閉鎖まで主力商品として各地の小鉄道に供給され、更にこれらの設計は倒産後、立山重工業や協三工業など各地に設立された地方の車両メーカーの良きお手本となった。
電車製作では京成電気軌道や京王電気軌道および玉南電気鉄道など、近隣の鉄道への納入実績が多く、その他、「馬面電車」として有名な花巻電鉄への納入が知られている。
電車においては、台車に板台枠とウィングバネ式軸箱支持機構を備えたヨーロッパ風の設計を多用しており、後に日本鉄道自動車がその模倣品を製作している。
また、気動車製作では後発であったものの、当初より両運転台式での車両設計を行うなど先進的な構想を持っていたことが知られ、純粋な単端式気動車の製作例はごく少数に留まり、その製造実績の大半は実用性の高い2軸両運転台式の半鋼製車が占めていた。
[編集] 関連項目
- 雨宮21号 (現存する雨宮製作所製の車輌)