松井大輔
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松井 大輔 | ||
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名前 | ||
愛称 | ダイスケ、ダイ | |
カタカナ | マツイ ダイスケ | |
ラテン文字 | MATSUI Daisuke | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1981年5月11日(27歳) | |
出身地 | 京都府京都市山科区 | |
身長 | 175cm | |
体重 | 64kg | |
血液型 | O型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | ASサンテティエンヌ | |
ポジション | MF | |
背番号 | 22 | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
2000-2004 2004-2008 2008- |
京都パープルサンガ ル・マンUC ASサンテティエンヌ |
126 (16) 106 (15) |
代表歴 | ||
2003-2008 | 日本 | 6 (1)
|
松井 大輔(まつい だいすけ、1981年5月11日 - )は、リーグ・アン、ASサンテティエンヌ所属のサッカー選手。京都府京都市山科区出身。ポジションはミッドフィルダー。2003年から日本代表に選出されている。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] ユース~京都サンガ時代
寺西幼稚園卒園。 大宅中学校から藤森中学校に転校、高校時代は鹿児島実高にサッカー留学。2000年に地元の京都パープルサンガに入団。プロサッカー選手としての活動の一方で、2002年には立命館大学経営学部に入学した。
2002年、黒部光昭、朴智星らとともに破壊力抜群の攻撃的なサッカーを展開し、同年度の天皇杯優勝に貢献する。2003年6月22日のコロンビア戦で日本代表デビューを果たす。
[編集] フランスリーグでの挑戦と躍進
2004年のアテネオリンピックではU-23日本代表の背番号10を背負った。同年9月1日に京都パープルサンガからフランスのル・マンにレンタル移籍。2005年6月までのレンタル契約で、レンタル料と年俸はともに2,000万円。松井の加入後、ル・マンは2部の中位から一気に1部昇格圏の2位にまで浮上し、その中心となって活躍した松井は、『le soleil du Mans(ル・マンの太陽)』と呼ばれた。
レンタル期間終了後、2005年7月にル・マンに完全移籍(推定年俸1億円)。リーグ・アンデビューとなった2005-06シーズン初戦の対オリンピック・リヨン戦で先制ゴールをアシストして上々の滑り出しを果たすと、第12節の対RCストラスブール戦では鮮やかなミドルシュートを決めて初ゴールを記録。時折調子を落とす試合も見られたものの、サイドアタッカーとしてルマンの攻撃陣を牽引し続ける。日本代表でも11月16日のアンゴラ戦で代表Aマッチ初得点を記録し、チームの勝利に貢献した。2006年1月にはトロワAC戦での2ゴールなどが認められた形で、日本人初、ル・マンのチーム史上初である月間MVPを受賞する[1]。このシーズンは総じて安定した活躍を披露し、リーグ・アンのアシストランキングで3位の8アシスト[2]を記録するなどチームの残留に大きく貢献する。
この活躍によってシーズン終了後に強豪オリンピック・リヨンが獲得に乗り出したとも言われている。[3]
メディアから「最後のパスを出す男」と呼ばれ、リーグ・アンを代表するMFとして注目されて臨んだ2006-07シーズンは、初戦のOGCニース戦でアシストを記録したもののサッカー選手の職業病とも言える腰痛に苦しめられ、更にメンバー構成が一新されたチームに上手く馴染めなかったこともあり低調なパフォーマンスに終始する。2007年1月には再びトロワ戦で2ゴールをマークしたものの、シーズン後半は6試合連続で欠場するなど監督からの信頼を失ったようにも思われた。しかし腰の状態が上向き、よりゴールの位置に近いセカンドトップ気味のポジションに配されてからはキレのあるパフォーマンスを取り戻し、最後の4試合では2ゴール1アシストを記録。遅ればせながら復活の烽火を上げた。
選出を有力視されていたドイツ・ワールドカップメンバーに落選。ケガなどにも苦しんだリーグ・アン2年目のシーズンではあったが、「今までで一番、プレーについて考え、自分のプレーについて研究したシーズンだった」[4]と本人が振り返ったように、このシーズンの苦闘と試行錯誤が次シーズンへと生かされることとなる。
07'-08'シーズンでは第2節で早々に初アシストを記録し、第5節の対ASモナコ戦では月間ベストゴールに選ばれるゴールを決めるなど好調を維持(なお、このゴールはフランスの全国プロサッカー選手連合とCanal+が共同で選定する、リーグ・アンでのシーズンベスト5ゴールに選ばれた)。2007年三大陸トーナメントにてオシムジャパンに初招集。オーストリア戦、スイス戦と出場を果たした。
その後もチームのチャンスメーカーとして攻撃陣を牽引し、また前シーズンに引き続いてゴール前での危険な動きも見せるなど活躍を続ける。リーグ・カップの準々決勝ではオリンピック・リヨンを撃破するゴールを決め、アフリカネーションズカップで主力が軒並み不在な中でも存在感を発揮。大きなケガもなくコンスタントに出場を続け、リーグ戦34試合に出場し5ゴールをマークした。
[編集] 古豪での更なる挑戦
松井は07-08シーズン終了後に切れるル・マンとの契約を更新せず、フリーでの移籍をクラブ会長より許可される。リーグ・アンで確かな実績を残したMFの移籍と言うこともあり移籍先に関して様々な観測が寄せられ、現実にLOSCリールやパリ・サンジェルマンと言った国内で実績を残すチームや、前シーズンのブンデスリーガチャンピオン、VfBシュトゥットガルトなど多くのクラブからオファーが届く。最終的に松井は熱心なファンが多く、リーグ戦で10度の優勝を誇るASサンテティエンヌへと移籍先を定め、08-09シーズンより古豪復活を狙うクラブとの3年契約を交わした。
[編集] プレースタイル
トラップなどの基礎技術の高さもさることながら、類い稀なるドリブル、パステクニックを持つ。テクニシャンタイプの日本人プレーヤーにありがちな線の細さもフランスでシーズンを過ごすごとに改善が見られ、足下の技術のみならず身体を張ってのボールキープもこなす。Jリーグ時代はどちらかと言えばドリブルでの単独突破やテクニックを生かしたキープをメインに据えていたが、フランスに渡ってからは厳しいコンタクトプレーに対処するため1タッチ・2タッチでのパスと言ったシンプルかつ正確なプレーをよく披露している。「フランスリーグ2部の選手は技術が無い代わりに、身体ごとぶつけるというプレーが多いためスタイルを変えざるを得なかった」とTVで告白している。しかしトリッキーなヒールパスなど、アイディアを生かしたプレーも随所に織り交ぜる器用さは決して失っていない。利き足は右だが、左足でのクロスボールやシュートの精度も高い。
ル・マンに渡ってからは主に左サイドハーフで出場するが、右サイドハーフやトップ下、ウイング、セカンドトップなど幅広くこなし、戦術理解度も高い。最近ではゴール前のこぼれ球を拾うべくこまめにスペースへと走り込み、その技術の高さと合わせたゴールを決めることも。ル・マン時代の監督、フレデリク・アンツによれば「テクニック・スピード・状況判断力に優れ、リスクを負ってでも突破することも出来る、チームを引っ張ってくれる勝負強い男」。
[編集] 人物
- 尊敬する選手はドラガン・ストイコビッチ。
- プライベートでは、タッキー&翼の今井翼と仲が良く、アイドル雑誌「MYOJO」に今井翼と共に登場し、女子中高生からも人気を集める。高校時代は、サッカー選手権の二回戦で国見高校の大久保嘉人(現ヴィッセル神戸)と、準々決勝で帝京高校の田中達也(現浦和レッドダイヤモンズ)と対戦し、勝利している(この大会で松井は準優勝であった)。
- 横浜F・マリノスの山瀬功治とは家族ぐるみの付き合いをしている[5]。
- 京都パープルサンガ時代の同僚・朴智星とは、今でも日本語でお互いによく電話をしている。
[編集] 所属クラブ
- 鹿児島実業高等学校
- 2000年 - 2004年 京都パープルサンガ
- 2004年 - 2008年 ル・マンUC
- 2008年 - ASサンテティエンヌ
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 鹿児島実高 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
2000 | 京都 | 26 | J1 | 22 | 1 | 7 | 1 | 1 | 0 | 30 | 2 |
2001 | 京都 | 10 | J2 | 37 | 7 | 2 | 0 | 4 | 0 | 43 | 7 |
2002 | 京都 | 10 | J1 | 23 | 4 | 2 | 0 | 5 | 4 | 30 | 8 |
2003 | 京都 | 10 | J1 | 27 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 30 | 2 |
2004 | 京都 | 10 | J2 | 17 | 2 | - | - | 17 | 2 | ||
フランス | リーグ戦 | リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2004-05 | ル・マン | 22 | リーグ・ドゥ | 25 | 3 | - | - | 25 | 3 | ||
2005-06 | ル・マン | 22 | リーグ・アン | 33 | 3 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 3 |
2006-07 | ル・マン | 22 | リーグ・アン | 27 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 29 | 4 |
2007-08 | ル・マン | 22 | リーグ・アン | 34 | 5 | 3 | 2 | 2 | 0 | 39 | 7 |
2008-09 | ASサンテティエンヌ | 22 | リーグ・アン | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 72 | 7 | 13 | 1 | 11 | 4 | 96 | 12 | |
日本 | J2 | 54 | 9 | 2 | 0 | 4 | 0 | 60 | 9 | ||
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
フランス | リーグ・アン | 94 | 12 | 9 | 2 | 3 | 0 | 106 | 14 | ||
フランス | リーグ・ドゥ | 25 | 3 | - | - | 25 | 3 | ||||
総通算 | 245 | 31 | 24 | 3 | 20 | 4 | 289 | 38 |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- U-21、U-22、U-23日本代表
- 2002年 ツーロン国際トーナメント(3位)
- 2004年 アテネオリンピック(グループリーグ敗退)
- A代表
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ(グループリーグ敗退)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 10試合 1得点(2003-)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2003 | 1 | 0 |
2004 | 0 | 0 |
2005 | 3 | 1 |
2006 | 0 | 0 |
2007 | 2 | 0 |
2008 | 4 | 0 |
通算 | 10 | 1 |
[編集] 個人タイトル
- Jリーグ優秀新人賞(2000年)
- ベストエレガントプレイヤー賞(トゥーロン国際トーナメント、2002年)
[編集] 出典・脚注
- ^ "Joueur du mois de Ligue" UNFP. 2007年6月9日閲覧.
- ^ "「落選を糧に」松井 飛躍の3季目" スポニチ Sponichi Annex. 2007年6月9日閲覧.
- ^ リヨンの会長のオラス氏はフランスの新聞のインタビューで松井について「松井は面白い選手だ、これからも見守りたいね」と語っている
- ^ "松井が今季4得点目 来季に向けて意味深なコメントも" スポーツナビ. 2007年6月9日閲覧.
- ^ (一例)
[編集] 外部リンク
ル・マンUC - 現所属メンバー |
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1 フェラン | 2 アントニオ・ジェデル | 3 ベン・フレイ | 4 パウロ・アンドレ | 5 セルダン | 6 エル・バハリ | 7 デ・メロ | 8 ロリオ | 9 マイガ | 11 ロマリッチ | 13 ルヴィオン | 14 ピノー | 15 ケイタ | 16 ロシュ | 17 イェブダ | 18 ポルタレス | 19 サマサ | 20 クタドゥール | 21 ル・タレク | 23 カルヴェ | 25 バシャ | 26 ドゥイヤール | 27 ジェルヴィーニョ | 28 セセニョン | 29 カマラ | 30 プレ 監督: ルディ・ガルシア |
日本代表 - 2004 アテネオリンピック サッカー競技 | |
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1 曽ヶ端準 | 2 田中マルクス闘莉王 | 3 茂庭照幸 | 4 那須大亮 | 5 阿部勇樹 | 6 今野泰幸 | 7 森崎浩司 | 8 小野伸二 | 9 高松大樹 | 10 松井大輔 | 11 田中達也 | 12 菊地直哉 | 13 駒野友一 | 14 石川直宏 | 15 徳永悠平 | 16 大久保嘉人 | 17 平山相太 | 18 黒河貴矢 | 監督 山本昌邦 |