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法政大学短期大学部(ほうせいだいがくたんきだいがくぶ)とは、かつて神奈川県川崎市中原区にあった共学の私立短期大学。法政大学第二中・高等学校に隣接し、授業は夜間部のみだった。京浜工業地帯の中心に位置し、日中そこにある各企業で働きながら夜間学問に勤しむ人が多かったといわれている。一般教育及び外国語科目が多く設置されていたのが特長とされ、法政大学への無試験編入制度もあった。短期大学部独自のキャンパスだったため、俗に法政短大と呼ばれていた。募集終了年から5年後に廃止された。
法政大学短期大学部
[編集] 沿革
[編集] 運営主体
- 松浦四郎
- 熊谷俊雄
- 板谷秀夫
- 三好正
- 鷲見友好:当時、法政大学理事長は中村哲となっていた。
[編集] 学生生活
- クラブ活動
- イベント
- 短期大学祭:所在地に因んで「木月祭」と命名されていた。
- 全学科を含め勤労学生が多く、卒業後もそのまま現職を継続する人も少なからずいたといわれる。
[編集] その他
- 入学試験科目として、商経科は国語・英語・社会・機械科と電気通信科では英語・国語・数学が課されていた。
[編集] 関連項目
[編集] 廃止時の所在地
[編集] 廃止後の状況
- 現在は、法政大学第二中・高等学校のキャンパスが残っているのみである。
[編集] 参考文献
[編集] 法政大学短期大学部に関する書物
[編集] 脚注
- ^ 『全国学校総覧』昭和38年度版によると、当初の在学者数は男子118人となっている。
- ^ 法政大学市ヶ谷図書館に所蔵されている。学外者が閲覧するには居住地付近の公共図書館で紹介状を事前に発行してもらうことが必要である。詳細は、問い合わせること
- ^ 1960年発行。法政大学市ヶ谷図書館に所蔵されている。