植草一秀
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日本の経済学者 |
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名前: | 植草一秀 |
生年月日: | 1960年12月18日(47歳) |
学派: | |
研究分野: | 日本経済論・金融論・経済政策論 |
影響を受けた人物: | ジョン・メイナード・ケインズ |
植草 一秀(うえくさ かずひで、1960年12月18日 -)は、日本の経済評論家・経済学者。専門は、日本経済論・金融論・経済政策論。
目次 |
来歴
1960年12月18日、東京都江戸川区で生まれ、同区で育った。
あるテレビ局が行った彼の過去を知る学生時代の友人・知人へのインタビューによると、幼い頃から成績は多くの場合オール5で秀才だったことから、「神童」と呼ばれていたという。
江戸川区立松江第四中学校を卒業後、都立両国高校へ進学。高校は共学だったものの、当時の同級生は高校時代は男子クラスで女性や恋愛の話などはすることがなく、本を読みながら登校していたのが強烈に印象に残っていると話している。1979年には東京大学文科2類に進学し、1983年3月、東京大学経済学部経済学科を卒業。学位は経済学士(東京大学)。
その後の職歴としては以下のようなものがある。
- 1983年 4月、野村総合研究所に入社し、経済調査部を担当。
- 1985年 7月、大蔵省財政金融研究所研究官
- 1991年 6月、京都大学経済研究所助教授
- 1993年10月、スタンフォード大学フーバー研究所(Hoover Institute)客員フェロー
- 1996年 7月、野村総合研究所主任エコノミスト
- 1999年 4月、野村総合研究所上席エコノミスト
- 2002年 4月、野村総合研究所主席エコノミスト
- 2003年 4月、早稲田大学大学院(専門職大学院)公共経営研究科教授。大阪経済大学客員教授 。
また、上記の職と並行して、「情報プレゼンター とくダネ!」(フジテレビ)や「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)などの報道・情報番組でコメンテーターを務め、国民に広く顔を知られた。
2004年、4月に品川で逮捕されていたことが、数ヶ月後になってマスコミで扱われ、早稲田大学大学院の教授職やテレビ番組の仕事を失い、表舞台から去った。
2005年3月に、上記の件で罰金50万円、手鏡1枚没収の実刑判決が言い渡され、4月にはその刑が確定した。同4月、スリーネーションズリサーチという名の会社を登記し、自らをその代表取締役とした。
2006年4月に、名古屋商科大学の客員教授として着任。だが、同年9月には迷惑防止条例違反で再び現行犯として逮捕され、同職は免職処分で失った。10月には東京地検から、「常習性があり悪質」として逮捕容疑で起訴され、東京拘置所に拘置された。
2007年1月、保釈が認められ、保釈金を支払い、保釈された。
経済学者として
植草の分析や評論については賛否が分かれている。
植草の経済政策についての論評は、政府支出の拡大を肯定する方向性を基本的に含んでおり、財界の一部には今でも好意的に評価する声が多い。また、テレビなどで見せた経済評論も、短い時間内に簡潔に、かつ視聴者にも理解しやすく要点をまとめており、テレビに限らず媒体に相応しいコメントを自在に生み出すテクニックや機転の良さを評価する声も多い。それらの肯定的な評価は、野村総合研究所やテレビ東京(日本経済新聞社系)における植草の順調なキャリアにも反映された。
そのことは、民主党、国民新党など、政界への浸透もあわせ、次のページなどからも窺える。
植草は、
- そもそも、首相は自民党総裁選の前日に意見の対立する亀井(静香・前政調会長)さんと政策合意を結んで総裁になった。それなのに、議会の多数派が「悪」で内閣が「善」という構図になっている。
と言い、小沢一郎は、
- うまいこと言うね。
と応じたという。
だが、植草の論評は、日本の政府支出の日本経済全体に対する効果の係数を統計学的・科学的に再検証していない、バブル期の日本に多く見られたようなタイプの論評であり、現在では旧世代の分析に属すると言われる。それを傍証するかのように、植草は好きな経済学者としてジョン・メイナード・ケインズを挙げ、また自身が設立した法人のウェブサイトなどでは、小泉純一郎や竹中平蔵による政策を一本調子で批判している(上記「小沢一郎&植草一秀」ビック対談にもそうした部分がある)。
被告人として(出来事とその影響)
2004年4月8日、早稲田大学大学院公共経営研究科教授であった時に、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとして逮捕された不祥事がマスコミで扱われ広く人々に知られた。この影響により2004年5月7日に、早稲田大学教授職を退き、表舞台から去る。
公判の中で検察側は被告人が1998年6月に東海道線横浜駅~品川駅間で痴漢行為をおこし神奈川県迷惑防止条例違反で罰金5万円の刑を受けたことを明らかにした。また、捜査において収集した証拠から被告人の特異な性的嗜好を公表した。それらはマスコミによって公衆にさらされた。
検察側が、これらの情報を公にしたのは被告人が否認する中で公判維持のために必要不可欠と考えたものとされている。[要出典]]]2005年3月23日、東京地裁は罰金50万円、手鏡1枚没収(求刑懲役4カ月、手鏡1枚没収)の判決を言い渡した。これに対し植草元教授は「天地神明に誓って無実」と冤罪を主張しながらも控訴を断念し、2005年4月6日の控訴期限日に刑が確定した。
2005年4月にはスリーネーションズリサーチ社を登記し代表取締役となったり、企業コンサルタントを務めるなどして、著名活動を再開した。2006年、名古屋商科大学客員教授に就任。「国家経済戦略」の講義をしていた。
2006年9月13日午後10時ごろ、京急本線の品川駅~京急蒲田駅間の下り快特電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で、警視庁により逮捕された。この時本人は「酒に酔っていて覚えていない」と述べた。
後日「警察のでっち上げだ」と今回も無実を主張しており、本人の「帰宅途中だった」という証言と矛盾する逆方向の電車に乗っていたことには「(品川駅で)乗り間違えた」としている(なお、京急品川駅は、上りホームと下りホームが別々である)。当該電車は周囲の人の体が密着するほど混雑していないにもかかわらず女子高生の後ろに密着するかのように乗っていた。
2006年9月27日、名古屋商科大学は植草客員教授を免職処分にした(理由は、逮捕・勾留により後期授業をすることが不可能なためとした)。そして、10月4日、東京地検は「常習性があり悪質」として植草を逮捕容疑で起訴した。本人は「人違いか(被害者の)勘違いではないか」と容疑を否認している。
しかし、1998年にもわいせつ事件で罰金刑を受けていたことは2004年の事件の公判にて明らかになっていたが、さらに週刊誌『女性セブン』にて、今までに警察沙汰だと分かっている3度の逮捕以前にも、1992年頃からチェック柄のスカートを狙った痴漢事件などで被害者と示談を7回していたことが掲載された。ただし回数については、これは後に誤りであることが判明している。[要出典]]]
なお、東京地裁は起訴翌日の5日、保釈金600万円で植草被告人の保釈を許可する決定をしたが東京地検はこれを不服として準抗告した。6日、地裁は地検の準抗告を認め、保釈を却下した。16日、最高裁第1小法廷は保釈許可を取り消した東京地裁の決定を支持し、被告人の特別抗告を棄却した。2007年1月19日に、東京地裁は再び保釈許可を出し、植草側は保釈金600万円を納入したが、その日のうちに東京地検が抗告したため、保釈の執行は停止されていた。
2006年12月6日に初公判が東京地裁で開かれた。植草は「天に誓ってやっていない」と無罪を全面主張。事件当時、被害女性から「子供が見てるのに恥ずかしくないんですか?」と言われうつむいていると、他の男性乗客2名に取り押さえられ駅事務室に連行。当初は「私は女性が不快に思うことをやりました」と容疑を認めたにもかかわらず、警察の取調べに際し一転無罪を主張した。
また、「これが土石流のように報道され、家族も被害を受けてしまう。家族を守るためには私が死ぬしかない」と思い、駅事務室でネクタイを首に締めて自殺も図ろうとしたことも明らかになった。弁護側は「被告人は当時紹興酒を20~30杯近く飲んでいる酒酔い状態」「チカン騒ぎかと思って、絶対にかかわりたくないなと思っていたら自分が犯人にされた」と主張している。
なお、12月20日の第2回目公判には、検察側証人として目撃者が出廷し、被害女性もビデオで証人尋問に応じた。検察側証人の目撃者は「痴漢をしたのは植草被告人に間違いありません」とはっきり述べた。
また検察は、事件当時の被害女性の肌着を鑑定している。
2007年1月22日、保釈保証金600万円を納付して保釈される。1月19日には東京地裁が保釈許可を出しており、東京地検が抗告したが地裁はそれを退けた。
2007年1月25日の第3回目公判で、肌着を鑑定していた科捜研の女性研究員が検察側証人として出廷。「被害女性のスカートとパンティの構成繊維と、植草被告人の左手人さし指、右手薬指、右手親指から採取した繊維片が類似」と証言した。
この項目に出てくる政治家のなかではこの一連の事件を政府関係の陰謀(国策逮捕)であると唱える者もおり、植草も「事件は小泉政権の陰謀だ」と答えていた。これらの主張については、植草一秀事件を検証する会編『植草事件の真実』(ナビ出版、2007年2月 ISBN 4931569161)に詳しく展開されている。
2007年4月19日、植草は小学館と講談社と徳間書店と毎日新聞社を相手取り、計5500万円の損害賠償などを求める訴訟を東京地方裁判所に提起した。『女性セブン』『アサヒ芸能』『フライデー』『サンデー毎日』の記事によって名誉を傷つけられたとの理由による。
東京拘置所で綴った手記を、2007年8月、『知られざる真実─勾留地にて─』としてイプシロン出版企画から刊行、ベストセラーとなる。
2007年9月10日、朝日放送(大阪市)の報道により名誉を傷つけられたと申し立て、同社に1100万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。
2007年10月16日、東京地裁により懲役4月の実刑判決を受け、東京高裁に即日控訴した。
2008年4月4日、東京地裁で『女性セブン』を発行する小学館との和解が成立。小学館の和解金100万円の支払いや謝罪広告の掲載などが条件。記事では植草が痴漢で10回摘発されたと報じたが、実際には3回だと認定されたため。
2008年4月16日、東京高裁は「被害者や目撃者の証言は信頼性が高い」として一審の実刑判決を支持、控訴を棄却した。
著書
- 金利・為替・株価の政治経済学 (岩波書店/1992年) ISBN 4000041738
- 日本の総決算 (講談社/1999年) ISBN 4062063301
- 現代日本経済政策論 (岩波書店/2001年) ISBN 4000262688
- ウエクサ・レポート 2006年を規定するファクター (市井文学/2006年) ISBN 4902995018
- 『知られざる真実-勾留地にて-』(イプシロン出版企画)ISBN 490314528X
ほか多数
脚注
関連項目
外部リンク
- スリーネーションズリサーチ株式会社
- 植草一秀の『知られざる真実』(本人のブログ)