秋田県立秋田中央高等学校
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過去の名称 | 土崎町立実科高等女学校 秋田県土崎高等女学校 秋田市土崎高等女学校 秋田市立中学校 秋田市立高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 秋田県 |
校訓 | 自主、友愛、躍進 |
設立年月日 | 1920年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒011-0943 |
秋田県秋田市土崎港南3丁目2-78 北緯39度44分43.7秒東経140度4分41.5秒 |
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電話番号 | 018-845-0921 |
FAX番号 | 018-846-3499 |
外部リンク | 公式サイト |
秋田県立秋田中央高等学校(あきたけんりつ あきたちゅうおうこうとうがっこう)は、秋田県秋田市北部にある共学の公立高等学校である。元は秋田市立高等学校として秋田市の管理扱いだったが、1982年県に移管されて現在に至る。(詳しくは沿革の項参照)
目次 |
[編集] 沿革
- 1920年6月22日 秋田県南秋田郡土崎港町に土崎町立実科高等女学校の設立認可。
- 1932年5月9日 実科を廃止して秋田県土崎高等女学校と改称。
- 1941年4月1日 土崎港町の秋田市に編入に伴い、秋田県土崎高等女学校も市に移管され、秋田市土崎高等女学校と改称。
- 1942年3月9日 秋田市立中学校(5年制)設立認可。同年4月15日開校(男子校機能)。
- 1943年4月1日 秋田市土崎高等女学校、秋田市立高等女学校と改称。
- 1945年8月14日 土崎空襲。
- 1948年4月1日 秋田市立中学校と秋田市立高等女学校が併合され、男女共学普通科の秋田市立高等学校となる。男子生徒は旧中学校校舎、女子生徒は旧高等女学校校舎を使用。
- 1948年6月1日 定時制課程普通科中心校を秋田市立高等学校女子部校舎(後に秋田市立土崎南小学校)に開設、分校を秋田市立商業高等学校(茨島分校)に開設。同年7月5日授業開始。
- 1949年5月19日 女子生徒用2教室竣工(男女とも同じ校舎に)。
- 1950年3月28日 定時制課程普通科中心校を秋田市立高等学校校舎に移転。
- 1950年7月1日 定時制課程茨島分校普通科を商業科に切り替え届け出。
- 1952年4月24日 定時制課程家庭科旭川分室を秋田市立旭川小学校校舎に開設。
- 1955年4月1日 茨島分校は秋田市立商業高等学校定時制課程として独立、旭川分室は廃止。
- 1966年10月 国民体育大会(大分)でラグビー部が優勝。
- 1967年3月18日 学校焼失。損害は蔵書などを含め甚大なものに。
- 1967年4月1日 本校と保戸野仮校舎にて分散授業開始。
- 1968年4月5日 新校舎にて授業開始(保戸野校舎から引き上げ)。
- 1968年8月 野球部、甲子園に初出場(ベスト8)。
- 1969年10月 国民体育大会(長崎)で女子バスケットボール部が第3位。
- 1982年4月1日 秋田市立高等学校を県に移管、秋田県立秋田中央高等学校として開校(定時制課程も)。
- 1983年12月 全国高校駅伝で陸上競技部が準優勝。
- 1999年 韓国の養正高等学校と提携を結ぶ。
- 2005年3月31日 定時制課程閉課程。定時制課程は秋田東高等学校と統合し、秋田県立秋田明徳館高等学校として再出発。
- 2007年12月 全国高校ラグビー大会に42年ぶりの出場。県移管後は初である。
[編集] 校訓
自主・友愛・躍進
教育目標は人格の完成を目指し、自主性を重んじ、理想を掲げて躍進を図る生徒を育成する。
[編集] 同窓会について
同窓会は一交会とよばれ、多数の会員を持っている。
[編集] 主な卒業生
- 中村靖之介(前進座俳優)
- 遠藤章(生化学者、コレステロール低下剤「スタチン」の発見と開発により、2006年、日本国際賞を受賞)
- 中村征夫(写真家、木村伊兵衛写真賞(1988年)、土門拳賞(2006年)等を受賞)
- 山平和彦(シンガーソングライター、アルバム「放送禁止歌」(1972年)など)
- 森田貢(マイペースメンバー)
- 船木千代美(TDK硬式野球部監督)
- 三浦正行(元大洋ホエールズ、現湘南シーレックスバッテリーコーチ)
- 佐藤秀明(元阪神タイガース、近鉄バファローズ)
- 五十嵐勝久(フットサルチーム セントラル短資オンライントレード 監督)
- 鷲谷亘(元セントラルリーグ審判部。現審判用具専門店経営。)