横須賀享
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横須賀享 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 横須賀享 望月享 |
本名 | 望月享 |
ニックネーム | 職人 |
身長 | 173cm |
体重 | 84kg |
誕生日 | 1978年2月18日 |
出身地 | 神奈川県横須賀市 |
所属 | DRAGON GATE |
トレーナー | ウルティモ・ドラゴン |
デビュー | 1998年 |
望月 享(もちづき すすむ、1978年2月18日 - )は神奈川県横須賀市出身の日本のプロレスラーで、リングネーム「横須賀享」。闘龍門・DRAGON GATE所属。身長173cm体重84kg。Typhoon所属。
目次 |
[編集] 経歴
中学卒業後に一時みちのくプロレスに入門、新日本プロレスに入っていたこともあったが、いずれも人間関係が原因で辞めた。
1997年、闘龍門3期生としてメキシコに渡り、1998年11月22日にプロレスデビューを果たす。 デビュー戦直後に闘龍門の若手選手によって行われる大会“ヤングドラゴン杯”にエントリーされるも初戦敗退(この時の優勝者は堀口元気)。
翌年の“ヤングドラゴン杯”にも参加したが、結果は準決勝敗退。しかし、この大会後をきっかけに前々から意気投合した神田裕之と共にヒール転向する。
2000年1月2日にメキシコで行われたIWRGインターコンティネンタル・タッグ初代王座決定トーナメントに、神田裕之と出場。見事にトーナメントを制覇し、初代IWRGタッグ王座を獲得する。その後もタッグ戦での実力を存分に発揮し、注目されるようになる。 2000年3月5日、IWRGタッグ王座戦に敗れ王座陥落するも、裁定に納得できずに神戸大会をボイコットする。その直後にメキシコに渡る。
1ヵ月後にメキシコから帰国し、突如福岡大会に現れる。その大会で無理矢理試合に参戦することを要求。その試合後にCRAZY-MAXに襲撃されてしまうが、当時闘龍門にフリーで参戦してた望月成晃に救出される。 これがきっかけになり4月25日に望月成晃、神田裕之とM2Kを結成する。
また、タッグ戦線だけに留まらず英連邦Jr.ヘビー級王座やNWAウェルター級王座などのシングル王座も積極的に挑戦し、NWAウェルター級王座の獲得は成功した。
2002年2月24日に不完全燃焼がユニットの銘だったM2Kに、突如リーダーの望月成晃が完全決着推進のスローガンを掲げ、意見の違いから2人の間に遺恨が生まれる。そして「闘龍門に望月は2人もいらない」という理由から、自分と同姓である望月成晃と、「モチヅキ・コントラ・モチヅキ」という互いの姓字を賭けたコントラ・マッチを行い、敗退。試合前の条件により、リングネームを出身地にちなんだ現在の横須賀享に改めた。望月成晃が負けた場合は、江東成晃(えとうまさあき)になる予定だった(望月成晃は江東区出身)。
その後、神田裕之の引退と一緒にM2Kは封印され、Do FIXERに籍を置くこととなった。神田の次はK-ness.とタッグを組むようになり、2人のタッグをファンは「クネスカ」と呼ぶようになる。
2004年6月20日に悪冠一色を追放され、襲撃される望月成晃を突如助ける。 そしてDoFIXERを卒業という形で離脱し、再び望月成晃とタッグを結成。同じくDoFIXERを卒業したK-ness.、無所属だった新井健一郎、土井成樹(当時:セカンド土井)とFinal M2Kを結成する。
2004年8月28日、CIMAの持つオープン・ザ・ドリームゲート王座の挑戦権を賭けた試合“キーハンティング4Way戦”に出場し勝利。ドリームゲートの挑戦権を獲得する。9月17日にCIMAとオープン・ザ・ドリームゲート王座戦を行うが結果は敗退。しかし、あまりにも素晴らしい試合内容から一気にファンや関係者から注目され、それまでの地味なキャラクターから抜け出し、「最高技術の受け身職人」としてブレイクした。
2005年の年末に行われたキング・オブ・ゲートに出場するも、決勝戦で斎藤了に敗れ準優勝となる。 2006年4月23日に斎藤了の保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑み、勝利。第5代王者となる。 横須賀享がシングル王座を手にしたのはNWAウェルター級王座以来、約5年ぶりのことである。
5年前にNWAウェルター級王座の防衛に失敗し、新たにNWAウェルター級王者になったのは斎藤了であった。結果として斎藤了に5年越しでリベンジし、見事ドリームゲート戦でリベンジに成功したことになった。
2006年8月11日、数々の功績が認められ望月成晃からFinal M2Kリーダーの座を譲り受けるも、2007年1月Final M2Kは解散。 現在はTyphoonのメンバーとして活動中。斎藤了とのコンビでタッグタイトルを争う。
デビューから試合の時はシャツを着ながら試合をしていたが、雑誌「かっこいいカラダ」Vol.6の表紙に載るために肉体改造を始め、2007年9月22日の大田区大会から初めて上半身裸での試合をした。
2008年5月5日愛知県体育館で新井健一郎&岩佐拓(通称:新岩)の持つオープン・ザ・ツインゲート王座戦に勝利し、王座を獲得。この時リョウスカのコスチュームはショートパンツになっており、横須賀のふとももにはテーピングがほどこしてあった
[編集] 得意技
- ジャンボの勝ち!
- 横須賀の放つラリアット。そのまま片えび固めに移行すると、「ジャンボの勝ち!固め」になる。繋ぎ技として使う事が多いが、他のフィニッシュ・ホールドが全て返されてしまった時のとっておきの技でもある。技名は全日本プロレス中継におけるジャンボ鶴田と三沢光晴のラリアット合戦における実況に由来する。ラリアットで打ち負けた時は「三沢の勝ち」になる。2007年のプロレスリング・ノア日本武道館大会でタイフーンのメンバーとして乗り込んだ時にも披露し、数年ぶりに日本テレビの実況に「ジャンボの勝ち!」と言わせた(地上派放送では放送終了後の提供紹介のバックで前述のラリアット合戦の映像が流れた)。自身が苦手とするドラゴン・キッドの「ウルトラ・ウラカン・ラナ」もこの技で返した。
- 友情(アイカタ)
- パワーボムのような体勢で相手を右肩に担ぎ、左側に落とす。カナディアン・ハンマーにも似ている。「欠場しているK-ness.の分まで戦う」ということで、この名がついた。足の運び方が小島聡のCCDに似ている。
- 夢限(ムゲン)
- ダブルアーム式の友情。コーナーに背を向けて相手を持ち上げ、パートナーがコーナーに昇って足を捕まえつつ叩きつける幻壊(ゲンカイ)というツープラトン技も存在する。
- 横須賀ライナー
- 滞空式のウラカン・ラナ。
- ワールドライナー
- 対ドラゴン・キッド用の技。空中で一回転してのパワーボム。キッドがウラカン・ラナに来たところを、その回転を利用してさらにもう半回転して叩きつける。SUWAのスイーターボムと同じ技。現在はキッドと同じチームに所属してるためこの技は見られないが、2007年8月13日のサイト神戸で行われたタッグリーグで激突しキッドから勝利を挙げた。
- KOBEワールドライナー
- 対ドラゴン・キッド用の技。雪崩式のワールドライナー。2006年7月の神戸ワールド記念ホール大会で初公開。
- 横須賀カッター
- 相手をカナディアン・バックブリーカーの要領で持ち上げてから、横に反転させつつ顔面をマットに打ちつける。友情ができる前の主なフィニッシュホールド。
- 高い高い(ラストライド)
- ラストライドをフィニッシュホールドにしているマグニチュード岸和田が参戦している影響か、披露する機会が減っている。
- 足横須賀
- 相手を抱えあげて、両膝をマットに打ち付けるダブルのニークラッシャー。雪崩式の場合は「高い足」になる。
- エクスプロイダー
- プロレスリング・ノアの秋山準の技で、相手の正面から肩と太腿の裏を掴んで背後に投げ飛ばす。ビッグマッチの時はよく雪崩式でも放っている。
- 雪崩式変形エメラルドフロウジョン
- コーナーで、相手をファイヤーマンズキャリーのように抱え上げ、景虎の一騎当千のように、エメラルドフロウジョンの形でマットに叩きつける。
[編集] タイトル
- OPEN THE DREAM GATE…第5代
- OPEN THE TRIANGLE GATE…第11代、第13代(いずれもパートナーはCIMA、斎藤了)
- IJタッグ王座…第13代(パートナーは斎藤了)
- NWA世界ウェルター級王座
- UWA世界6人タッグ王座
[編集] エピソード
- 横須賀出身らしく、スカジャンを着て入場していた。夏季はコスチュームのまま。一時期新M2KとDo Fixerの抗争決着戦である「スカジャン・コントラ・スカジャン」に敗れ、スカジャンをファンにプレゼントしてしまったが、その時の落ち込みぶりが酷かったために、ファンがスカジャンを返しにきたことがある。
- コスチューム作りが得意で、自分の分だけでなく同団体の選手のコスチュームを製作している。
- 小技の名手であり、そのキャリアの間に多くのベルト争いに絡んでいながら、無口で他のレスラーに比べ自己主張が足りないせいか、存在感が薄い。しかしその没個性的なキャラクターがアクの強いドラゲーのレスラーの中にあって逆に個性として際立っているとも言える。
- 団体1・2を争うほどの受身の名手でもあり、それまでピンフォール率100%だった技を跳ね返している。例として、CIMAのシュバイン、ドラゴン・キッドのドラゴン・ラナ、斎藤了のプレミアム・ブリッジ等
- 「足横須賀」「ジャンボの勝ち!」「高い高い」「腕吉野」など技の名前は適当に決める。
- コスチュームに書かれている「046」という数字は、横須賀市や葉山町の電話番号の市外局番である。
- M2KやDo FIXERに在籍していた時、悪役だが試合はテクニック重視の職人芸を貫いていた。ただし、ブルーボックスなどの凶器攻撃は行っていた。
- NWAウェルター級のベルトを保持していた時、北海道ツアーではドラゴン・キッドのウルトラ・ウラカン・ラナで全敗したという苦い過去がある。
- CIMAやマグナムTOKYO、望月成晃も一目置く存在。さらにはウルティモ・ドラゴンからは「受け身の実力はSUWAの上を行く」とのお墨付き。
- イメージ・カラーは紫。おそらく偶然ではあるが、享の誕生石は紫色のアメジスト。
- みちのくプロレスに入門し半年近くで辞めてしまったが、そのすぐ後にK-ness.(斉藤誠)が偶然入門した。このことは互いに知らなかったらしいが、K-ness.との連係(クネスカパケット)は意外な所で繋がっていた。
- どの選手と対戦しても必ず名勝負と言われるほど評価の高い試合をする。その理由として対戦相手のファイトスタイルがルチャ・ドール(ドラゴン・キッド、堀口元気、スペル・シーサー)ならば前述の通り完璧な受け身の試合。横須賀本人が主にパワーファイターのため、パワーファイター(マグニチュード岸和田、鷹木信悟、サイバー・コング)と対戦するときは真っ向勝負。さらにテクニックの技量も高いため、テクニック重視のレスラー(CIMA、吉野正人、岩佐拓)とも技術の高い試合を展開する。苦手なファイトスタイルが無いというのが彼の特徴である。
- “第一試合は負けてもいい”が本人のポリシーらしい。その言葉通りタイトル戦やメイン戦などはすごく強い。
- CIMAとの共通点が多く、同じ年齢、同じ男兄弟の三男、ドリームゲート初防衛戦を争った仲、さらに同時期にユニットのリーダーを務めた。しかも、そのユニット(CIMAはBlood Generation、享はFinal M2K)は同じ日に解散してCIMAと享はタッグを結成し、現在のTyphoonが誕生した。
- 望月成晃とは、年に一度必ず闘っている。(モチヅキ・コントラ・モチヅキ、スカジャン・コントラ・スカジャン、享が悪冠一色入りするかどうかの一戦、お台場毎日プロレスでのファン投票一位の試合、キング・オブ・ゲート1回戦など)
- 享がドリームゲート王者だった時、望月成晃が『俺の防衛回数(5回)を超えたら俺とドリームゲート戦をやろう』と言ったが、享は5回を超えることが出来ずにドン・フジイに王座を明け渡してしまい、実現はできなかった。
- 斎藤了のブログなどでは何故か馬と呼ばれている(斎了曰く馬ヅラらしい)。