内船駅
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内船駅 | |
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駅舎(2006年3月撮影) |
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うつぶな - Utsubuna | |
◄寄畑 (2.2km)
(5.7km) 甲斐大島►
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所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | 身延線 |
キロ程 | 34.1km(富士起点) |
所在地 | 山梨県南巨摩郡南部町内船 |
電報略号 | ウフ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
279人/日(降車客含まず) -2005年- |
開業年月日 | 1918年(大正7年)10月8日 |
備考 | 無人駅 |
内船駅(うつぶなえき)は、山梨県南巨摩郡南部町内船にある東海旅客鉄道(JR東海)身延線の駅である。
旧・南部町の中心部に近い位置にある。特急「ふじかわ」を含むすべての列車が停車する。
目次 |
[編集] 駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。線路はほぼ北西から南東に走り、駅舎は線路の南西側に設けられている。のりばは駅舎側から1番線、2番線で、1番線に甲府方面の列車が、2番線に富士方面の列車が発着する。
当駅は側線を3持ち、うち1本が1番線の西側に、もう2本は2番線の東側にある。東側にある側線のうち1本は構内の寄畑方で本線から分岐して甲斐大島方で途切れているが、他の2本は当駅の寄畑方で本線から分岐した後、そのまま甲斐大島方で本線に合流している。
ホームの寄畑方の端は緩やかな坂となっておりこれを下ったところから駅舎へ、1番線の線路と側線1本を越えて構内踏切(遮断機・警報機つき)がのびている。
駅舎は1967年3月築、コンクリート造り2階建ての建築物で、内部には締め切り可能な待合室がある。2階建てではあるがコンコース部分は吹き抜けとなっており、大きな窓を持つため内部は明るい。1999年4月から無人駅となっており、駅舎の内部にはふさがれた窓口が残っているほか、かつては売店もあったため、待合室にはシャッターが閉じられた状態でこの売店が残っている。
[編集] 駅周辺
駅前は整備されており町営バスやタクシーの乗り場があるがバスの本数は少ない。タクシーの配車数も少ないが、南部タクシーの営業所が近いので電話をするとすぐに迎えに来てくれる場合も多い。
駅周辺(内船地区)には南部氏由来の史跡や温泉施設「なんぶの湯」、南部町役場南部分庁舎、南部町立栄小学校、南部自動車教習所があり、駅の西には思親山や東海自然歩道などのハイキングコースとなっている。
内船地区に人家があり商店もあるが、駅の北西600メートルほどのところにある南部橋で富士川をわたると南部の市街地に出る。南部町立南部中学校や南部警察署はそこにあり、さらに東へ行くと十枚山や篠井山の登山コースがある。
駅前を身延線や富士川に沿って走る道路は県道10号で、身延町から富士宮市に掛けて富士川東岸を縦貫できる。以下には駅周辺にある主要な施設やスポットを列記する。
[編集] 利用状況
特急の停車駅で、温泉・ハイキング等の観光需要がある。毎年8月15日の旧盆には「南部の火祭り」が開催され「投松明」「百八たい」、花火などが行われるため、帰省してきた人などで賑わう。
[編集] 歴史
- 1918年(大正7年)10月8日 - 富士身延鉄道線が十島停留場から延伸、その終着駅の内船南部駅として開業。
- 1919年(大正8年)12月8日 - 富士身延鉄道線が甲斐大島駅まで延伸。
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 富士身延鉄道を国が借り上げ。同時に内船駅に改称。
- 1941年(昭和16年)5月1日 - 国有化され、国鉄身延線の駅となる。
- 1981年(昭和56年)9月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 無人駅化。
なお、1995年(平成7年)に急行「富士川」が特急に格上げされた際、芝川駅と共に特急通過駅とすることが検討されたが、当時の富沢町と南部町の反対により内船駅については格上げ後も停車駅となった。[要出典]
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
身延線 |
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