金子真人
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金子 真人(かねこ まこと、1945年3月15日 - )は、コンピューターのソフトウェア・電子機器部品関連会社・図研の代表取締役社長。
[編集] 経歴
[編集] 馬主としての金子真人
金子は関口房朗、近藤利一、山路秀則らと共に業界きっての社長兼馬主として有名である。冠名を使わず、所有馬への名づけのセンスが良いことでも知られている。国内外の重賞レースで活躍する所有馬も数多く、ファンの間で彼の所有馬が『金子馬』と呼ばれたり、所有馬が重賞レースで勝利した翌日には彼が社長をつとめる図研(東京証券取引所1部上場)の株に「ご祝儀買い」が入ったりするなど、その影響は非常に大きい。社台グループの吉田照哉や吉田勝己、ビッグレッドファームの岡田繁幸らと並び、現在の日本競馬界において、非常に優れた相馬眼を持つ人物の一人である。
池江泰郎、松田国英、国枝栄を初め、預託する厩舎は栗東・美浦を問わず多岐に渡る。勝負服は黒・青袖・黄鋸歯形。これは自身の会社である図研のロゴのカラーリングと同じ色を採用している。
2006年7月19日のプロ野球、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦では、所有馬ディープインパクトの主戦騎手である武豊が、この勝負服で始球式を務めた。
所有馬の初出走は1995年10月4日、ノーバディエルスの新馬戦。このレースは8着に敗れた。1996年1月5日、ニーニャデガルチの新馬戦での勝利が初勝利となる。このニーニャデガルチは同年にニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走、これが重賞初挑戦となるが、16着に敗れた。重賞初勝利は、ブラックホークが優勝した1998年のダービー卿チャレンジトロフィー。同年にはアマロがNHKマイルカップに出走し、GI初出走を達成する。12番人気の伏兵であったが、5着と健闘した。そしてGI初勝利は、前述のブラックホークが優勝した、1999年のスプリンターズステークスであった。
2004年にキングカメハメハ、2005年にはディープインパクトで東京優駿(日本ダービー)の連覇を果たした。これは、馬主として史上初めての快挙である。また、ディープインパクトは1994年のナリタブライアン以来11年ぶりにクラシック三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)を制した。初出走から無敗での三冠達成はシンボリルドルフ以来21年ぶりであり、その全てを一番人気で優勝した馬はディープインパクトが史上初である。
2005年8月4日付けで、個人だった馬主名義を、法人である金子真人ホールディングス株式会社に変更した。
2006年3月のドバイミーティングでは、ユートピアがゴドルフィンマイルを制して日本初の海外ダート重賞優勝を達成し、またカネヒキリもドバイワールドカップで4着に入る好走を見せた。同年10月1日にはディープインパクトが凱旋門賞に挑戦して大きな話題となったが、3着(後に禁止薬物の使用によって失格)に敗れた。なお、前日のダニエルウィルデンシュタイン賞(仏G2)では、日本ではオープン勝ちすらしていなかったピカレスクコートが2着に入った。
[編集] 代表所有馬
- *印は後に金子真人ホールディングス名義となった馬。GI勝ち鞍・JRA賞は名義変更前のもののみ記述。
- 統一GIは斜字で表記。
- ブラックホーク(スプリンターズステークス、安田記念)
- クロフネ(NHKマイルカップ、ジャパンカップダート) 2001年JRA賞最優秀ダートホース
- トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯) 2001年JRA賞最優秀4歳以上牝馬
- ユートピア*(全日本2歳優駿、ダービーグランプリ、マイルチャンピオンシップ南部杯)