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栗原 勇蔵(くりはら ゆうぞう、1983年9月18日 - )はJリーグ・横浜F・マリノス所属のプロサッカー選手。ポジションはDF(CB・SB)。
2005年まではF・マリノスの厚いディフェンス陣の選手層により控えに甘んじていたが、2006年は開幕戦からCB(センターバック)として出場するなど、レギュラーとして出場する機会が多くなる。シーズン終盤からは層の薄かった右SB(サイドバック)としても起用されるようになった。CBで起用されているのには栗原自身の成長もあるが、同じくDFでしばしば攻撃参加もする松田直樹が攻め上がったときに守備のバランスが崩れ失点するのを防ぐためでもある。松田本人に「若い頃の自分に似ている」等と言われるほどのメンタル面や実力があり、「第二の松田直樹」との声もある。次世代のマリノスを背負う選手の一人として期待されている。 2006年8月、オシム政権になっての日本代表でトリニダード・トバゴ戦に向け追加招集され、後半に負傷した坪井慶介に替わり出場。代表デビューを飾った。
[編集] プレースタイル
主に右ストッパー(右CB)としてプレーをするが、2008年シーズンからは過去にサイドバックを務めていた経験もあり、試合中にフォーメーションを変形し、サイドバックとして右サイドを駆け上がる事も増えた。具体的な特徴としては、長身を生かした高い打点のヘディングと足の速さを活かした1対1の強さが売りである。強烈な右足シュートを持っていることもあり、場合によってはフリーキックを蹴る事もある。欠点としては稀に集中力を欠く事があり、守備のセットプレー時にマークを外されてしまったりするなど改善点がある。
[編集] 所属クラブ
[編集] エピソード
- 数年前まで「街で売られた喧嘩は全て買っていた」との気性やプレースタイルから、松田直樹は「俺の後継者」と呼んだ。
- 2004年のJリーグチャンピオンシップで試合前、松田から「気合を入れてくれ」と言われて本気で殴ったところ、松田が軽い脳震盪を起こした。
- 代表初選出後、知らないおじさんに「息子と同じ車に乗っていたから」という理由で10万円相当の生きたカニ3杯と伊勢エビをもらった(そのおじさんは栗原を知らなかった模様)。
- 代表デビューしたトリニダード・トバゴ戦の最初のプレイでいきなり相手を削って担架で運び出させた。
- 2006年3月25日浦和レッズ戦を前にして相手FWのワシントンを「ロサンゼルスとか気をつけないと」と挑発した。
- 子供の頃からプロレスの大ファンである。
- 味方選手がゴールを決めると、ほぼ必ずと言っていいほどその選手に駆け寄り、抱きつく・羽交い絞めにする・タックルや体当たりをする…などの傾向がある。
- 奥大介の長女の初恋相手。
- 得意料理はカルビチャーハン。
- 2008年から、那須大亮の移籍により背番号が30から4に変更。
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 |
年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
2002 |
横浜FM |
35 |
J1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2003 |
横浜FM |
30 |
J1 |
7 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
9 |
0 |
2004 |
横浜FM |
30 |
J1 |
8 |
0 |
7 |
0 |
2 |
1 |
17 |
1 |
2005 |
横浜FM |
30 |
J1 |
13 |
1 |
2 |
1 |
1 |
0 |
16 |
2 |
2006 |
横浜FM |
30 |
J1 |
30 |
1 |
8 |
0 |
3 |
0 |
41 |
1 |
2007 |
横浜FM |
30 |
J1 |
25 |
0 |
8 |
0 |
1 |
0 |
34 |
0 |
2008 |
横浜FM |
4 |
J1 |
|
|
|
|
|
|
|
|
通算 |
日本 |
J1 |
83 |
2 |
27 |
1 |
7 |
0 |
117 |
3 |
総通算 |
83 |
2 |
27 |
1 |
7 |
0 |
117 |
3 |
国際大会個人成績 |
年度 |
クラブ |
背番号 |
出場 |
得点 |
AFC |
ACL |
2004 |
横浜FM |
30 |
4 |
2 |
2005 |
横浜FM |
30 |
4 |
0 |
通算 |
AFC |
8 |
2 |
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
[編集] 関連項目