田中マルクス闘莉王
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田中 マルクス闘莉王 | ||
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名前 | ||
愛称 | トゥーリオ | |
カタカナ | タナカ マルクス トゥーリオ | |
ラテン文字 | TANAKA Marcus Tulio | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1981年4月24日(27歳) | |
出身地 | パルメイロ・ド・オエステ | |
身長 | 185cm | |
体重 | 82kg | |
血液型 | B型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | 浦和レッドダイヤモンズ | |
ポジション | DF、MF | |
背番号 | 4 | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
2001-2002 2003-2004 2004- |
サンフレッチェ広島 水戸ホーリーホック 浦和レッドダイヤモンズ |
39(2) 42(10) 80(18) |
代表歴2 | ||
2006- | 日本 | 14 (3) |
1国内リーグ戦に限る。2006年12月2日現在 22007年9月11日現在 |
田中 マルクス闘莉王(たなか マルクストゥーリオ、1981年4月24日 - )は、日本のプロサッカー選手。ブラジルのサンパウロ州、パルメイロ・ド・オエステ出身。浦和レッドダイヤモンズ所属。
日系人の父親と、イタリア系ブラジル人の母親を持ち、2003年に日本国籍を取得した日系3世で、日本に帰化するまでの旧名は、マルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニ・タナカ(Marcus Tulio Lyuji Murzani Tanaka)。
目次 |
[編集] プレースタイル
長身を生かした空中戦の強さが特徴。また、ドリブルなどで攻撃参加して前線まで上がってくることも極めて多く、超攻撃的なセンターバックとしての評価を確固たるものにしている。ペナルティエリア外から強烈なミドルシュートを叩き込むこともある。常に声を張り上げ、リーダーシップを発揮している。
2008年シーズン途中に発足したエンゲルス体制下においてはテクニックと得点力を買われ、本来のポジションであるセンターバックの一列前の位置にあたるボランチ、更にはトップ下で起用されるなど、プレーの幅を広げている。トップ下で起用された時は、本職のストライカーさながらのプレーを披露する。
[編集] 来歴
16歳の時、千葉県の渋谷幕張高校がブラジルで行っていたスポーツ留学生のテストに合格したことがきっかけで日本に留学し、2001年にサンフレッチェ広島に入団[1]。
2002年、シーズンにサンフレッチェがJ2に降格。1年での昇格を目指すため、新たに実力のある外国籍選手を獲得することとなり、外国籍選手の保有枠(1チームにA登録選手が3人まで)のため、2003年、J2水戸ホーリーホックにレンタル移籍。同年10月、日本への帰化をきっかけに、登録名をトゥーリオから現在の名前に変更(トゥーリオを漢字に置き換えた)。
2004年、J1浦和レッズに移籍し、U-23代表に選出され[2]、アテネオリンピック本大会にも出場。
2006年、オシムジャパン体制でA代表に初選出され、8月9日のキリンチャレンジカップ・対トリニダード・トバゴ戦で初出場、11月15日のアジアカップ予選・対サウジアラビア戦で代表初得点を挙げる[3]。またチームではリーグ優勝を果たし、Jリーグ最優秀選手を受賞した。
[編集] 人物
- 闘志を剥き出しにしたプレーを披露するが、ピッチ外ではプレーとは裏腹に紳士な性格である。
- 日本代表への想いが人一倍強く、チーム幹部から「あれほど代表に行きたがる選手も珍しい」と言われるほど。
- 年に数回、ブラジルから家族をホームゲームに招待する。母親が招待された試合では自身が得点することが多い。
- 熱心なクリスチャンであり、毎日聖書を読んでいるとのこと。時間があれば、教会へもときどき足を運んでいる。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- ミラソルFC
- 1998年 - 2000年 渋谷幕張高校
プロ経歴
- 2001年 - 2002年 サンフレッチェ広島
- 2003年 - 2004年 水戸ホーリーホック ※レンタル移籍
- 2004年 - 現 在 浦和レッドダイヤモンズ
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 広島 | 23 | J1 | 17 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 22 | 1 |
2002 | 広島 | 6 | J1 | 22 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 27 | 1 |
2003 | 水戸 | 28 | J2 | 42 | 10 | - | 3 | 0 | 45 | 10 | |
2004 | 浦和 | 4 | J1 | 21 | 3 | 6 | 1 | 1 | 0 | 28 | 4 |
2005 | 浦和 | 4 | J1 | 26 | 9 | 7 | 1 | 2 | 0 | 35 | 10 |
2006 | 浦和 | 4 | J1 | 33 | 7 | 7 | 1 | 1 | 0 | 41 | 8 |
2007 | 浦和 | 4 | J1 | 26 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 27 | 3 |
2008 | 浦和 | 4 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 145 | 24 | 30 | 3 | 5 | 0 | 180 | 27 | |
日本 | J2 | 42 | 10 | - | 3 | 0 | 45 | 10 | |||
総通算 | 187 | 34 | 30 | 3 | 8 | 0 | 225 | 37 |
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2007 | 浦和 | 4 | 8 | 0 | 2 | 0 |
通算 | AFC | 8 | 0 | 2 | 0 |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
- 2004年 - アテネオリンピック
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 14試合 3得点(2006年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2006 | 5 | 1 |
2007 | 4 | 1 |
2008 | 5 | 1 |
通算 | 14 | 3 |
[編集] 個人タイトル
- 2004年 - Jリーグベストイレブン
- 2005年 - Jリーグベストイレブン
- 2006年 - Jリーグ最優秀選手(MVP)、Jリーグベストイレブン
- 2007年 - Jリーグベストイレブン
[編集] CM
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ プロ同期入団は、林卓人、河野淳吾、西嶋弘之、寺内良太、梅田直哉、李漢宰がいる。
- ^ 初戦となるバーレーン戦では、かねてから違和感を覚えていた左太腿に肉離れが発症しピッチ上に倒れ、交替(チームも0-1で敗北)。本人の意思で残り2試合も松葉杖をついてチームに帯同した(残り2試合を連勝しオリンピック出場を決める)。
- ^ この試合の終了直前、FWの高松大樹が獲得したPKを自分が蹴ると名乗り出てオシム監督を笑わせたが、このPKを外してしまい、試合後は「もうPKは蹴らない、こんな落ち込みはない。」と落胆していた。オシムも「今日の収穫は、だれにPKを蹴らせてはいけないかが分かったことだ」と冗談交じりにコメントしている。
[編集] 外部リンク
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日本代表 - 2004 アテネオリンピック サッカー競技 | |
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1 曽ヶ端準 | 2 田中マルクス闘莉王 | 3 茂庭照幸 | 4 那須大亮 | 5 阿部勇樹 | 6 今野泰幸 | 7 森崎浩司 | 8 小野伸二 | 9 高松大樹 | 10 松井大輔 | 11 田中達也 | 12 菊地直哉 | 13 駒野友一 | 14 石川直宏 | 15 徳永悠平 | 16 大久保嘉人 | 17 平山相太 | 18 黒河貴矢 | 監督 山本昌邦 |