甲斐岩間駅
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甲斐岩間駅 | |
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駅舎(2006年1月撮影) |
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かいいわま - Kai-iwama | |
◄久那土 (1.5km)
(1.5km) 落居►
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所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | 身延線 |
キロ程 | 60.3km(富士起点) |
所在地 | 山梨県西八代郡市川三郷町岩間 |
電報略号 | ヒマ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
259人/日(降車客含まず) -2005年- |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)12月17日 |
備考 | 無人駅 |
甲斐岩間駅(かいいわまえき)は、山梨県西八代郡市川三郷町岩間にある東海旅客鉄道(JR東海)身延線の駅である。
旧・六郷町の代表駅で特急「ふじかわ」を含むすべての列車が停車する。
目次 |
[編集] 駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅である。線路はほぼ南北に走っており西から見ると駅舎、1番のりば、2番のりばの順に並んでいる。1番のりばに甲府方面の列車が、2番のりばに富士方面の列車が発着する。このほかに当駅は短い側線を1本有しておりこれは構内の久那土方で1番のりばの線路から分岐して落居方面に進み、当駅の構内で途切れている。
ホームの久那土方の端から階段とスロープが降りており、そこから構内踏切(遮断機・警報機つき)が駅舎にのびている。この構内踏切は1番のりばの線路と先述の側線を越えて駅舎にいたっている。
開業当初からの木造駅舎は2001年に立て替えられ、簡易なものとなった。この2代目駅舎はコンクリート一階建ての小さな建物で、内部には待合所とシャッターが閉じられたままの窓口がある。かつては駅員が配置されていたが1999年に無人駅となった。また無人化後もしばらくはキヨスクが駅舎内部で営業していたが駅舎の建て替えに伴い閉鎖となった。
[編集] 駅周辺
旧・六郷町の中心部にある駅で、周辺にはその中心集落・岩間の町並みが広がっている。市川三郷町役場六郷庁舎(旧・六郷町役場)は駅から北へ300メートルほどの距離である。沼久保駅以北の身延線の駅では甲府盆地に出るまで富士山を見ることができないが、当駅付近に限り山頂付近を見ることができる。
このあたりは印章の生産が盛んな場所であり、旧六郷町における印章の生産高が日本の生産高のうちのおよそ半分を占めたことがある。このため整備された駅前広場にはそれを示した石碑が建てられているほか、駅から徒歩2分ほどの場所には町の印章資料館が設けられている。
- 市川三郷町役場六郷庁舎(旧・六郷町役場)
- 峡南郵便局
- 山梨中央銀行六郷支店
- なかとみ和紙の里
- 富士見スポーツ公園
[編集] 利用状況
- 1950年の乗車人員は423,568人であった。これを1日平均にするとおよそ1,160人になる。
- 1980年の乗車人員は309,363人であった。これを1日平均にするとおよそ845人になる。
- 2005年の乗車人員は94,385人であった。これを1日平均にするとおよそ259人になる。
[編集] 歴史
- 1927年(昭和2年)12月17日 - 身延~市川大門間の開通時に、富士身延鉄道の駅として開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 富士身延鉄道を国が借り上げ。
- 1941年(昭和16年)5月1日 - 国有化され国鉄身延線の駅となる。
- 1972年(昭和47年)9月20日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 無人駅化。
- 2001年(平成13年)1月30日 - キヨスク閉鎖。
- 2001年(平成13年)5月 - 2代目駅舎が竣工。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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