西蔵地方
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西蔵地方(せいぞうちほう 拼音: Xīzàng dìfāng 繁体字:西藏地方)はアムドやカムを除く、チベットの西南部2分の1程度を占める領域に対し、「中国を構成する一部分」として付与された中国語の呼称である。中国政府が日本語で発信する出版物、ウェブ上の文章にみえるチベット地方という用語も同義。中華民国政府は今日もこの行政区分をラサ(拉薩)を首府とした
1911年以降、ガンデンポタンが、チベット・モンゴル相互承認条約によってチベットが中国とは別個の国家であることを主張し、チベットのうちの西蔵(前蔵:ウー、後蔵:ツァン、阿里:ガリー)の部分に実効支配を確立したのに対し、中華民国の歴代の政権が、チベットの独立をみとめない立場から、チベットの西蔵部分があくまでも「中国を構成する一地方」であることを強調する用語として、西蔵とならび、広く使用し始めた呼称である。中華人民共和国期においても、「祖国大家庭の不可分の一部」という含意をこめて使用されている。たとえば十七ヶ条協定では、西蔵・西蔵地区とならびこの西蔵地方が併用され、協定の締結主体として9箇所出現するガンデンポタンに対しては、ことごとく西蔵地方政府という呼称が使用されている。
西蔵という用語の概念、用法には、歴代の中国政府が設定する時代ごとの「西蔵地方」をさす用例のほかに、アムドやカムを含む「全チベットの総称としての用法」や、王朝や政権の変遷を超えた「国号」としての用法があるのに対し、西蔵地方(チベット地方)という用語の概念、用法には、そのような多様性はない。
西蔵という地域概念の出現から現在にいたるまでの用法の変遷、中国の国内外で使用される各種の西蔵概念については「西蔵」の項で詳述し、本項では、以下のごとく、中国歴代政権による中国を構成する一地方としての用語「西蔵地方」(「チベット地方」)の概念と用法の変遷について扱うものとする。
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[編集] 清代における西蔵地方
中国において、「西蔵」という地域概念が確立するのは清朝雍正期以降のことで、チベットのうち、ダライラマ政権(ガンデンポタン)が管轄する領域に対する呼称、あるいはまた「ダライ・ラマ勢力」の通称として使用された。
中国では、清朝康煕期までは、チベットの総称として吐蕃、土伯特、唐古特等の用語が使用されていた。 中国において「西蔵」という地域概念が確立され、「西蔵」という用語がチベットの一部分をさす呼称としてひろく使用されるようになる契機は、清朝の雍正帝による雍正のチベット分割(1723-25)である。このとき清朝は青海地方へ侵攻、グシ・ハン一族を制圧してその属領を接収した。雍正帝はチベットを分割し、1725年、カム地方をガンデンポタン領と四川、雲南との間で三分割。1732年にグシ・ハン一族の旧属民の七十九族をタンラ山脈を境に南北に2分、北部の玉樹四十族は青海に、南部のホル三十九族はガンデンポタンに帰属させた。1750年に郡王制度を廃し西蔵地方政府(ガチャ)を置き、駐蔵大臣とダライ・ラマの共同統治とした。
1848年~1865年のグンポナムギャルの乱を契機に、ガンデンポタン領はディチュ河東岸の東カムへ拡大したが、1905年より趙爾豊が西蔵よりカム地方の西部を削り、雍正のチベット分割の際に四川に組み込まれていたカム地方東部とあわせて西康省、またガンデンポタンによる統治を廃止して西蔵省の設置を目指すものの1911年の辛亥革命により阻まれた。
雍正期より20世紀初頭にいたるまでは、「西蔵地方」という用語の用例はほとんどみられない。
[編集] 民国期における西蔵地方
西蔵、西蔵地方、西蔵特別地区[要出典]は、中華民国期の中国において、中国の国土の西南部を占めるとされた地方に対する呼称である。チベットのうち、ガリ、ウー、ツァンの三地方に相当する領域とされ、名国民大会や監察委員の議員・委員等を配分し、名目上中国の一部としてあつかいつづけた。しかし実際には、1911年の辛亥革命以降、全域が、中国とは別個の独立国としての国際的地位の獲得を目指すチベットのガンデンポタンの実効支配下にあり、中華民国側では、名目上、省を設置する条件が整っていない特別地区のひとつとして位置づけられていた。
中華民国の歴代政権は「西蔵」に対して実行支配を確立できたことはなかったが、「チベット独立」の主張にたいし、あくまでも「中国の一部を構成する西蔵地方」であると主張。清朝時より計画されていた西康省は1939年に設置された。チベットの西蔵部分を実効支配するガンデンポタンは、「チベット国の中央政府」として「全チベットの統治」を目指し、民国の地方政権と軍事衝突を含めて紛争を繰り広げた。
[編集] 中華人民共和国における西蔵地方
西蔵、西蔵地方、チベット地方は、中華人民共和国期の中国において、中国の不可分の一部分を構成するとされている地方に対する呼称のひとつである。 1950年、カム地方東部のみで西康省蔵族自治区を発足させ、1951年の「西蔵和平解放」で締結された十七ヶ条協定ではガンデンポタンを「西蔵地方政府」と規定した。1955年に西康省蔵族自治区は廃止され中華人民共和国によるチベットの分割と再編が省レベルではほぼ完成。 1959年のチベット動乱。にて国務院「西康地方政府の廃止」を布告しガンデンポタンはインドへ脱出。チベット臨時政府が発足した。 そして1966年、チベット自治区(西蔵自治区)が発足し、行政区域としての西蔵地方は無くなった。ガリ、ウー、ツァンの三地方に加え、中華民国期、名目的には西康省に帰属し実際にはガンデンポタンの実効支配下にあったカム地方の西半部が中国人民政府により改めて正式に西蔵の一部として認定された。この措置により、中国人民政府による西蔵の領域は、清朝期の領域とほぼ等しくなった。
[編集] 関連項目
- 西蔵 - 現在にいたるまでの用法の変遷、中国の国内外で使用される各種の西蔵概念
- 青海
- 烏斯蔵
- 唐古特
- チベット
- チベットの領域に関する認識と主張- 中国の歴代政権およびチベットにおける「チベットの領域に関する認識と主張」
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1955年以降の政府実効統治区域外を含む行政区分。台湾問題も参照。 |