鎮台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鎮台(ちんだい)は、1871年から1888年まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 略史
- 1871年(明治4年)4月 - 東山鎮台(石巻)、西海鎮台(小倉)設置。
- 同年8月 - 東山鎮台、西海鎮台を廃止。東北鎮台(石巻)、東京鎮台、大坂鎮台、鎮西鎮台(熊本)を置く。
- 1872年(明治5年)4月1日 - 鎮西鎮台が熊本鎮台に改称。
- 1873年(明治6年)1月9日 - 東北鎮台が仙台鎮台に改称。
- 同年7月 - 名古屋鎮台、広島鎮台を設置。
- 1879年(明治12年)9月 - 鎮台司令長官の呼称を鎮台司令官に変更。
- 1888年(明治21年)5月12日 - 鎮台を廃し、師団に改組。
[編集] 歴史
鎮台はフランス陸軍に範をとった陸軍編成である。当初日本における陸軍の役割は、外征ではなく、国内の治安維持であった。そのため、平時の編成としては鎮台のみ置くこととして、戦時には機動性に欠ける鎮台を旅団(明治18年以降は師団)に臨時改組することにした。
鎮台の数は、設置当初の1871年には日本の辺境部の港町あるいはその近くのみに計2つ設置されたが、同年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により全国が明治政府の直轄となったのに合わせて4に拡大され、港湾施設との関係が薄くとも内陸の主要地に設置された。このときの鎮台は、御親兵から転じた者と、士族からの志願者で編成された。
1873年に2つの鎮台が増設され、北海道を除く地域を、6軍管区、14師管区に分けた。軍管区には鎮台、師団管区には営所が置かれた。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から北陸地方が名古屋鎮台に、中国・四国地方が広島鎮台にそれぞれ移管された。この年徴兵令施行とともに、徴兵された兵士が鎮台に入隊するようになった。北海道には徴兵令が施行されず、かわりに屯田兵が置かれた。
徴兵の比率はしだいに高くなったが、士族中心の軍隊から急激に変化したわけではない。鎮台時代最大の戦争だった西南戦争では、正規の鎮台兵に加えて近衛兵、屯田兵、警察巡査、追加募集の兵が士族出身兵として加わり、あわせて士族が官軍将兵の半数を占めた。
|
|
[編集] 各鎮台歴代幹部
- 明治12年9月24日から司令長官を司令官と改称
- 明治21年5月14日から各鎮台を師団に改編
[編集] 仙台鎮台
[編集] 東北鎮台司令長官
- (欠員)明治4年8月8日 - 明治5年3月23日
- 明治5年3月23日 - 明治6年1月9日:三好重臣(大佐)
[編集] 仙台鎮台司令長官
(明治6年1月9日仙台鎮台と改称)
- 明治6年1月9日 - 明治7年8月20日:三好重臣(大佐)
- (代理)明治7年9月18日 - 明治11年9月12日:堀尾晴義(中佐)
- (代理)明治11年9月12日 - 明治11年11月20日:福原実(大佐)
- 明治11年11月20日 - 明治12年10月8日:福原実(少将)
- (欠員)明治12年10月8日 - 明治13年4月29日
[編集] 仙台鎮台司令官
- 明治13年4月29日 - 明治14年2月7日:四条隆謌(少将)
- 明治14年2月7日 - 明治18年5月21日:佐久間左馬太(少将)
- 明治18年5月21日 - 明治19年3月16日:曾我祐準(中将)
- 明治19年3月16日 - 明治21年5月12日:佐久間左馬太(中将、明治21年5月14日第2師団長)
[編集] 参謀長
- 明治7年8月 -:堀尾晴義(中佐)
- 明治11年9月 - 明治11年11月:野崎貞澄(中佐)
- 明治11年12月 - 明治14年1月:山名重名(中佐)
- 明治14年1月 - 明治15年2月:川上操六(中佐)
- (心得)明治18年5月 - 明治19年3月:大島義昌(中佐)
- 明治19年3月 -:高島信茂(歩兵大佐)
[編集] 東京鎮台
[編集] 司令長官
- 明治4年12月14日 - 明治6年7月7日:三浦梧楼(少将)
- 明治6年7月7日 - 明治6年11月24日:山田顕義(少将)
- 明治6年11月29日 - 明治9年6月12日:種田政明(少将)
- 明治9年6月13日 - 明治11年12月14日:野津鎮雄(少将)
- (代理)明治10年2月19日 - 明治10年2月23日:大山巌(少将)
- (代理)明治10年2月24日 - 明治10年3月16日:曾我祐準(少将、陸軍士官学校長の兼任)
- (代理)明治10年3月16日 - 明治10年7月12日:小松宮彰仁親王(少将)
- 明治11年12月14日 - 明治12年9月24日:野津道貫(少将)
[編集] 司令官
- 明治12年9月24日 - 明治18年5月21日:野津道貫(少将)
- (代理)明治17年11月19日 - 明治18年5月21日:北白川宮能久親王(少将)
- 明治18年5月21日 - 明治19年7月26日:三浦梧楼(中将)
- 明治19年7月26日 - 明治21年5月12日:三好重臣(中将、明治21年5月14日第1師団長)
[編集] 参謀長
- 明治11年12月 - 明治16年2月:岡沢精(中佐)
- 明治18年5月 - 明治19年5月:山口素臣(大佐)
- 明治19年5月 - 明治20年6月:西寛二郎(大佐)
- 明治20年6月 - 明治21年5月:大島義昌(大佐)
[編集] 名古屋鎮台
[編集] 司令長官
- (欠員)明治6年1月12日 - 明治6年11月24日
- (心得)明治6年11月24日 - 明治7年4月12日:揖斐章(大佐)
- 明治7年4月12日 - 明治12年9月24日:四条隆謌(少将)
[編集] 司令官
- 明治12年9月24日 - 明治13年4月29日:四条隆謌(少将)
- 明治13年4月29日 - 明治14年10月26日:揖斐章(少将)
- (欠員)明治14年10月26日 - 明治15年2月6日
- 明治15年2月6日 - 明治18年5月21日:滋野清彦(少将)
- 明治18年5月21日 - 明治21年5月12日:黒川通軌(中将、明治21年5月14日第3師団長)
[編集] 参謀長
- 明治7年4月 - 明治7年9月:揖斐章(大佐)
- 明治7年9月 - 明治11年12月:長屋重名(中佐)
- 明治15年3月 - 明治19年5月:西寛二郎(大佐)
[編集] 大阪鎮台
[編集] 司令長官
- (欠員)明治4年8月8日 - 明治5年1月29日
- 明治5年1月29日 - 明治7年4月12日:四条隆謌(少将)
- 明治7年4月12日 - 明治7年8月20日:鳥尾小弥太(少将)
- 明治7年8月20日 - 明治12年9月25日:三好重臣(少将)
- (代理)明治10年5月4日 - 明治10年10月2日:四条隆謌(少将。名古屋鎮台司令長官からの兼任。)
[編集] 司令官
- 明治12年9月25日 - 明治13年4月29日:三好重臣(少将)
- 明治13年4月29日 - 明治14年2月9日:曾我祐準(少将)
- 明治14年2月9日 - 明治15年2月6日:高島鞆之助(少将)
- 明治15年2月6日 - 明治18年5月21日:山地元治(少将)
- 明治18年5月21日 - 明治21年5月12日:高嶋鞆之助(中将、明治21年5月14日第4師団長)
[編集] 参謀長
- 明治7年9月 - 明治10年2月:揖斐章(大佐)
- 明治12年2月7日 - 明治13年5月:高島信茂(中佐)
- 明治14年2月 - 明治15年3月:小川又次(中佐)
- 明治15年3月 - 明治16年2月:長谷川好道(大佐)
[編集] 熊本鎮台
[編集] 鎮西鎮台司令長官
[編集] 熊本鎮台司令長官
(明治6年1月9日熊本鎮台と改称)
- 明治5年4月14日 - 明治6年4月5日:桐野利秋(少将)
- 明治6年4月5日 - 明治8年6月23日:谷干城(少将)
- (代理)明治7年4月11日 - 明治6年6月23日:野津鎮雄(少将、陸軍省第4局長の兼任)
- 明治8年6月23日 - 明治9年6月13日:野津鎮雄(少将)
- 明治9年6月13日 - 明治9年10月24日:種田政明(少将)
- (兼務)明治9年10月29日 - 明治9年11月9日:大山巌(少将、陸軍少輔兼第1局長の兼任)
- 明治9年11月9日 - 明治11年12月14日:谷干城(少将)
- 明治11年12月14日 - 明治12年9月25日:曾我祐準(少将)
[編集] 熊本鎮台司令官
- 明治12年9月25日 - 明治13年4月29日:曾我祐準(少将)
- 明治13年4月29日 - 明治14年2月7日:高島鞆之助(少将)
- 明治14年2月7日 - 明治15年2月6日:山地元治(少将)
- 明治15年2月6日 - 明治18年5月21日:国司順正(少将)
- 明治18年5月21日 - 明治19年7月26日:三好重臣(中将)
- 明治19年7月26日 - 明治19年8月16日:山田顕義(中将)
- 明治19年8月18日 - 明治21年5月12日:山地元治(中将、明治21年5月14日第6師団長)
[編集] 参謀長
- 明治6年12月 - 明治7年4月:中村重遠(中佐)
- 明治7年4月 - 明治8年4月:佐久間左馬太(中佐)
- 明治11年12月 - 明治14年1月:野崎貞澄(大佐)
- 明治14年1月 - 明治15年2月:国司順正(大佐)
- 明治15年3月 - 明治18年5月:山口素臣(大佐)
- 明治18年5月 - 明治21年5月:川村景明(中佐、明治21年5月14日第6師団参謀長)
[編集] 参謀副長
- 明治9年12月-明治11年2月:兒玉源太郎(少佐)
[編集] 広島鎮台
[編集] 司令長官
- (心得)明治6年11月7日 - 明治7年2月8日:高橋勝政(大佐)
- 明治7年2月8日 - 明治7年10月30日:井田譲(少将)
- (代理)明治7年11月10日 - 明治9年10月26日:高橋勝政(大佐)
- 明治9年10月26日 - 明治11年12月14日:三浦梧楼(少将)
- 明治11年12月14日 - 明治12年9月25日:井田譲(少将)
[編集] 司令官
- 明治12年9月25日 - 明治13年3月8日:井田譲(少将)
- 明治13年4月29日 - 明治15年2月6日:黒川通軌(少将)
- 明治15年2月6日 - 明治18年5月21日:野崎貞澄(少将)
- 明治18年5月21日 - 明治21年5月12日:野津道貫(中将、明治21年5月14日第5師団長)
[編集] 参謀長
- 明治7年2月 - 明治7年11月:高橋勝政(大佐)
- 明治10年1月 - 明治10年3月:中村重遠(中佐)
- 明治13年4月 - 明治14年1月:国司順正(大佐)
- 明治15年3月 - 明治17年10月:小川又次(中佐)