郷野聡寛
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郷野 聡寛 | ||||||||
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基本情報 | ||||||||
本名 | 郷野 聡寛 | |||||||
通称 | The Japanese Sensation DJ GOZMA 難攻不落のビッグマウス GRABAKAの火薬庫 |
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国籍 | 日本 | |||||||
誕生日 | 1974年10月7日(33歳) | |||||||
出身地 | 日本 東京都東久留米市 |
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所属 | GRABAKA | |||||||
身長 | 176cm | |||||||
体重 | 77kg | |||||||
階級 | ウェルター級 | |||||||
スタイル | 柔術、キックボクシング | |||||||
テーマ曲 |
郷野 聡寛(ごうの あきひろ、1974年10月7日 - )は、日本の男性総合格闘家。東京都東久留米市出身。GRABAKA所属。東京都立小平高等学校卒業。ニックネームは難攻不落のビッグマウス。
目次 |
[編集] 来歴
1993年にスポーツ会館のコマンドサンボに入門。トーナメント・オブ・Jや真武館などのアマチュア大会で活躍。
1995年10月13日、トーナメント・オブ・J '95のトーナメントに出場し、1回戦で当時和術慧舟會所属の村上一成(現・村上和成)に右ハイキックでKO勝ち。準決勝ではイーゲン井上に腕ひしぎ十字固めで一本負け。
1996年3月30日、トーナメント・オブ・J '96で村上一成と再戦し、判定負け。
1996年5月7日、修斗でプロデビューを果たす。修斗時代には類稀なるセンスが光り、「総合格闘技の申し子」と称される。
1998年11月27日、修斗後楽園ホールで伝説の野次「俺だけの郷野!」が発生。
1999年5月29日、修斗でマット・ヒューズと対戦し、判定負け。
2001年5月、菊田早苗率いる「GRABAKA」に移籍し、パンクラスを主戦場にする。
2004年2月15日、PRIDE武士道に初参戦。『PRIDE 武士道 -其の弐-』でマウリシオ・ショーグンと対戦し、KO負け。
2005年1月4日、全日本キックボクシング連盟 『SURVIVOR』でキックボクシングルールに初挑戦。全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦をコンボイ山下と対戦。1Rには左ハイキック、3Rには左フックでダウンを奪い、大差の判定勝ち。
2005年2月6日、全日本キックボクシング連盟『MOVING』で王者西田和嗣と全日本ヘビー級タイトルマッチで対戦。4Rに右ストレートでKO勝ち。全日本キックボクシングヘビー級王座に輝いた(その後、2007年4月1日付けで返上)。
2005年3月6日、パンクラスで行われた全日本キックボクシング連盟公式試合で桜木裕司と対戦。2Rにカウンターの右ストレートでKO負け。
2005年5月2日、所属するGRABAKAがパンクラスから独立。
2005年5月22日、『PRIDE 武士道 -其の七-』でクラウスレイ・グレイシーと対戦し、判定勝ち。
2005年9月25日、『PRIDE 武士道 -其の九- ウェルター級グランプリ』では、1回戦でダニエル・アカーシオに得意の戦術で判定勝ちするも、準決勝でダン・ヘンダーソンにKO負け。また、ダンとの試合で顎を骨折し、ボルトで固定する手術を受けた。
2006年6月4日、『PRIDE 武士道 -其の十一- ウェルター級グランプリ 2006 開幕戦』では、ヘクター・ロンバードを翻弄し、判定勝利を飾る。2回戦となる8月26日の『PRIDE 武士道 -其の十二- ウェルター級グランプリ 2006 2nd ROUND』では、ゲガール・ムサシと対戦し一本勝ち、準決勝に駒を進める。
2006年11月5日、『PRIDE 武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦』では、準決勝でデニス・カーンと対戦し、判定負け。
2006年12月31日、『PRIDE 男祭り 2006』で、2001年12月の対戦以来5年ぶりとなる近藤有己とのリベンジマッチを行う。序盤にパンチを放った際に右手を骨折してしまい右手がほとんど使えない状態となるが、近藤に有効打を許さず、判定勝ち。リベンジを果たした。しかし、2005年のダン戦で埋め込まれていたボルト除去およびに視力矯正の手術を受けるため、戦線離脱を余儀なくされた。
2007年11月17日、UFC初参戦となるUFC 78でタムダン・マクローリーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし、白星デビューを飾る。また、ベストサブミッション賞に選出され、特別ボーナスを手にした。
2008年3月1日、UFC 82でジョン・フィッチと対戦予定であったが、右手の負傷により出場をキャンセル。2月に手術を行った。
[編集] 人物
- 相手の攻撃をかわす高いディフェンス技術が最大の武器。巧みに相手との間合いをとり、試合時間をフル活用して相手をじわじわと追い詰めるライツアウト(Lights out)戦法で身体能力の高い外国人選手とも互角に渡り合う。身体能力の差を埋めるこの戦法を「弱者の戦略」と自称している。
- 以前は「判定上等」がモットーの「郷野流」と自称していたが徐々に考え方が変わってきているようで、最近では「魅せる」ことに重点を置いている。
- 親交のあるDJ OZMAを模したDJ GOZMAを名乗って派手な入場パフォーマンスを行っている。
- 試合後のマイクアピールはPRIDE屈指といわれている。本人が書いているブログも人気である。
- パンクラスのリングで鈴木みのるとプロレスラーである獣神サンダー・ライガーが対戦した際、鈴木が勝利し観客も大盛り上がりの中、興行が大成功したと喜ぶパンクラス経営陣を「総合初心者をリングに上げて、勝って喜んだり、客入りが良かったと喜んでいるなんて、パンクラスはバカばっかりです」と発言して物議を醸した。この発言は、総合初心者であるライガーがメインイベントに出場したことに対して、そして観客もその試合が最も盛り上がった事に対しての自身の不甲斐なさも含めての発言である。
- 試合でのダメージのため、全身麻酔の手術を複数回受けている。
- 吉田道場の瀧本誠をなぜか相当嫌っている。これは、シドニーオリンピック柔道金メダリストの瀧本がデビュー戦で言った「総合格闘技をなめていました」という発言が発端であるという(しかし瀧本は謝罪の意でこの発言をしたのであり、恐らく郷野側が何か誤解している)。
- 1歳の頃小児癌(肝芽腫)にかかり、当時の生存率がほぼ0%という状況の中で大手術を受け奇跡の生還を果たしている(右の腹部に手術跡が残っている)。そういった肉体的ハンデを乗り越えて、強さの象徴である総合格闘技で成功を収めている。そして現在、同じ病気にかかっている子供の会に参加したり、会の親子を試合に招待し、子供のヒーローになりたいと思っている。
- 上記のような一面を見せる一方、ブログではエロ全開のコメントを残すという一面もある。
[編集] 戦績
[編集] 総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
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47 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
28 勝 | 7 | 6 | 14 | 1 | 7 | 0 |
12 敗 | 2 | 4 | 5 | 1 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | タムダン・マクローリー | 2R 3:19 腕ひしぎ十字固め | UFC 78: Validation | 2007年11月17日 |
○ | 近藤有己 | 2R終了 判定2-1 | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
× | デニス・カーン | 2R終了 判定0-3 | PRIDE 武士道 -其の十三- 【ウェルター級GP 準決勝】 |
2006年11月5日 |
○ | ゲガール・ムサシ | 2R 4:17 腕ひしぎ十字固め | PRIDE 武士道 -其の十二- 【ウェルター級GP 準々決勝】 |
2006年8月26日 |
○ | ヘクター・ロンバード | 2R終了 判定3-0 | PRIDE 武士道 -其の十一- 【ウェルター級GP 1回戦】 |
2006年6月4日 |
○ | キム・デウォン | 1R 9:00 腕ひしぎ十字固め | PRIDE 武士道 -其の拾- | 2006年4月2日 |
× | ダン・ヘンダーソン | 1R 7:58 KO(右フック) | PRIDE 武士道 -其の九- 【ウェルター級GP 準決勝】 |
2005年9月25日 |
○ | ダニエル・アカーシオ | 2R終了 判定3-0 | PRIDE 武士道 -其の九- 【ウェルター級GP 1回戦】 |
2005年9月25日 |
○ | クラウスレイ・グレイシー | 2R終了 判定3-0 | PRIDE 武士道 -其の七- | 2005年5月22日 |
○ | ティム・マッケンジー | 2R 2:53 TKO | パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR | 2004年11月7日 |
○ | 栗原強 | 1R 2:15 KO(右フック) | パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR | 2004年6月22日 |
× | マウリシオ・ショーグン | 1R 9:04 KO(左フック) | PRIDE 武士道 -其の弐- | 2004年2月15日 |
○ | ニルソン・デ・カストロ | 3R終了 判定3-0 | パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR | 2003年11月30日 |
○ | 渡辺大介 | 2R 3:49 KO(左フック) | パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR | 2003年10月31日 |
○ | ニルソン・デ・カストロ | 1R 0:29 反則 | パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR パンクラス10周年記念大会 |
2003年8月31日 |
○ | フラヴィオ・ルイス・モウラ | 2R終了 判定2-0 | パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR | 2003年5月18日 |
○ | クリストファー・ヘイズマン | 3R終了 判定2-0 | ZST 2 | 2003年3月9日 |
△ | チェール・シェノン | 2R終了 ドロー | パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR | 2003年2月16日 |
○ | KEI山宮 | 3R 3:49 TKO(右ストレート) | パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR | 2002年12月21日 |
△ | 渋谷修身 | 3R終了 ドロー | パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR | 2002年8月25日 |
○ | 窪田幸生 | 3R終了 判定3-0 | パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR | 2002年5月11日 |
× | 近藤有己 | 3R 0:52 TKO(タオル投入) | パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR | 2001年12月1日 |
○ | KEI山宮 | 5分3R終了 判定3-0 | パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR | 2001年10月30日 |
△ | ダスティン・デニス | 5分3R終了 判定1-0 | DEEP2001 in YOKOHAMA | 2001年8月18日 |
○ | 渡辺大介 | 2R 0:52 TKO(タオル投入) | パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR | 2001年6月26日 |
△ | ムリーロ・ニンジャ | 5分3R終了 判定1-0 | 修斗 SHOOTO TO THE TOP | 2001年5月1日 |
○ | アイヴァン・サラヴェリー | 1R 3:06 KO(後ろ回し蹴り) | 修斗 | 2001年1月19日 |
○ | 須田匡昇 | 5分3R終了 判定3-0 | 修斗 | 2000年11月12日 |
○ | アンディ・ウォン | 5分3R終了 判定3-0 | 修斗 | 2000年5月22日 |
△ | ラリー・パパドポロス | 5分3R終了 判定0-1 | 修斗 | 2000年1月14日 |
[編集] キックボクシング
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 桜木裕司 | 2R 1:17 KO(右ストレート) | パンクラス PANCRASE 2005 SPIRAL TOUR 【全日本キックボクシング連盟公式試合】 |
2005年3月6日 |
○ | 西田和嗣 | 4R 1:33 KO(右ストレート) | 全日本キックボクシング連盟「MOVING」 【全日本ヘビー級タイトルマッチ】 |
2005年2月6日 |
○ | コンボイ山下 | 3分3R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「SURVIVOR」 【全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦】 |
2005年1月4日 |